![]() 真祐美からひとこと2025年 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
2025年4月11日(金) 何年ぶりかで倉敷の松香友子さんに会いました。姉の夫のいとこ。それだけでしたら友だちにはなれませんが、友子さんは私が婦人之友社編集部に入った時、同期で営業部に入った星野佐由利さんの親友だと姉の結婚の時に分かり驚きました。ご自宅に泊めて頂いたり、大阪へも来ていただいたりしていましたが、コロナもありなかなか会うことができませんでした。けれど思い立った時にすぐ連絡し時間が合えば会うようにしなければ時はどんどん過ぎてゆく。たまたま時間がとれて急遽倉敷まで出かけました。新大阪から45分くらいで岡山着。京都へ行くより近い。倉敷の美観地区の中にアイビースクエアがあり、以前(若い頃)そこで3日間ディナーショーをしたことがありました。 丁度倉敷の十露というギャラリーで中西繁先生の個展が開催されておりお寄りすることにしました。その建物は元は足袋屋さんで立派な梁があり、多額のお金をかけて修復したとのこと。中西先生は個展の開催中、毎日作品の制作を公開されていてとても興味深く思いました。 松香さんはここ5年間、どこにも行かず倉敷の街も歩かず、新幹線にも乗っていない、ずっと家にいたと言われるので私には信じられないこと。猫や犬など動物は嫌いだと。偶然生年月日が同じなので、四柱推命では共通のこともあるのでしょうけれど、猫が嫌いとは! |
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2025年4月9日(水) 4月9日はしだれ桜の見ごろでした。19年前には門の脇に植えたしだれ桜が見事に咲き、道ゆく人が立ち止まり、写真を撮りにくる人が何人もいたほどでした。美しいしだれ桜を見てもらいたくてホスピスに入っていた90歳の父を日帰りで家に連れて帰りました。隣りの本家の甥夫婦が顔を見せにきてくれた時、父は甥夫婦に「長い間お世話になりました」と挨拶をしておりました。もうこの世とのお別れの時期が迫っていると感じていたのです。「ワシはもうすぐ死ぬ。分かるんじゃ」と言い、翌月の5月18日に息を引き取りました。 それから2年後の4月9日、母にもしだれ桜を見せたくて施設から日帰りで連れて帰りました。けれどあんなに花が好きだった母ですのにしだれ桜を見上げることもなく、歓びや悲しみの感情が消えておりました。 それからしばらくてそのしだれ桜は枯れてしまい切らざるを得ませんでした。 姉はつくばで亡くなる2ヶ月前に夫と最後の桜を愛でることが出来ました。桜は見る者を思わず笑顔にさせる華やかさともの悲しさを秘めているような気がいたします。 |
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2025年4月8日(火) 今朝もクスノキの落ち葉掃き、 掃き終わったと思ったらもうパラパラ舞い落ちてきます。忍耐忍耐。 朝日新聞の一面に「折々のことば」哲学者の鷲田清一さんが書かれているコラムがあります。ひとことの短い言葉にこめられた奥深い思想を教えられ、毎日とても楽しみに読んでいます。今日も目を通しておりましたら知っている方の名前が出ておりました。庭師の古川三盛氏。「だから、欠きたいんだよね。完璧なものではなしに」庭を一幅の絵のように見せるのが作庭ではなく、庭は「あってないような」ものがいいと庭師は語る。完璧でなくあえて綻びを残す。器でも完璧より不完全なものの方が魅力を感じると言われますね。 昨年庭師さんをさがしておりましたら友人を通し古川三盛さんを紹介して頂きました。本を出されるほどの方で、奈良や京都のお寺などの庭の手入れをされている方。我が家の庭は街中の小さな雑然とした庭ですからそんな方にきてもらうほどの庭ではない、と思ったのですが、昨年12月、古川さんの若いお弟子さんたちにお願いすることになりました。請求書の封筒の文字も筆で書かれていてそれを見ただけでなかなかの方だと思いました。何しろ「私は作業着と着物しか持っていません」と言われるのです。弟子の女性庭師さんもいい方で、一度庭について話を聴きたいと思っております。でもお忙しそうでとても言えません。 |
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2025年4月7日(月) 子どもの頃や若い時には話が出来なかった人と、今になって話が出来るようになった経験をする度に『すべてのことには時があり』の言葉を切に感じます。久しぶりに年上の従姉と会いとりとめのないいろんな話をいたしました。親戚というのは法事で会うくらいですから法事の機会もない最近ではどんどん疎遠になってしまいます。親戚であれ友人であれ、努力しなければ親しい関係は保てないと思うのです。その努力は無理にするのでなく、素直に気持ちを伝えることだと思っています。 今日会った従姉と姉とは同じ仲人さんの世話で結婚したことが分かりました。従姉に「婚約中、二人でちゃんと話が出来ました?」と訊きましたら「いろいろ話もしたし、あちこち連れて行ってもらったし、美味しいものを食べに連れて行ってもらった」という返事を聴き嬉しく思いました。 現在いとこは、父方=11人、母方=11人 計22人いますが皆それぞれ家庭がありますから普段会うことがありません。話をしたことがないいとこもおり、血のつながりがあるというだけ。そんなものなのでしょうか。 |
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2025年4月6日(日) シャンソンを歌う時、主人公はどんな人物か、年代、年齢、家庭環境、性格やら服装までこと細かく想像して歌う方がいるようです。そのように指導されたという方がいます。シャンソンは物語だから歌はそのように考えて歌うべきか。けれどこうあらねばならぬという決まりはなく、そのように考えたければ考えればいいし、必要なしと思えばそれもよし、自由だと思っています。歌は歌う人によって生命が吹き込まれます。歌は生きた人間が歌うのですから歌は生きもの。ですから私はこと細かく条件を考えません。結果として表現の仕方が異なる場合もありますし、いつも同じ歌い方になっている場合もあります。歌は聴いて下さる方のその時の心境で受け止め方が変わりますので、必ずしも歌の上手い下手が感動を左右するとは限らない。それに一流の演奏家の演奏でも自分の好みの音楽でなければ心に響かないもの。好みというのは持って生まれたもの、そしていい音楽を好きになり深く感動する感性を磨くことも大事なことなのですね。 今、アーモンはゴロゴロいいながら私の左腕に頭を乗せパソコンに寄りかかって寝ていますので左手がしびれてきました。 キィボードの打ちにくいことといったら。 |
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2025年4月4日(金) 来月の4日は中之島まつりメインステージで歌う日。レッスンをしていますとアーモンが入って来て終わると今度はこのひとことを書くためパソコンに向かう私の傍で寝ています。寂しがり屋の甘えたなんです。 歌い手は私的なことは公表せずベールに包まれている方がいいのかも知れませんが、人間はみんな日常生活があるのですから掃除、買い物、料理、洗濯をするのは当然。今日も落ち葉掃きに黄砂でよごれたクルマの洗車という用事がありました。税金を払いに銀行へ行きましたら戸惑いました。最近は窓口で行員さんが現金を受け取らないのですね。手続きが終わると自分で機械に現金を入れる。昔は銀行の方はお札を独特のやり方で上手に数えていましたのに、今は何でも機械。払い出しや振り込みの時には指認証が必要で何回指を置いても本人だと認知してもらえず、やっと5回目くらいでパスしました。 4月3日は婦人之友社の創立記念日で入社日でした。20歳の時ですから大昔。そのことを書こうと思っている内に違うことを書いてしまいました。また次回に。 |
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2025年4月3日(木) 昨日も今日も冬の寒さ。風邪をひかないように気をつけて冬のコートを着て外出。それでも寒いくらいでした。寒くてもこの時期になりますと桜が咲き、自然の営みを感じます。裏庭に二度咲き桜としだれ桜があり、見る人がいなくても美しく華やかに咲き誇っています。誰にも見てもらえないのは可哀そうで写真を撮りました。しだれ桜はこれから。しだれ桜は私の好きな樹のひとつです。 ![]() 昨日、川西能勢口からクルマで数分の高齢者施設に知人を訪ねました。約40年来の年上の友人で、お会いしてお話をしたいと思いながらその方の体調がすぐれずなかなかお目にかかれませんでした。ようやく伺うことができた次第です。1人娘のお嬢さんをガンで亡くされご主人も一昨年90歳で他界され1人になられました。何とか元気になって頂きたく、せめてお話相手になれたらと思っているのです。そこはマンションのような雰囲気のところ。食堂で同じテーブルになった方がおられ話をしているうちにその方は昔奧田真祐美にシャンソンを習っていたとのこと。昨日何十年ぶりかでお会いいたしました。驚いたのは、その方は昭和8年生まれの92歳になられるといいますのにお顔に皺などなく色白で美しく頭もしっかりされていて、80歳といっても通るくらい。お召し物もおしゃれ。ひ孫さんもたくさんおられますのにまだ恋をしても不思議ではない雰囲気。人を愛するのに年齢は関係ないと私がひとり感じたことでした。 |
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2025年4月2日(水) 53年前の4月2日(日)は姉の結婚式でした。京都の蹴上にあるホテルの桜は満開でした。披露宴の途中、窓から雪が舞っているのが見えました。桜と雪、印象的な光景でした。姉の結婚式の話は人に知られて困ることではないのでお話しようと思います。結婚式の前日のことでした。4月1日の夜、姉が結婚を考え直したいと言い出し大騒動になりました。父の兄と母の兄が京都へ飛んで行き、何人かで話し合いをしました。詳しいことは知らないのですが、姉が夫となる人のことをまだ理解しきれていないことに不安を持ったのだと思います。止めるなら今だ、と思ったのです。結婚式、披露宴全ての準備がととのっている状況の中で真剣に話合い、姉も心が定まったのでしょう、翌日無事に式と披露宴が行われました。 仲人さんによるお見合いで、大阪と札幌と離れておりましたので婚約中だったか、お互いの理解を深めるため姉が札幌まで話をしに行ったこともありました。見合いというのはまず釣り書きと写真、そして聞き合わせをし、双方が気にいれば会う。会ってみて気に入ればつき合う。片方が気に入っても片方が気にいらなければ「この話はないことに」になります。愛よりまず条件。周りに推し進められて好きではないけれど結婚したという方はたくさんおられます。父は古い考えでしたから「結婚というものは好きや嫌いだけではない。釣り合いが大事だ。一緒に暮らしていく内に情が湧いてくるものだ」などと言っておりました。 姉は真面目に人生を考え、愛を大事にしたかったのだと思います。姉が亡くなるまで51年間。今では結婚式の話は笑い話になっています。というより二人の娘たちは親のそんな話には関心がないようです。 |
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2025年4月1日(火) 物が壊れる時は突然なのですね。今までちゃんと使えていたのに。今年に入って3ヶ月の間にテレビのリモコン、高い脚立を使わなければならない電球の取り換え、床下の水道管から水漏れ、電気ストーブのコンセントの故障、冷蔵庫の騒音、クーラーの不具合、衣類乾燥機が動かな,い, シャワーのヘッドが取れたなどなど。考えてみましたらどれも長年使っているので劣化してきたのです。いわゆる「物持ちがいい」ので、例えばパナソニックの製品は箱にナショナルと書いてあったり、冷蔵庫も28年前の製品。石油ストーブは使わないことにしましたのでアラジンのストーヴはとうの昔に処分し掃除機はあまりにも重たかったので軽いものに替えました。ずっと使い続けていますとある日急に使えなくなる。機械は永久に使えるわけではないのですね。革靴やハンドバックも長い間使わないでいていざ使おうと思った時には劣化していたという苦い経験ばかり。 形のあるものはいつか壊れる。壊れる可能性がある。不注意で壊さないようにしたいと思う。目に見えないものも壊れる。その方がもっと怖い。壊れないように大事にして生きたいと思う。 |
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2025年3月31日(月) 昔の話、父の妹(私の叔母)は西田辺の奧田の家から富田林・五軒家の岩根家へ嫁ぎました。叔父も叔母も故人、今は長男の岩根正尚さん(いとこ)が家を継いでおります。いつもコンサートやディナーショーに来てくれる従兄です。先日、家で酒蔵映画祭をするからとメールがありました。その映画祭はもう第5回目、全然知らずにおりました。今後はぜひご紹介したいと思います。 建物は江戸後期に建てられ、国登録有形文化財になっています。明治から昭和のはじめまで酒造家で、明治・大正時代に内国勧業博覧会にも出品した銘酒を造っていた酒蔵で映画会開催。 第5回 酒蔵映画祭 2025年5月17日(土)13:30~16:30 13:10受付 小津安二郎監督 『大人の見る絵本 生まれてはみたけれど』 弁士付き無声映画 弁士:遊花 講師:濱口十四郎 会場:岩根家住宅 酒蔵(富田林市)富田林市五軒家2-7-1 南海電鉄高野線・大阪狭山市駅より徒歩15分 あるいは金剛駅からタクシー 募集定員:30名程度(申込先着順) 参加費:2,500円(当日清算) 申し込み方法:カルテット・オンライン (氏名・メールアドレス・電話番号が必要) https://www,quartet-online,net/ticket/sakagura0517 お問い合わせ:大阪府登録文化財所有者の会事務局 06-6718-7012 お時間がございましたらどうぞお運び下さいませ。 |
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2025年3月30日(日) 私がはじめてシャンソンの教室を持ったのは1987年(昭和62)近鉄文化サロンあべの教室がスタートでした。今から38年前のこと。 その頃入られた松岡智子さんはレッスンを重ねてしっかり力をつけられピロティホールでの『魅惑のシャンソン』やサンケイパリ祭にも出演されました。小手先のテクニックで歌ったりせず難曲にも挑戦し歌いこなせる方です。松岡さんは今年の3月に開局となった『奥河内ラジオ』の16名の市民パーソナリティの中の1人として活動されることになりました。身近な話題や情報や音楽を届けられます。奥河内ラジオを聴く方法は、①ラジオで聴く(エリア=河内長野市、富田林市、千早赤阪村、大阪狭山市、河南町、太子町)②スマホで聴く無料アプリ「FMプラプラ」をダウンロード。どこでも聴けるそうです。 研修やオーディションもあったそうです。新しいことに取り組む姿勢は素晴らしいと思います。 南河内に初めてラジオ局が誕生。私の住んでいる大阪市内とエリアが違いますが全国で聴けるそうですから松岡さんの活動を応援したいと思います。 教室に入られてもすぐやめる方や、途中で他へ移る方、やむなく辞める方がいる中で、松岡智子さんと松井良子さんは開講以来ずっと続けておられる。嬉しいことです。 |
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2025年3月29日(土) 5日ぶりに長居公園へ行き驚きました。たった5日で景色が変わっていたのです。満開だった桜が緑の葉ばかりになっており、その代わり白いコブシが満開でした。生物の成長の速さを思いますと人間も生物ですから気づかないうちに刻々と変化している。若返ることはない。嘆いても仕方のないことで素直に受け入れたい。 白く輝いていたモクレンは昨日の雨で茶色くなり地面にへばりついていました。掃除は一苦労。けれど生命のない造花よりずっといい。これから数ヶ月は常緑樹であるクスノキの落ち葉の季節。毎日掃いても掃いてもキリがないほどです。禅宗では掃除はもちろんのこと日常のすべてが修行ですので、クスノキの落ち葉掃きも、「これも修行だ」と言い聞かせながら掃いています。「ああ、しんど」とも言いながら。 |
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2025年3月28日(金) 静かな雨音は心が落ち着きます。窓を開けますと春の湿った土の匂い。今朝は早起きはせず自然の目覚めに従いました。今日は大阪の西天満にある山木美術で開催中の中西繁展へ行きました。「哀愁の巴里 欧州の旅」というテーマの作品の数々。中西繁先生は大きな作品を描かれることが多いのですが、今回は部屋に飾るのにふさわしい作品でした。中西先生の絵画の特色の一つは「雨」だと思います。見る者の心を引き寄せる魔力を感じるのです。 山木美術のオーナー山木武夫さまにお会いお話をしておりましたら、兄上山木幸三郎氏はミュージシャンで有名な方だと分かりました。グラシェラ・スサーナを日本に呼んだ方だとか。浅川マキの代表曲『かもめ』の作曲者。家にあるスサーナのCDを見ましたら21曲収録に内ほとんどが幸三郎氏のアレンジでした。 1988年から2007年の20年間、『魅惑のシャンソン』ジョイントコンサートをプロジュースし主演していた時、スサーナさんをゲストに招いた年がありました。ところがスサーナさんと言葉を交わした記憶がなく、フィナーレでは舞台に一緒に並びましたのに印象に残っておりません。今にして残念に思います。そのように人生には残念なことがいっぱいあるような気が致します。ちょっとした心遣いが足りなかったことで悔いを残すようなことがないように生きたい、残されたこれからの日々を。 |
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2025年3月27日(木) NHK教室の日、新しい方が来られました。初対面の方です。私のホームページを見て下さっているとのこと。知らない方も見て下さっていることを知り嬉しいと同時に面映ゆい気持ちになりました。毎日思っていること、感じたこと、疑問に思っていること、考えていることなど好き勝手なことを書いておりますので読んで下さった方がどのように受け止めて下さっているか分からないのです。「これは間違っている」と指摘されたらすぐ調べて問題点を考えたい。丁々発止のやり取りが出来れば面白い。でも雄弁ではありませんので私には丁々発止は無理な話です。さて話を戻します。私のブログ(ひとこと)を見ていると言われた方が「アーモンちゃん」と言われたのにはビックリしました。我が家の猫の名前を覚えてくださっている!「マンションで動物が飼えないのでブログを見て楽しんでいます」アーモンが少しお役にたっていると親バカは喜んでいます。 1時間半、生のピアノ伴奏で歌っていますと少々の悩みは消し去ってしまいます。皆さんの顔も明るくやわらかに。 |
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2025年3月26日(水) 郵便局から小包を出しに行きました。中身は「書籍と他」と書きましたら局員さん、「他とは何か」と。印刷物ですと答えますと中を開けさせて頂きますと言ってガムテープを切り中を開けられました。何もやましいものは入れておりませんので、「どうぞご覧下さい。送付状は入れています」と私。個人的な内容だったり感情が含まれる文書は入れてはいけないことになっている。最近厳しくなりまして、ということでした。なんとまあ世知辛い世の中になったもの。学生時代母から小包が届くと中に添えられた手紙は本当に嬉しいものでした。今はいろいろなものが人間の感情を排除しているのですね。 ![]() ![]() 先日ふと見上げると白モクレンの花が咲き出し そしてもう散り始めています。カラスが蕾のついた小枝を千切って地面に落としましたので今年のモクレンは寂しい姿になりました。二度咲き桜は庭の土に合っていたのか、数年で大きく成長し見事な花を楽しませてくれています。 |
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2025年3月25日(火) ウールのセーターを着ておりましたら汗ばむ陽気でした。 シャンソン教室レッスン日、先週に続いて『枯木の上に』『愛は限りなく』。19日にもひとことに書きましたように、『枯木の上に』は歌うほどに心に染みて特に3番の歌詞はせつなくなります。 「春眠暁を覚えず」の言葉を思い出させるアーモンの居眠りの姿です。中国の詩人、孟浩然(もうこうねん)の漢詩。春の夜は眠りが心地よく、朝が来たことに気がつかず寝過ごしてしまう、という意味です。 アーモンはパソコンに上に座ってうつらうつら。いつもの凛々しい男前の顔でなく、無防備な一瞬です. ![]() ![]() ![]() |
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2025年3月24日(月) 昨日はいろいろな用がありひとことを書けませんでした。 庭に出ますとひっそりと薄いピンクと赤い山茶花が咲いておりましたので小さな花瓶に入れて楽しむことにしました。今年最後の花のようです。 ![]() 5月4日の中之島まつりメインステージでの曲を歌っておりますと、私がいつも思っている『歌は心の叫び』という言葉が身に染みてまいります。 先日友人とシャンソンについて話しておりましたらずっと前に亡くなられたシャンソン歌手くどう勉さんのことが話題に出ました。青森出身のとても個性の強い方でした。くどう勉さんは数少ないレパートリーを何十年も大切に歌ってこられ、いぶし銀のような方だったと。器用にたくさんの歌をこなせる人もそれはそれでその方の持ち味なのでしょう。私はくどう勉さんのように自分なりに掘り起こした歌を大事に歌っていきたい。そんな気持ちを新たにしております。 |
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2025年3月22日(土) 1925年(大正14年)の3月22日にラジオ放送が開始、今日で100年になります。ラジオ体操が始まったのはその3年後の1928年(昭和3年)。ラジオの思い出といえば姉が小学生の頃小学校の先生の推薦で朝日放送『蝶々のお母さん』という連続ドラマに子ども役で出たことがありました。ラジオですから台本を見ながらマイクの前に立って喋るスタイルです。姉は児童劇団に入っていたわけでもなく、親が熱心に芸能界に入れようとしたわけでもなく、放送局に縁のあった先生の耳に姉の声がいいと思われたのかと思います。ミヤコ蝶々がお母さん役、南都雄二がお父さん役のホームドラマ。内容は全然覚えておりませんが、健全なストーリーだったはずです。ラジオ出演はそれで終わりました。それから長い年月が経ち、ストーリーテラーとして小澤俊夫先生とのご縁でラジオで昔話を語っておりました。 私とラジオは2017年(平成29年)ラジオ大阪で『奧田真祐美のシャンソンと共に』という番組を持ち、週に1回30分を1年間続けました。今その時のシノプシス(要約)をみておりましたら短い放送時間の中に話たいことを詰め込んでおりました。話したい、聴いて頂きたいと思うことを下手な話ながら一生懸命話しました。私のCDを全部かけることも出来ました。けれど1回ラジオの電波にのせたところでリスナーの方の耳に残ることはありません。同じ曲を毎日毎日聴けば否が応でも耳に残りますが。パーソナリティをして一番嬉しいのは感想をいただくこと。それはコンサートにしろエッセイにしろ同じです。無反応は力を失わせる。あたたかい言葉はもちろんのこと、反対意見であっても反響があるというのは励みになり力が湧いてまいります。 |
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2025年3月21日(金) 久しぶりにつくばに住んでいる姪(姉の長女)に会いわずかな時間でもいろいろ話が出来ました。筑波大で都市計画、建築計画の研究や指導をしておりあちこち視察や調査に行くようです。今回は神戸の長田区や灘区、淡路島へ行きその帰りに我が家へ寄りまたつくばへ戻りました。4月から秋篠宮の悠仁さまが筑波大で学ばれるので大学の様子を訊きましたら、学部が違うので情報は入ってきていないとのこと。毎日東京から通われるのかどこかに住まわれるのか分からないそうです。 昨日テレビNHKBS『妻亡きあとに~近藤正臣郡上八幡ひとり暮らし』という番組を見ました。近藤正臣83歳、妻を亡くして1年半、一人暮らし。まるで義兄と同じでした。義兄は82歳、妻を亡くしてかれこれ2年、一人暮らし、料理もすべて自分でこなす。近藤正臣は腰の手術を3回したそうで、義兄は妻が亡くなって3ヶ月後に脳出血でたおれ入院となり、リハビリを頑張って3ヶ月で退院。義兄もまだ完全に立ち直っていないのですが、あと2~3年で自分の命も終わりだろうと言っていたのが、10年は頑張れそうな気がすると言うようになりました。近藤正臣は白黒のネコとの暮らし。義兄にはネコはおりません。その代わり娘二人と妻の妹の私のところにはネコがおります。 義兄は妻(私の姉)の位牌を自分で作りました。戒名はつけず梨の木の板に名前を彫り、姉がいつも使っていた机に置いています。庭の花を添えて。 仏壇はなく45日も一周忌も僧侶をおよびしませんでした。義兄は次男なので自由。そういえば姪も姪の子どもも自分の考えをもって生きているので、これは遺伝なのかと思います。 |
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2025年3月20日(木) 郵便配達が土曜日もなくなりとても不便になりました。前は大阪市内ですと翌日に着きありがたいことでした。今は木曜日に発送しますと翌週の月曜日着になってしまいます。それが嫌で速達にしましても必ず翌日に届くとは限らないのです。この間は私が受け取る側で、金曜日に神奈川県から出されたレターパッくが翌週の水曜日になっても届かない。不安になります。すると料金不足で水曜日に戻ってきたというのです。不足でしたら月曜日に戻るくらいだと思いました。5日間もかかっているのです。その間ずっと不安な気持ちでした。 これは18日のこと。郵便局が開く前から行って待っていました。すぐ郵便物を出し重さを測ってもらいました。全部110円、新しい男性の局員さんは「ハンコおしときます」と言うので「切手にして下さい」と私。「それなら自分で貼ってください」と。その郵便局は古くからのつきあいで、郵便を多い時は1000通以上発送していた時もあり、30通ほどでしたら顔なじみの方々は「こちらで貼っておきます」と言ってくれました。今は違います。急いで貼り終わりカウンターに置きましたら「確認するから帰らないで」と。その日は小学校の卒業式に招かれているので9時20分までに行かなくてはならず、若手の男性局員さんの言葉には取り合いませんでした。切手を買う時1通1通正確に測っていますのにまた確認とは。私が帰ろうとしますと「料金不足だと相手さんに届きませんよ」と嫌味なセリフ。仕事を真面目にきちんとするのはいいことですけれど、何かギスギスしている。最近とみに世の中に「臨機応変」が足りないように感じます。 馴染みだから特別扱いして欲しいなどと言う気持ちは全くありません。ただ事務的に仕事をするのではなく、もう少し情の通った接し方が出来ればと思うのです。 |
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2025年3月19日(水) 見事に花を咲かせていた白モクレンは太陽を求めてどんどん上に伸び、ひょろひょろの木になってしまいました。その上カラスが蕾のついた小枝をちぎって落としますので寂しいモクレンになりました。その木に小鳥が2羽とまっていましたので急いで写真を撮りました。シャンソン『枯木の上に』を思い出したからです。 ![]() 枯木の上には 愛し合う小鳥 貴方を愛してるわ 私は今でも 貴方は遥か遠く 春はまだ来ない この胸と空には 雨が降る ![]() ところで2月22日の猫の日からアーモン(我が家の猫)の様子がへんになったことを書きました。18日ぶりに猫ベッドに入って寝てくれるようになったものの朝になるとまだウロウロ。まだ完全に元のアーモンには戻っておりません。写真は外を眺める姿です。 5月4日に『中之島まつり』のメインステージで歌う歌、今回は迷わずすぐ決めることができました。練習を致しましたらまたもやアーモンが来てスピーカーの前で聴いておりました。音楽が好きなのか私の傍におりたいのか。 |
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2025年3月18日(火) 一昨日、からかいについて書きました。長居公園で「お嬢ちゃん」という人はからかって言ってるのではないと思い直しました。 そのおじさんは周りの人を明るく和やかにするのが好きで、会長でもない人に「会長」とか「副会長」と言って呼んだり、ラジオ体操を休んでいる人がいれば心配したり励ましたり。元のお仕事は引退した競馬の馬の世話をされていたとのこと。この方はからかっているのではないと改めて気づいたことでした。 さて、今日は母校・大阪市立長池小学校の卒業式。招待状をいただきましたので出席いたしました。来賓席には地域の顔役や元校長先生、中学校の校長先生、幼稚欄の園長先生とかいろいろ。来賓紹介の時「シャンソン歌手の奧田真祐美さん」と呼ばれるわけで、一人場違いのような気がいたしました。 私が在校生の頃は8クラスだったのが今は2クラス。女の先生は着物に袴姿。卒業証書授与は校長先生から一人ずつ受け取ります。受け取る前にひとこと自分の抱負を言うのです。「プロのサッカー選手になりたい。野球の選手、医者、弁護士、建築家、パティシエ、看護師、保母、バレリーナとか」。まだ分からないから中学校に入ってからよく考えるという人ももちろんいました。しかし11歳くらいでしっかり自分の意見が言えるのは昔の子どもより大人だなあと思いました。 それと驚いたのは全生徒71名中男子42名 女子29名。男子の方が多いのです。 私の家のお隣りのお嬢さんも今年の卒業生、ご両親は一番前に座っておられ顔を合わすことができ嬉しい気持ちになりました。普段話したことがない近所の方とも挨拶が出来たり、ランチコンサートにお起し下さった元校長先生にもお会いできたり。 私の卒業の時はとにかく生徒が多かったので卒業証書を一人一人いただくことは出来ませんでした。6年8組は私が代表で校長先生からいただくことになり光栄でしたが優等生だったからではないのです。たまたまなのです。 |
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2025年3月17日(月) 今晩中にしておきたいことがあり、今日のひとことはお休みいたします。 明日は必ず書きます。 |
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2025年3月16日(日) やわらかな雨の日曜日、今日は出かける予定がないのでせめて長居公園まで歩いてラジオ体操をしてこようと6時過ぎに出かけました。公園の中に入っても人影がなく、時間を間違えたのかしらと思ったほど静かな朝でした。雨に濡れずにラジオ体操ができる場所にはすでに二人の高齢の男性。「おはようございます」と挨拶をしても返事なし。初対面の方なのでとっさに声が出なかったのですね。いつも体操をしていますと同じような時間に人を笑わせるのが得意な人がやってきます。顔を見ると私のことを「お嬢ちゃん!」と言うのです。みんなそれがオベンチャラだと分かっているので私も受け流すだけ。 嘘と分かっていても朝から不機嫌にさせる言葉を口にするより面白い方がいい。けれど冗談を言うのが似合わない人は無理して言わない方がいい。ユーモアは持っていたいものですね。 ハタと思いました。朝のオジサン「お嬢ちゃん」と言うのはからかっている。私はからかうという行為が嫌いなのでからかわれているな、と分かっても同じ土俵に立たないことにしているのです。それにいまだかつて人に対してからかったことはない。こんなこと自慢でなく自信を持って言える数少ないことの一つに過ぎませんが。 |
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2025年3月15日(土) 音楽も騒いでいる人がいるお店も街の雑踏も、大きな音大きな声ざわめきは苦手です。静かに友だちと話がしたいのにうるさくて普通の声では聞き取れないくらいのお店に入ってしまうと後悔しストレスを感じる。一人でコーヒーを飲みに入った店の隣りのテーブルの人達が大声でしゃべっていますとリラックス出来ません。今日のこと聴くともなく会話が耳に入ってきました。4人の若いミセスのグループ。思わず顔を見てしまうほど一人の女性が大声でしゃべり、次にまた別の女性がそれに負けじと甲高い声でしゃべる。それに輪をかけて別の女性が口を挟む。一人だけ何も言わず黙っている人がいました。一番品のいい人でした。 数人で話をする場合、声の大きい人や話術の巧みの人がリーダーシップを取ることが多い。しかし、黙って聞いている人も本当はちゃんとした意見を持っているのです。言いたくてもなかなか言うチャンスがない。きっかけがない。そのような気配を感じたらその人に意見をうながしてあげればいい。その場の皆さんがひとことでも話せるようにすることは本当に大事ですね。 単なる雑談ではなく 何かのテーマについて語る時、自分の考えを持たずに周りの意見を聴いてから考える人は決して大声でしゃべまくることはしない。小さな声でいいから自分の考えをしっかり持って発言したい。 それにしましても、座を我が物顔でひとり大声でしゃべる人は「自分だけしゃべっていてはいけない」と気づかないのかしら。もっとも皆さん無口で静まり返るような席でしたらどなたか明るく楽しく座を盛り立てる人がいるとありがたいこともありますね。 |
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2025年3月14日(金) 36年間のリサイタルで1度しか歌っていない歌が数曲あり、その中の1曲が、『愛で殺したい』。1995年、30年前にサンケイホールで歌いました。当時、アン・あんどうさんに演出をお願いしていて、アンさんは「今度この歌を歌え」と聴いたことのない歌を覚えるように言われたのでした。『愛で殺したい』をどうやって覚えたのか忘れましたが、バンド譜面も作りステージで歌った記録があります。昨日テレビでコーラスグループのサーカスが『愛で殺したい』を歌っているのを見てはじめてこの歌がシャンソンで日本ではサーカスが歌って流行ったことを知りました。今頃…。アンさんが私に歌うように薦められるのはたいがい私の好きではない歌です。つまり好きな歌ばかり歌っていてはいけないということなんですね。20曲歌うにはテンポのある歌も入れなくてはメリハリがつかない。演出家とすれば歌手の苦手な歌でも歌いこなすようにしなければならない。30年前、どんな風に歌っているか昔の資料を出してきて聴いてみたいような聴きたくないような。 『愛で殺したい』以前はNHKでは放送禁止だったそう。今は何でもない歌詞でも昔は厳しかったようです。 |
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2025年3月13日(木) 一ヶ月あまりかけてジャン・フェラの代表曲の一つ『ふるさとの山』の新しい訳詞が出きました。タイトルは『ラ・モンターニュ』山という意味で原題。古賀力さんの歌詞に馴染んでいる方(ほとんどの方)は抵抗感を持たれると思われます。けれどジャン・フェラはプロテストソングの第一人者でシンガーソングライター。歌詞が大事です。きれいごとにしてはいけない。あくまでも原詩に沿うことを第一に考えました。 皆が歌っている歌詞とをここで比べるのはやめますが、最も違うのは、1番が春で花が咲き乱れといった言葉はいっさいなく、2番も夏は谷間を流れるせせらぎの響きがこだまする山はと言った言葉も古賀さんの創作です。 本当は『山は今も美しい 都会の若者はどうしてツバメが去り行くのをみて秋がきたと気づけるだろうか?』なのです。ここが大事。私はやっと理解できるようになりましたが、はじめて歌を聴いた方がすぐ理解できるとは思えない。美しい言葉はなく、現実的、具体的な訳詞です。ウケるウケないといったことは気にしないので原詩を重んじることにいたしました。8年かかってそういう心境になりました。新しい歌詞で歌う機会があるとすれば7月12日の『シャンソンの集い』・・・教室の発表会で私も2曲ほど歌うので。そして12月6日のランチコンサートで歌いたいと思っております。 シャンソンの日本語歌詞はほとんどが原詩とかけ離れておりますが、それはそれで良し、と意訳を認めて歌っているわけです。女性が好きな『街角のアヴェマリア』などはまったくの創作詩ですし。 |
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2025年3月12日(水) モクレンの蕾がついた小枝が地面にたくさん落ちているのです。これから白い花を咲かせようとしているのに、一体なぜかしら、と不思議に思っておりました。今日その原因が分かりました。カラスが小枝をちぎって落としているのです。これで巣を作るためかどうか分かりません。でも困ったものです、折角の蕾なのに。 今日、東京の学校の関西のクラス会がありました。8年間共に学んだ人は2人、5年間は5人。遠く安城市から1人、京都2人、奈良1人、神戸1人、西宮1人、大阪わたくし1人の計7人でした。5人ほど欠席。クラス会ですので何かを話し合うわけでもなく、誰かがしゃべれば耳を傾けて聴き、たわいもない四方山話。子ども4人の人、孫のいる人、子どものいない人、独身者さまざま。欠席者の中には身体の具合が悪い人や親戚の突然の訃報やら。外から見ると幸せそうな家庭でも大小いろいろな問題を抱えているのが現実だと感じます。関西のクラスメイトには『真祐美通信』を送っているのでちゃんと読んでくれていて嬉しいことでした。今度は秋に集まりましょうと三々五々帰りました。 |
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2025年3月11日(火) 14年前のことをはっきり覚えております。友だちとお茶を飲んでいる時でした。何だか身体が揺れる。お茶のせいかな、と思いました。スマホを持っていた友だちがすぐスマホを持ち出しニュースを見ましたら東北の方で地震が起こったことが分かりました。東北地方で知っている人と言えば、さとう宗幸さんとマネージャーの久保純さんのお二人だけ。すぐガラケイでお二人に安否を訊ねました。返信は無し。翌日になって「無事です」というメールが届きました。テレビであのすさまじい映像を見ておりましたらじっとしておられず、何かお役に立てることはないか、と久保純さんを通しさとう宗幸さんのところへメールをお送りしました。そうしましたら、衣類を送って欲しいとのこと。すぐさま知人友人に連絡し私のところへ送ってもらうことにしました。 毎日どさっと宅配便がきました。玄関に所せましと段ボール箱が並べられました。全部箱を開け、送るものと処分するものを分別し、新たに段ボール箱に詰めなおし宅配便で何箱も送りました。 しばらくして衣類はもういいので新しい肌着下着類が必要とのこと。再び連絡し肌着下着類を送ってもらい、仙台へ発送いたしました。どれだけお役に立てたか、てんやわんやの中で品物が必要な方の元に届けられたか、宅配便を受け取り箱を開け運ぶ人手も必要ですし、大変な作業だったと思います。義援金が一番必要だったのではないか、と推察されます。東日本大震災で2829人の方がまだ行方不明。ご家族の方はどんなにつらいことでしょう。 |
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2025年3月10日(月) 自分の書いたエッセイ集を久しぶりに読んでいましたらもう忘れていたことをいろいろ思い出しました。「私はこんなことを書いていたのか」と思うことしきり。その中に『自由人をつくる』という本のことがありました。 母校の創立者、羽仁吉一と羽仁もと子夫妻の講話集で昭和28年に話されたことをまとめたものです。その中で特に心に残った言葉として 『何かやらなければならないという意気、世間や人が何と言おうと不利益だとかは考えない。自分の使命はどこにあるのか、こうすることがよい、こうしたいと思ったら、それが使命で、それを遂行する』。そういう生き方をするのが母校の教育の一つだった。 私はそれを自分流に解釈してしまっているのかもしれないが、そのため思うようにならないことに悩むことはないのだ。この人のために少しでも役に立ちたい、と思って一生懸命になっていると横槍を入れられるのが世の中だけれど、本当の愛には損や得の入り込むすきはない。愛のほかに使命という大事な言葉があったことを思い出し、心の引き出しの整理が一つできたような気がしている。 今日のひとことです。 |
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2025年3月9日(日) 今年も5月の連休に行われる『中之島まつり』に参加することになりました。今年52回、52年続いている市民主催のまつりです。今日打ち合わせに行ってきました。大阪府や大阪市の主催ではありませんので経費は有志の寄付から成り立っています。参加者は手弁当。参加者にも寄付を募っていますので私も寄付をしボランティア出演です。野外ステージの組み立てから舞台バックパネルの塗装から控え室のテント張りから後かたづけまですべて実行委員とやる気のある人が力を合わせて作り上げているまつり。肉体労働をいとわない方々が汗水たらして準備されている。今で52年、100年を目指しているのです。 私の出演日は5月4日(日)11時45分から12時15分。チラシが出来てきましたので後日ホームページの予定のところに掲載いたします。 一昨年、昨年と参加しての感想は、コンサートホールとは異なり野外ステージですから照明はない。大空の下で太陽の光を受け風に吹かれ、人々は自由に行き交いざわめきもあるのですが、歌いにくいと感じたことはなく思い切り歌えるのです。会場に合った選曲をいたしますのでぜひお越し頂きたいと思っております。無料です。 アーモンはまだ完全には治まっておりませんが、今日16日ぶりに猫ベッドに入ってくれました。ほっと致しました。 |
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2025年3月8日(土) 姉は生前「下の娘はこまめにメールをくれるけれど上の娘からはめったに返事がこない」と言っておりました。仕事が忙しいからです。今年の1月24日に送ったメールの既読はあるのですが音沙汰無し。姉が言っていたことを思い出し気にしないことにいたしました。というより緊急の用事ではなかったからです。昨日約40日目にメールが届きました。「連絡できてなくてすみません。『真祐美通信』のお父さんの記事、素敵にまとめてくれてありがとうございました」と。やっと時間がとれたんだなと思いました。そうしましたら今日から娘とデンマークへ10日ほど行くというのです。私など東京へ行くのもなかなかですのに…驚きます。 姪の藤井さやかは筑波大学で都市計画・建築計画の研究をしており海外へ行くことはなんでもないみたいです。その影響を受けて息子はアメリカの大学へ行き、下の娘はデンマークを希望している。つくばと大阪では遠すぎて普段のこまかいことは叔母の私には分かりません。デンマークから帰ったらすぐ淡路島へ出張、その帰り大阪へ寄るというのです。レオという猫を飼っているのでどうしているのか訊ねましたら猫シッターに1日おきに見に来てもらうそうです。猫の様子を写真に撮って送ってくれるので安心だと。本当に便利になったものです。先ほど私のところにもその写真が送られてきました。家の者以外にはなつかない猫なので怒った顔をした写真でした。さやか曰く「鼻も赤くなって怒ってます」。それでも帰宅すると飼い主にはゴロゴロと喉を鳴らしベタベタに甘えるそうです。 我が家のアーモンは偽サカリが完全に治まらず今日で15日。早く元の生活に戻って欲しい。 |
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2025年3月7日(金) 私にはとても出来ないという話です。 テレビNHKEテレの番組。70歳台の女性がコロナで仕事がなくなり、国民年金だけで生活しなくてはならなくなった。月5万での生活で食費1万。それまではお菓子や甘いものを食べていたがやめて、魚と野菜中心にし、魚も安い鰯や鯖。料理をされる場面も出てきました。それを見て気が重くなりました。ケーキ、お饅頭が好き、鰯苦手。鯖は塩焼きなら食べられるけれど鯖鮨はだめ、となると私は月1万円の食費では生きていけない。けれどそういう状況におちいれば必死で工夫しなければならないのですね。テレビのその方はおかげで健康になったと言われていました。そうなると余計気が重い。 また、90歳でもこんなに元気だ、100歳でもこんなことが出来るといった話を聴きますと、その方はそういう体質で、親からのDNA。その方々の食生活や生活ぶりを見習おうとは思わないのです。 1ヶ月食費1万の女性の話に戻ります。普通できないことをやっているからテレビが取り上げるのですね。 テレビを見た人は驚く。でも思いました。死ぬまで甘いものを食べないのかしら。まだ70歳台。100歳まで生きるとしたらまだ30年ある。早く仕事がみつかって美味しいケーキとコーヒーを飲んであったかい気持ちになって欲しいと。 |
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2025年3月6日(木) この間友人と話をしていましたらシェイクスピアのリア王を思い出しました。リア王の話は子どものころ何かで読んだのと、新劇で仲代達也がリア王になった芝居を見た程度。家の本棚に姉が置いていった『対訳評註 リア王』斎藤勇著(開文社)の古い本があり、どうしてこんな専門的な本があるのだろうと思いましたら、一時期姉は新劇を志していたことがあり、その時に勉強のため読んだのではと推測しています。ところで、友人とリア王はどんな関係があるのか。 リア王には3人の娘がいて、長女ゴネリル、次女リーガン、末娘コーディリア。リア王は国土を3人の娘に分けようとする。親孝行の度合によって領土の分け方を決めるという。長女と次女は言葉巧みに父に取り入り歓心を買おうとする。末娘は表面上のいつわりの言葉でなく、父に対して真心をもって気持ちを伝えようとしますが、2人の姉のようにうまく取り繕うことはできないため父の怒りをかい勘当されてしまいます。友人は末娘で一番心優しい女性なのです。でも2人の姉のように甘えたり出来ない。最終的には一番親思いの方なのでリア王のコーディリアだと思ったわけです。 人間はなかなか真実を見抜くことができず偽善を受け入れてしまうことがあるのですね。 |
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2025年3月5日(水) 啓蟄(けいちつ)という言葉を教えてくれたのは母でした。二十四節気の一つ、冬ごもりをしていた虫たちが地上にはい出てくること。関西では奈良の東大寺二月堂で行われるお水取りの頃が寒く、それが済むとようやく春になると言われてきました。もう少しの辛抱。 今朝の新聞で2月28日に作家の曽野綾子さんが93歳で逝去されたことを知りました。新聞やネットでは保守的論者となっていますが、私の勝手な見方を言えば曽野綾子を保守的と言うのはちょっと違うのではないか。曽野綾子はキリスト教(カトリック)の信仰を軸に考え方がぶれない。曽野綾子の考え方を全て理解しているわけではありませんが、左とか右とかに決めるものではないと思う。本を読んでおりますと、夫三浦朱門の影響をかなり受けていると感じたものでした。一度読んだだけの本が何冊もありますのでまた読み返してみることにいたします。まずは『イエスの実像に迫る』(海竜社)から。 |
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2025年3月4日(火) 家にある「狆引き官女」も子犬も姉や私にもらったものではなく、おそらく母が何かの折に実家からもらったものだと思います。よその家にはお雛さまがあるのになぜ我が家にはないのだろうと思うことはありましたが、母が飾ってくれた下の写真の二つの人形だけで充分でした。我が家流といいますか、例えば世間で流行した「ミルク飲み人形」「だっこちゃん」「ホッピング」「フラフープ」のうち買ってくれたのは「フラフープ」だけ。それほど面白いものではなく邪魔になって処分しました。いっときの流行りものというのはすぐ邪魔になるのですね。 これからの人生、余分なものを捨て本当に大切なものを大事にしていきたい。目に見えるものも見えないものも。 |
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2025年3月3日(月) ひな祭りになりますと母は姉と私のために家にある人形を飾り、お雛様の掛け軸をかけ、桃の花を活けてくれました。内裏様の人形はありませんでした。母が飾ってくれた人形は女官と犬の狆(ちん)と車がついている白い犬。掛け軸は姉が結婚の時に持っていきました。二つの人形以外我が家には日本人形も西洋人形もぬいぐるみもありません。ひな祭りの時に母が飾ってくれた二つの古ぼけて傷んでいても懐かしい思い出の置物。今日ここに載せるため久しぶりに箱から出して写真を撮りました。 ![]() ![]() ![]() なぜ女官が狆を連れているのかと言いますと、犬は安産といい、また子どもの成長を願ってお雛様と一緒に飾ったそうです。狆は江戸時代から畳の上で飼うために改良された犬種。女官の色鮮やかな着物を引き立てるため狆の毛並みは白黒。昔は犬は外、猫は家の中で飼うのが普通でした。狆は家の中で飼う犬だったので犬と猫の間をとってけもの編に中と書き、狆としたとのこと。 「狆引き官女」という人形は明治中期から昭和の初めまで雛人形に添えられていたと分かりました。 |
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2025年3月2日(日) 溝の鉄の蓋(格子状)=グレーチングと呼ぶそうです。長さ1メール、幅20センチ、重さはかなり重い。それを昨日計17枚持ち上げて掃除をしたもので起きた時首が痛かったのですが、長居公園まで歩いているうちに治りました。 ジャン・フェラの一番のヒット曲と言われている『ふるさとの山』はフェラの葬儀の時イザベル・オーブレ(女性シャンソン歌手)がこの歌を歌ったほどです。日本では古賀力さんの歌詞で歌われていて名訳だと評判の歌です。とても美しい言葉で綴られている。しかしジャン・フェラの歌詞は違う、原詩に基づいた歌詞で歌うべき、ジャン・フェラはきれいごとを歌う人物ではない。と意義を申し立てたのは小野有五さんです。小野さんは北海道大学名誉教授でオノヨーコさんのおいとこさん。直訳を送って下さり私が歌いやすいように日本語の歌詞を考えて歌って欲しいと言われたのが9年前でした。一度は試みたもののとても手に負えず、シャンソン歌手やシャンソンファンが好み親しんでいる歌詞を変えることはしないで、歌う前に本当はこんな意味ですと解説すればいいのでは、と思ったのでした。けれど時が経ち考えが変わりました。夢のある歌詞ではなくても正しい解釈で歌おう。売れる売れないの商業的な音楽の場にいるわけではありませんから自由に歌えば良いのだと。 だいたいの歌詞は出来たものの肝心の解釈に間違いがあってはいけないので急がずに手直ししていきたいと思っているところです。 |
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2025年3月1日(土) 面倒なことやしんどいこと、きたないことをする時は人に指図される前に率先して行うと嫌なことではなくなりますね。今朝は寒くなかったので気になっていた溝の掃除をする気になりました。重い鉄の蓋を1枚ずつ持ち上げ中に溜まっていた枯葉や土を十能ですくう作業1時間半くらい。ふと見上げると梅の花が満開。八重の椿も最後の花を咲かせていました。 ![]() ![]() 午後からは大工さんにアーモンが壊したカーテンレールを直してもらいました。大工さんに「猫がカーテンにぶら下がったもので壊れたんです」と言いましたらその大工さん「僕のところの猫も外へ出て血だらけで帰ってきてそのうち帰って来ませんでした。その後に飼った猫も帰ってこなかった」とのこと。飼ったことがある人の言葉を聴くとなにかほっといたします。 気になっていたことが片付いて今日はこれでよしとします。 |
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2025年2月28日(金) 2月も今日で終わり、また寒さがぶり返すにしろ春がそこまで来ている感があります。八重の椿はもう落ち始め梅が咲き出しました。我が家の梅は地味な色で花も小さい。あと一ヶ月もすればしだれ桜が咲くことと。22日の猫の日からアーモンの異常行動がはじまり7日目、夜は何とか大人しく寝るので助かります。普段はあまり鳴かない猫が何かを要求するように鳴き、ガラス戸をこじ開けようと必死になり、カーテンにぶら下がり、とうとうカーテンレールを壊してしまいました。固いレールが曲がってしまい私の手では直せません。工務店に連絡し明日大工さんに来てもらうことにしました。2年9ヶ月大人しかったアーモンが今年になってなぜ、と不思議に思います。我が家に来た時はすでに去勢していました。うるさく鳴いた時は抱っこしてやりますとゴロゴロ喉を鳴らしますので少しホッといたします。どうか明日は元のアーモンになっていますように願うのみ。つくづく問題のない静かでおだやかな日常生活のありがたみを感じます。 |
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2025年2月27日(木) パソコンを新しくして間もない時、突然パソコンの画面が変わり警告音が鳴りだし驚いて誘導されるまま電話をかけてしまったことがありました。詐欺でした。昨夜もまた突如画面が変わりイヤな音が鳴り出しました。けれど今回はその手に乗りません。強制終了し事なきを得ました。でも突然コンピューターに異常が起こるとこわくなります。スマホでも突然ゴミが溜まっているとか言って不気味な音を出すのです。あの手この手で引っかけようとするのですね。 これはまともな話、前に書いたことの続きになります。掃除用具のレンタル会社の営業マンがある日やってきて「今キャンペーンをしている。2週間無料でお貸しするのでモップを使ってみて欲しい」と。何でも無料だからと言って安々と応じるのはどうかと思い少し思案しましたが、よく知れた会社なので信用し借りることにしました。それまではモップの先にペーパーを取付けてフローリングの廊下を拭いていました。いちいち紙を取り替えなければならないし、狭いところの掃除ができない。ところが借りたモップは狭いところも掃除が出来てとても便利なのです。次月のレンタル料金を考えますと同じようなものを購入したいと思いましたがそんなものはないようで、レンタルすることにしました。その会社の宣伝をするわけではないのですが、毎日拭き掃除をするのが苦にならなくなったのです。掃除機をかけるとなると物置から出してコードを引っ張り出しコンセントに入れ、家具などにぶつかり、コードの長さが足りなくなるとコードを抜いてコンセントを差し替えなければならない。狭いところは入らない。我が家はフローリングが多いので掃除機をかけるよりモップの方が便利なのです。 営業の仕事は大変でしょうけれど、こうして契約が取れたら嬉しいだろうなと思いながら使っています。 |
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2025年2月26日(水) 先日アーモンを通してネコ友になった方の話を書きました。その方は田中律子さんとおっしゃいます。お里は広島、ご両親はご健在で広島に住んでおられます。田中さんのお家には2匹のネコと外ネコ1匹がいるのですが、犬を1頭飼われることになったのです。タカちゃんというその犬はブリーダーのところで繫殖犬として何年も狭いゲージに入れられていて後ろ脚が悪い。年をとって繁殖犬としての役目が終わり、保護カフェに引き取られそこでトリマーとしてボランティアをしていた田中さんのお嬢さんと出会いました。あまり広くないカフェでお店に入ると臭いが凄かったそうです。そこにいる犬たちは自分の立場をわきまえていて、お客さんが来ると自分を選んでもらおうと一生懸命アピールする。ところがタカちゃんは内気で出来ず残っていたのですね。それでお嬢さんは見ていられず自分の家に引き取ることにしました。そのいきさつを伺い心やさしさに胸打たれました。律子さんはタカちゃんの散歩を兼ねて寒い中、夜駅までお嬢さんを迎えに行かれる。私はアーモンだけで精一杯です。 今、『犬と戦争 ウクライナで私が見たこと』というドキュメント映画が上映されています。戦争によって人間ばかりでなく、犬、猫も生命を落としている。犬や猫は自分で安全な地域に逃げることができない。監督山田あかねさんはウクライナで動物を助けるために奔走している人たちを3年間取材しました。危険をおかしてもボランティアで動物たちを助ける人々が世の中には多くおられることを知り、ただただ感服いたします。 山田さんはウクライナの犬猫の実情を多くの人に知ってもらうため日本のテレビ局に放送を持ちかけたところテレビ局からは「今は人間が第一、犬猫のことは時期尚早。日本人は戦地での悲劇的な動物の話より、愛らしさやぬくもりのある動物物語を好む」と言ったような返事だったそうです。 |
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2025年2月25日(火) 映画の話ばかりするのも気がひけますのでひとことに書くのをひかえておりました。今日は近鉄文化サロン上本町教室の日。愛の歌ばかり4曲ほどレッスンしたもので愛について思いをはせ、映画のことにふれることにいたしました。 『愛を耕すひと』18世紀のデンマークが舞台で、史実を元にしているとか。退役軍人の元大尉が荒野を開拓する話で、成功すれば見返りとして爵位の授与を望んでいる。王の土地でありながら地元の有力者からすさまじい仕打ちに遭う。かなり残酷な場面が登場。主人公は最初は冷徹な態度をとっていますが、 次第に使用人や助けを求めてきた子どもに対して心を通わせてゆく。最後は名誉や富を捨て、人を殺して刑務所に連れて行かれる元使用人の女性を救い2人で新たな人生を始めるのです。 もう一つは『あの歌を憶えている』で13歳の娘と暮らすシングルマザーの女性と妻を亡くした若年性認知症の男性との出逢い。過去に痛みを持つ人間同志がだんだんに惹かれてゆく。最後は自由のない施設に入れられていた男性を連れ出し2人で生きてゆく決意を感じる場面で終わる。 二つの映画で共通の思いを持ったのは、世の掟に背いてもそれよりももっと大事なものがあるということ。地位や名誉、富を捨てて愛に生きる話に感動するのは現実にはとても難しいことだからでしょうね。 |
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2025年2月24日(月) 『もしも貴方に逢えずにいたら』というシャンソンはルイ・アラゴンの詩にジャン・フェラが曲をつけた文学的シャンソン。淡々とした中に深い味わいのある名曲です。日本では古賀力さんの訳詞で歌われています。要約すると、「貴方によって私は生きる喜びと美しさを学んだ。貴方が歌う詩から私は自分の道を見つけた。幸せは雲や夢の中でなく、この大地この世間の中にあることを知った」 人は誰でも何かに出会い、誰かに出会ってその影響を受けながら生きています。もしも貴方に逢えずにいたらという言葉は絵空事でなくまさに実感、そして普遍的。日本の歌に、もしも貴方と逢えずにいたら…というテレサ・テン『時の流れに身をまかせ』がありますね。出だしの歌詞は似ていてもシャンソンの『もしも…』と日本の『もしも…』とは内容がまったく違います。テレサ・テンの歌の背景は実らぬ恋。だからこそ切々と一途な思いを吐露している。恋に悩み、葛藤し、解決の糸口をさがしあぐねている人にとってよくよく理解できる心情に違いない。荒木とよひさに限らず男性作詞家はどうしてこんなに女性の心理が分かるのでしょう。 「もし、あなたに出会えていなかったら私はどうなっていたでしょう」という思いは現在のことですが、それは将来への希望でもある。2曲それぞれに違う「もしも…」であっても、たった一度の人生で出逢った深い喜びと感謝を表している言葉だと感じます。 |
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2025年2月23日(日) 俳句では「猫の恋」は春の季語。昨日のアーモンの様相は猫の恋。去勢している猫でも何パーセントかは1週間ほど落ち着かず変な声で鳴くことがあるといいます。早く元のアーモンに戻って欲しいものです。 テレビ番組にフォークソングとあったので見ていました。南こうせつさんのコーナー、演奏者の中に佐久間順平さんが出ておられました。佐久間順平さんはシンガーソングライターであり、バイオリン、ギターの名手です。前にピロティホールでコンサートを行った折りさとう宗幸さんをゲストにお招きしました。その時ピアニストの江草啓介さんと一緒に来られたのが佐久間順平さんでした。江草さんも佐久間さんも一流のミュージシャン。さとう宗幸さんに私の作詞二つの歌に曲をつけていただいた時、1曲は佐久間さんが引き受けてくださることになりました。それは『待ち続けて』という歌でとても美しい情感のこもったメロディです。 『もう一度愛を』『愛のバラード』『待ち続けて』電話3部作として作りました。リサイタルで歌いましたがCDには収録しておらず、せっかく佐久間さんが曲をつけて下さったのに申し訳なく残念な気持ち。今は電話よりメールの時代になってしまい、電話3部作を歌うことがなくなってしまいました。 以前毎日放送ラジオの『ありがとう浜村淳です』の番組に出演したとき浜村さんが電話3部作を聴きたいと言ってくださいました。番組の担当の方は機転をきかせ、すぐ私のCDから『もう一度愛を』を流してくださいました。時代遅れになってしまった電話3部作、いつか聴いていただきたいです。 |
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2025年2月22日(土) 猫ブームと関係なく子どもの頃から猫が好きで飼っていた私には毎日が猫の日。 日本ではにゃんにゃんという語呂合わせで2月22日が猫の日とされていますが、いつ誰が決めたのか調べましたら、1987年、今から38年前。愛猫家の学者や文化人による猫の日実行委員会とペットフード協会によって制定されたとのこと。他に「世界猫の日」もあり、それは8月8日。アメリカに本部があり国際動物愛護団体の「国際動物福祉基金」によって2002年に制定。 我が家の猫アーモンが家族になって2年9ヶ月。その間外に出たがらず戸を開け閉めしましても知らん顔でした。一度だけ玄関から出た時はすぐ抱き上げて事なきを得ました。 今日の出来事、いつもなら猫コタツで寝ているはずなのにおらずイヤな予感がしました。予感が当たり居間のガラス戸が少し開いているのです。もうびっくりしました。ガラス戸は人間でも重くて力がいります。それを猫が全力で開けて外へ出てしまいました。その時の気持ちを何と表現してよいか分かりません。猫は追いかけると逃げる。いつもの甘えたのアーモンではなくなっているのです。何度呼んでも反応なし。そのうち姿が見えなくなりました。庭にいないとなると道路を渡ってどこかへ行ってしまったのかもしれない。あわてても仕方がないし、お腹がすいたら帰って来るに違いないと思い、戸を少し開けたまま待っていました。1時間以上経って帰ってきましたがつかまえるまでは安心できません。そろっと近づき後ろからパッと抱きかかえて家に入りようやく安堵しました。その後も何度もガラス戸を開けようとしていました。そのような行動を見たのは初めてでした。 あんなに家に入りたいと甘えたアーモンが外へ出てしまった時、悲しい気持ちになりました。今は足元で寝ていていつものアーモンです。 |
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2025年2月21日(金) クローゼットを片づけていましたらテニスラケットが出てきました。数年前テニススクールに入った時にテニスシューズ、ボール、コスチュームを揃えました。初級クラスに入ったものの、満足のいくまで練習ができず個人レッスンでなければ駄目だと思ったのと、コンサート前に捻挫でもしたら大変なので止めてしまいました。 はじめてテニスをしたのは12歳の時。学校ではバスケットボールかテニスかバトミントンのいずれかに入ることになっていました。テニスクラブではないので、1週間に1回運動の時間に1時間するだけ。サーブも上からのやり方を教えてもらったことがなく横からばかリ。ボレーもスマッシュもバックもきちんとは知らないままでした。 テニスの先生は安部道雄先生といい数学の先生で、専門の数学の他、テニス、登山、クラシック音楽に精通しておられ、昼の食事の時間に時々クラシックのレコードをかけて解説をして下さいました。マリア・カラスやハチャトリアンという名前を耳にしたのはその時です。 安部道雄先生の父上は安部磯雄氏は経済学者、早稲田の教授、キリスト教社会主義者。日本野球の父と呼ばれていました。道雄先生の兄上の安部民雄氏は早稲田の名誉教授、デ杯の選手として活躍。 そんなわけで弟の道雄先生もテニスが得意。けれどテニスを厳しく教えられた記憶がなく、遊び程度で8年間が過ぎました。姉もつくばで仲間と楽しみでテニスをしており、亡くなる4ヶ月前までラケットを持っていたようです。 昔はテニスと言えば白色の上下でスカートは短いものでした。今は何でもよいみたいですね。 |
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2025年2月20日(木) 今朝、ラジオ体操でお会いする東住吉区南田辺連合会長の坂本敏和さんに長居公園の大きなケヤキ数本の行方をお訊ねしました。この公園のどこかへ移植したはずとのこと。伐採したわけではないと分かりました。北口だけでなく、あと2ヵ所同じように桜の木を植え、周りは綺麗なタイルを敷き詰めるようです。その費用は陸上競技場をコンサートなどの貸し料で賄うのだそうです。大がかりな工事が出来るほど会場収入があり桜植樹の企画が実現したのですね。 ケヤキは関東に多く母校にも素晴らしいケヤキがありました。大きく成長した木をわざわざ抜くことに疑問を感じましたが、別のところでちゃんと生きられるならよかったです。 今上映中のアメリカ映画『ドライブインマンハッタン』を鑑賞。タクシードライバーとキャリアウーマンの女性客とのタクシー内での会話で成り立っているめずらしい映画でした。きわどい言葉がたびたび出てきますが下品に感じない。女優さんがとても美しくて魅力的だからだと思いました。あらすじはカットしますけれど、この映画で感じたことは、人間は誰にも言えない秘密を一つや二つは持っている。その半面誰かに話したい、聴いてもらいたいとも思っている。話したことによって話した相手との関係に微妙な隙間が出来たり、気まずくなる可能性がある。しかし自分の人生にまったく無関係の人なら後腐れがない。タクシードライバーと客の間柄はまさにそれ。2人は気を許しいろいろ語る。これはフィクションの映画だから面白いのであって、実際だったら危険です。タクシードライバー役の男性は真面目で誠実な雰囲気ではないので、映画を観ていても危険を感じてしまいました。 愛についての会話は、アメリカ人であれフランス人であれ日本人であれ、表現の仕方は違っても人を愛する思いに変わりはないんだなあ、とシャンソンで愛の歌をうたう私の感想です。 |
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2025年2月19日(水) また寒波がきたようです。早朝はそれほど寒さを感じなかったので6時半からのラジオ体操に間に合うよう長居公園へ行きました。公園の北口に今までケヤキが植わっていたのをどこかへ移植して代わりに桜が植えられました。春になるときっと華やかになることと思います。数ヶ月かけての大工事でした。でも大きくなっていたケヤキをどこへ持って行ったのか気になりますので、毎日ラジオ体操に来られていて公園のことに詳しい方にお訊きしてみたいです。 2月17日の朝日新聞に記者サロン「その街路樹切らないとだめ?」という見出しの記事が大きく掲載されていました。安全対策を理由に伐採が進んでいる。緑を増やそうとしている世界の動きに逆行している。樹木医が伐採の必要はないと判断した木も撤去されている。落ち葉の苦情で「強剪定」の樹木が増えているとも。このような木を伐採する話を目にし耳にしますと息苦しくなってしまいます。木なんかいらない、面倒だという方がいる一方で、樹木を愛し大切に思っている方もいます。価値観の違いは本当に難しい。意見の違いを互いに歩み寄ることができれば争いは起こらないのでしょうけれど。地域と行政が互いに納得できる形を考えるのが一つの解決方なのでしょうか。 私の願いは都会にも木を増やし緑豊かな環境になれば嬉しい。たまに奈良・五條へ行きますと今まで畑だったところが分譲住宅に替わっていたりして寂しく思います。 |
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2025年2月18日(火) 近鉄文化サロン阿倍野教室の日。『枯木の上に』をレッスン。私にはこの歌は今の季節でないと歌いにくい歌です。1965年今から60年前の作品で、作詞:ピエール・ルーキ 作曲:コレット・マンサールでルーキの歌ですが、ジュリエット・グレコが歌い有名になりました。ピエール・ルーキはジョルジュ・ブラッサンスの友人とのこと。 私の好きなシャンソンのひとつに『枯木の上に』を入れたい。しみじみとした素朴なメロディで、こういう歌はドラマティックな歌より難しいものです。初めてレッスンしたのは19歳の頃で、歌の意味を理解するのはまだ無理なことでした。年を重ねるうちに否が応でも心の機微がわかるようになるものですね。 ラテン系のフランスと日本とでは気質が違いますのに、シャンソンを歌っておりますとフランスも日本も人を愛する気持ちに変わりはないことを今更ながら感じ入ります。 |
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2025年2月17日(月) 一生お話しすることもなかったであろう方と2年前に友だちになった話です。 ある日門のブザーがなりどなたかしらと思いましたところ見知らぬ綺麗な若い女性でした。聞きますと道を挟んですぐ近くに住んでいる方でその方の家から私の家が見えるくらいです。「家の周りにいたネコがいなくなったので交通事故にでもあったのかと心配している。ある方から奧田さんの家で最近ネコを飼いだしたと聞いたので見せてもらいにきた」と言われるのです。我が家のネコを返してくれという話かと思い一瞬ドキッとしました。アーモンを連れてきましたら「ああ、このネコです。よかった、安心しました。3年位前から今外ネコとして世話をしているツーちゃんという猫についてよく来てたんですよ。大きいネコだから他の野良猫は近づかず、それでいて自分より小さなネコにはやさしいネコでした」と。アーモンの行動範囲はかなり広かったようで、知っている方が多かったとのこと。ある時は痩せて薄汚れていたり、ある時はふっくらして綺麗だったりと不思議なネコだったようです。 その方いわく、「アーモンは真祐美さんの家を選んだんですわ」。そう言われると悪い気がせず「そうか、アーモンは選んでくれたのか、ありがとう!」と喜んでいる親バカになりました。 近所に住むその方の家には元保護ネコのコバン、近くの溝から出られなくなったネコを消防の方に引っ張りだしてもらい飼うことになったレスキューというネコ、そして外ネコのツーちゃんの3匹の世話をしています。過酷な条件の中で生きているネコを無視できない心やさしい方。「これからもアーモンに会いにいらしてください」と家におよびし、次は寄せていただきネコ談義をするネコ友になったわけです。一回り以上年が離れていましてもそのような気がしないのはネコという共通の繋がりがあるからですね。それも血統書つきといったネコでなく、可哀そうな野良猫や捨て猫などに心が向くネコ派です。 アーモンを抱っこしてもらおうとしましたら「アーモンがこわがって嫌われたらイヤなので無理な抱っこは止めておきます」と言われました。その気持ちよく分かります。 ![]() やけどしないか心配しました。 |
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2025年2月16日(日) 33年前に出した初めてのエッセイ集『愛ひとり旅~シャンソンとともに』をパラパラと読み返していました。私はこんな文章を書いていたのかと思うと同時に今も同じ思考であることに複雑な気持ちがしました。 1冊の本にする前に月刊『SEMUBA』というタウン誌にエッセイを連載していましたので37年前からの文章です。今、同じテーマで書けと言われてもこの時のようには書けません。当時はパソコンはなく手書きの原稿でしたのによくこんなに書くことができたなあと。年を重ねるとそれだけ深い文章が書けるはずですのに、思考能力、根気、体力それと何かが足りない。それは目標かもしれない。 2月に入ってから新聞、テレビ、ラジオで寒波がくる寒波がくると予報するので用心して5日から10日間ほど早朝の長居公園でのラジオ体操は休みました。家で体操はしたものの心身ともになんだかすっきりしないことでした。けれど暗く寒い朝、無理して何かあっては大変。意志というか、意地と根性よりもう少し心をやわらかく生きたいと思う気持ちがいろいろな面に現れるのですね。 今朝は寒くなかったので久しぶりに早起きして外で思い切り体操が出来ました。 |
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2025年2月15日(土) 先日、私が知人に送ったメールに返事がなかったのでなぜかと考えました。 ①忙しくて時間がない ②何と返事してよいか分からない ③つまらないメールなので返事をする気になれない ④体調が悪くてメール出来ない ⑤メールできる状況でない ⑥スマホ不良 ⑦関わりたくない のどれかではないか。私はよほどでない限り友人知人からのメールは無視せず何らかの返事をします。返事がなくても気にならないことと気になることがあります。この間、ある問いかけに対して返事がなかったのでどうしてかと訊いたところ、私の言葉に知性を疑ったとか。それを聞いて(電話でなくメール)何と失礼な人だろうと驚くか、自分が悪かったと反省するかだと思います。知性を疑うような言葉だったから返事をしなかったというわけで、.それならそれで遠慮なく正直に感じたことを伝えた方がいいと思いました。私には常識がないこともたくさんありますし、知らないこともたくさん。知性を疑うという言葉に腹を立てるどころかなぜか可笑しくなりました。 知人は前に、手塚治虫の「火の鳥」というアニメを見て、黎明編のストーリーが余りにも稚拙で、あの手塚治虫もこの程度の知性かと書いてましたので。 |
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2025年2月14日(金) 確定申告の時期、毎年お世話になっている女性の方が資料をとりに来訪。お渡ししますと「いつもちゃんと整理して下さっていて仕事がしやすい」と言ってくださり嬉しく安堵。その方の年齢は知りませんが、私より若いのは確かです。保護ネコを飼っておられ猫好きと知っていましたのでアーモンを紹介。その方は離婚してシングルマザーとして働き子どもを育てていると聞いていました。ところが今日の会話の中に主人という言葉が出てきましたので、結婚されたのですかと。はいというお返事で、趣味のプールで知り合ったとか。お互いに再婚でそれぞれの子どもは独立していて今は夫婦とネコとで暮らしているという話でした。ご主人は最初は「猫なんか…」と関心がなかったのに今では「たま~」と猫なで声を出してメロメロだそうです。 その女性そういえばきれいに明るくなられた。「一人は気楽ですけれど、一緒に食事したりするのはやっぱりいいものです」バレンタインデーにふさわしいようなお話でした。 |
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2025年2月13日(木) NHKEテレで白洲正子の人物像を放送していました。亡くなって27年。夫は白洲次郎。正子は随筆家であり、確かな審美眼を持った人として高く評価され、憧憬されています。私が婦人之友社に2年数か月在籍していた56年前、白洲正子さんは知る人ぞ知る存在で、世間の誰もがよく知っている方ではありませんでした。私が知らなかっただけかも…。婦人之友のグラビアで白洲正子さんが選んだ陶芸作品を掲載していました。担当者は画家深沢紅子さんの息女深沢泉さん。白洲正子さんの担当ですからしっかりした人でなければ勤まらなかった。私など新人は使い走りでグラビアの仕事はそう簡単にさせてもらえるものではなかったように思います。その時、「白洲正子さんは本当の美が分かる方」と教えられそれが頭に焼き付いていました。高価なものがいいのではなく、田舎のどこかに忘れ去られた中にも良さを見出す。誰かの意見に左右されるのではなく自分の目を信じ判断力がいる。それには見る目を養わなければならない。白洲さんは好きか嫌いかがはっきりしていたそうです。また手に入れたものは箱に入れてしまっておくのでなく、日常生活で使うことが大切だと. 初めて婦人之友社で白洲正子さんの存在を知ってから約40年後、町田市にある白洲次郎、正子夫妻の自宅、武相荘が一般公開されることになり、東京でのコンサートの翌日見に行きました。公開されると知ってすぐの年でした。辺鄙なところでなくそれでいて自然に恵まれた素晴らしいたたずまい。住む人の人間性というか、精神性を感じました。すべてが調和している。建物も庭も家具も置物も、それらの色彩も。 人それぞれの調和した生活、人生が望ましい、と思う日々です。 |
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2025年2月12日(水) 今日2月12日は満月、スノームーンと呼ぶそうです。大雪の多い2月の満月の名前でアメリカ先住民が農事暦として名づけたとか。先ほど外に出て暗い空を見上げました。やわらかい雨が降っていてお月さまを見ることは出来ませんでした。 2月は私の両親の誕生日。父は母より2つ年上で誕生日は同じ。お見合い結婚ですから釣書を交換するとき少し話題になったのではと思います。同じで良かったのは親の誕生日を忘れず誕生祝いを一緒にできたこと。父母は2月、姉は1月、私は12月生まれ、思えば家族みんな冬生まれです。冬生まれだからと言って特別な特徴があるとは思えません。いっとき血液型の性格判断が流行し、今でも何かといえばすぐ血液型を訊ねる方がいますが私はまったく信じない。他人の血液型を知ってどうするのかしらと。輸血の時は〇〇型RH+か-が必要ですけれど。友人知人の年齢を知ることは大事だと思っていますが、血液型の場合は先入観でその人を見るわけでそれは避けたいのです。先入観にとらわれず人と接したいもの。 アーモンはいつ生まれたのか分からず残念。 |
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2025年2月11日(火) 祝日の今日は建国記念の日。 知っているようではっきり知らなかった日でした。 1873年(明治6年)明治政府によって神武天皇の即位日紀元前660年1月1日(太陽暦では2月11日)を紀元節として制定。しかし第二次世界大戦後、GHQにより紀元節は削除されました。ところがだんだんに復活の声が上がり、紆余曲折の末、1966年(昭和41年)に建国記念の日と名を変え祝日に。神武天皇は神話の人物で実際に存在したかどうか事実ではありませんから建国記念日とはならず、建国記念の日として「建国をしのび国を愛する心を養う」と規定されたそうです。 愛国心を持て、愛国心を養え、と命令されるようなものだろうか、と考えてしまいます。命令ではないにしても、生まれ育った母国を愛する気持ちは自然だと。 日本に太陽暦が採用されたのは1873年(明治6年)1月1日。太陽暦が採用された年に紀元節も制定された。西暦はイエス・キリストが生まれたとされる年を元年とする世界で最も多く使われている暦で日本はキリスト教国でなくてもこの年から西暦を使うようになったのですね。 |
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2025年2月10日(月) 寒波はなかなか遠ざかりません。家の中におりましても手の指先が冷たくかじかんでいます。 2月7日に「奧田真祐美後援会」4代目の会長、今西幸男さまが満90歳で亡くなられました。京都大学名誉教授。2014年(平成26年)から10年半会長をお引き受けくださいました。昨年12月2日のランチコンサートを当日になって欠席されそれ以来入院とのことでした。気になってご容態を伺うため奥さまの明美さまにお電話したところ、3日前に逝去されたことを知りました。天王寺高校の同級生だった福岡美彦さまのご紹介でリサイタルやディナーショーにお越し下さるようになったのでした。真面目、一見堅物のような雰囲気、それでいてユーモアがあり、人付き合いのいい紳士。1年に2度ほど明美さまもご一緒に3人でランチ会をして四方山話を楽しみました。今西幸男先生は退官後も研究会に出られたり、陶芸や太極拳、俳句もされていたとか。 奥さまを病気で亡くされた後かなり経ってから再婚されレストランで行われた披露宴に私もお招きを受け、『バラ色の人生』を歌いました。再婚なさってからとても明るくなられ、おしあわせそうで知人たちはみんな祝福いたしました。 一昨年のランチコンサートと昨年5月の中之島まつりにお越しくださったのが最後でした。会長としていつもステージの感想を書いて下さり、文才をお持ちの理数系の学者でした。 いつか開かれる偲ぶ会には先生を慕う弟子が大勢集まられることと思います。 |
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2025年2月9日(日) 訳詞と言おうか、フランス語の歌に日本語の歌詞をつけるのはとても難しい。シャンソン評論家の故蘆原英了先生でさえ「訳詞をしないの弁」という一文を書いておられるくらいです。 日本でシャンソンのレコードが発売されたのは1932年(昭和7年)で一番最初の歌はリュシエンヌ・ボワイエの『聞かせてよ愛の言葉を』。それには解説・原詞・訳詞がついていなかったのを蘆原先生が無理に売り込んで解説を書いたとのこと。本格的にそれらがついたのは1938年(昭和13年)発売の『シャンソン・ド・パリ』というアルバムで、このアルバムの表紙絵は藤田嗣治。このアルバムによって日本にシャンソンが定着したと言えるそうです。 いまではプロの訳詞家だけでなく歌手自身が日本語の歌詞をつけるようになりました。それなのになぜ蘆原先生は訳詞をしなかったか。一つは「訳す力がないから」もう一つは「原詞が入手できないことが多いから」と書かれています。1978年(昭和53年)に書かれたもの。蘆原先生に訳す力がないからと言われるとまるで能力のない私などエラそうに訳詞などとても出来なくなります。 フランス語の歌詞には意味不明なものやフランス人にはよく分かるけれど日本人には理解できないことも多い。またフランス語ではたくさんの言葉でも日本語をメロディにのせようとしますとわずかな言葉しか入らないので大幅な意訳となります。意訳し過ぎるときれいごとの言葉になったり、観念的な言葉の羅列になったり。ジャン・フェラの歌詞の場合、本当は具体的な言葉でなければ意味がないと思っています。どこまで出来るか、唸っているうちに時間が過ぎてしまいました。 |
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2025年2月8日(土) この間テアトル梅田へ行った折り、興味のある映画のチラシを持って帰りました。見に行く時間があるときはなるべく行くことにしています。ぜひ見たい映画なら時間をやりくりして。つまらない映画でも何か一つは印象に残るものがあります。 今日見た映画は昨日から公開になったばかりの『ステラ』。こじんまりした上映館内の客席に人はまばら。一番前が一番見やすく、ゆったりと過ごせました。 ヒトラーにユダヤ人同胞を売った女、という実在の話を元に映画化されました。ユダヤ人がユダヤ人を密告する話は知っていました。これは若く美しいジャズシンガーが主人公。ナチスの手が伸びてくる中でアウシュヴィッツ行きを逃れるため偽造身分証を作ったり、ゲシュタポ(秘密警察)の配下となる。ステラは生き延びるために被害者が加害者になるのです。 日本でもどの国でも戦時中は、上官の命令で敵を殺したり、命令でなくても相手を殺さなければ自分が殺されるというすさまじい状況。なかには自分が犠牲になっても仲間を助ける人もいたでしょう。コルベ神父の話は有名です。アウシュヴィッツで死を宣告された者の身代わりとなって餓死刑になった神父。凡人にはとてもそんなことは出来ない。ステラの最後は自殺します。自分に刑をくだしたのですね。 |
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2025年2月7日(金) フジテレビと中居正弘さんの問題がマスコミに取り上げられており、一体どのような事情なのかさっぱり分からない。分からないことをとやかく言うことはいかがなものか、と思いながら… これは見当違いの話かも知れません。ずっずっと前、信用金庫の理事長の集まりが毎年ホテルを借り切って行われ、私と他にシャンソン歌手2名が会食の席で歌うため参加しました。歌い終われば皆さまと同じテーブルにつき食事をいただく。翌日はゴルフへ行く人とこの日のために特別に拝観させてもらえるお寺へ行く人とが別れて行動します。会食後には二次会があるのですが、私は吞めないし、気を遣って高齢のエライ方々の中に入るのは気が重い。それで私だけ先に失礼していました。けれど残ってエライ方々に顔を覚えてもらい雑談していると歌の仕事の話が来る可能性があります。人の縁はどこで生まれるか分かりません。とは言えどうも気がすすまず遠慮しました。単に若い女性が輪に入っている方が和やかで楽しいからじゃないか、言わば接待役だと感じたものですから。 フジテレビの話とは関係のないことでしたが。 |
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2025年2月6日(木) 88歳になるシャンソン教室の一人の方は指にいつも綺麗なネイルが施されています。ある方は美しい指輪をいくつかはめておられる。シャンソン歌手である私の指は、と言えば、マニキュアもせず指輪もしない。白魚のような美しい手ではない。働く手だと思っています。手の形は母似、指は父似。マニキュアをすると息苦しく指輪をすると気になって仕方がない。唯一この間もコンサートの時にはネイルをしました。一ヶ月経って取ってもらいましたらツメに艶がなくなり、先の方が割れてきましたのでしばらく自然のままにしておきます。華やかなネイルで指を飾っている人は家事をしないのかしら。マニキュアだけでなく睫毛のマスカラも苦手。ステージが終わって家に帰りまずすることは、指輪を外しつけ睫毛とマニキュアをとること。(ネイルは取れない)ところがコロナの間に指が太くなったのか今まで入った指輪が入らなくなりました。せめてそれが入るようにしたい。痩せれば指も細くなるのでしょうね。痩せるのは難しい。 |
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2025年2月5日(水) 4日5日頃からこの冬一番の寒波が到来するとの情報が先週から入ってきたので、今朝は用心して早朝の長居公園行きは休みました。けれどじっと一日中家に閉じこもっているのは落ち着かず昼頃少し歩くことにいたしました。雪がパラパラ舞いはじめた最中。そのうち突然青空になったりまた曇ったり。鶴ヶ丘近くの小さなお店でコーヒーを飲みながらシャンソンの訳詞のことを考えたり、友人と会う日のことを考えたり。 ジャン・フェラの歌でシャンソン歌手の間では定番となっている歌詞があります。しかし原詩とは大きく異なっていて、ジャン・フェラがお好きでフランス語が出来る方から是非正しい訳の歌詞で歌って欲しいと言われました.。その方の直訳を元にメロディに合うように、歌いやすく、聴きやすいように歌詞をつけるのは至難の業。9年前に一旦は挫折しました。皆さんが親しんでいる歌詞以上のものが書ける自信はなくてもやってみることにしました。何という曲か、歌詞を作り終えましたら公表いたします。 ふと思い出しました。12歳から20歳まで寄宿舎生活をしていた時、春夏冬休みに家に帰れる日が待ち遠しく、机の上に特別なカレンダーを作って貼っていました。一目で終業式まであと何日と分かるカレンダー。1日が終われば色を塗っていく。幾つになっても「待ち遠しい」という感情は持っていたいと。 |
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2025年2月4日(火) 2017年にラジオ大阪で『奧田真祐美のシャンソンと共に』という番組を持ち、パーソナリティとして1週間に1回30分を1年間放送いたしました。早いものでもう8年も前のこと。ある日大阪へ新曲のキャンペーンに来られた美川憲一さんがゲストとして出演されることになりました。この番組の関係者の方からの急な話で予定していた台本や放送中にかける曲を変更し、美川さんへのインタビューに切り替え、質問事項を幾つも用意していました。しかし質問するまでもなく流暢にご自分のこと、シャンソンとの出会いなどを話され、2回分の録音を無事録り終えることができました。美川さんがシャンソンを歌うようになったのは淡谷のり子さんの薦めによるものと。美川さんは演歌歌手であってもコブシがきかない。声質もシャンソンに向いていると。 話の中の一つのエピソードです。深緑夏代さんの持ち歌で大切に歌っている『生きる』というシャンソンを美川さんが歌うと知ってリサイタルに石井好子さんと深緑さんが聴きに来られたそうです。深緑さんの許可を得て歌われたのだと思います。先輩が大事にしている歌を勝手に歌うのは失礼にあたる。シャンソン歌手は苦労して楽譜を手に入れ、訳詞、アレンジ、レコーディングなどいろいろな費用を使って1曲を作品に仕上げるのです。今でいうカバー曲とは違います。 美川さんは私に「あなたはどういう歌を歌っているの?」と訊かれましたので事務所宛てに『奧田真祐美ジャン・フェラをうたう』と『愛をみつめて』のCDをお送りしました。聴いてくださったかどうかは分かりません。そして、「あなた、『お金をちょうだい』を歌いなさいよ」と言われ、番組は笑い声で終了いたしました。 |
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2025年2月3日(月) 今日は立春。1月1日とはまた違う新たな年のはじめを感じております。 昨日テレビで『サンド・オブ・ミュージック』を見ました。何回も見た記憶がないので60年前に封切られたのを見ただけかも知れません。素晴らしい音楽が耳に残っており、子ども向けのミュージカル映画のような気がしていました。しかしそういう娯楽映画ではない。日頃からナチス・ドイツ、アウシュヴィッツに無関心でいられない私にこの驚くべき実話は社会的な問題を含んだ深いストーリーだと分かりました。政治、キリスト教、音楽、そして愛。これらが見事に織り込まれていて見る者を純粋な気持ちで感動させる。映画館だともっと感動したでしょうけれど、家の小さなテレビでも充分でした。テレビを見て涙ぐむなどあまりないことですので。 修道院の厳しい規則、大佐の厳格なしつけを見て、人間にはそれ以上にあたたかい愛が大切だと感じる映画でもありました。また自分のことを持ち出してしまいますが、8年間学んだ学校は修道院ではないにしろ厳しいところで甘やかされた覚えがありません。それでよかったと思っていますが、規則や道徳や常識を越えたものがあると分かったとき、私たちは心を揺り動かされるのですね。 |
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2025年2月2日(日) 立春、立夏、立秋、立冬の前日が節分。季節を分けるので節分と呼ぶのですね。江戸時代以降、特に立春の前日を節分と呼ばれるようになったとか。 なぜ節分に豆まきをするのか、鬼とは何かを調べましたら、季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると信じられていてそれを追い払うために豆をまく。豆には鬼をはらう力があると。元は宮中行事だったのが庶民にも広がったそうです。中国から渡ってきたものが日本に定着して日本古来の伝統になっているものは数知れません。 我が家でも昔は豆まきをしました。まくのは必ず父。雨戸を開けて庭にまく時、「鬼は外!」と言うなりすぐ戸を閉めるのです。鬼が入ってこないようになのか、その光景が滑稽でした。 今日のスーパーではいろいろな種類の巻きずしが恵方巻と名づけて所せましと並んでいて多くの人が買っていました。節分の日には食べるのが当然みたいに。この習慣は船場の海苔屋さんが昔からの言い伝えのように宣伝し、それが広まったという説が有力です。恵方に向かって黙って丸かじりすると厄をはらい福を招くという昨今の恵方巻ブームというより定着した世の中の風潮にどうものる気がしないのです。 節分といえば、平安時代から行われている奈良・春日大社の万灯籠。真っ暗な中に3000基の灯籠に灯される光景は素晴らしいものです。 30年前に出した2冊目の『猫とシャンソン』というエッセイ集に~年の始まりは立春から~で鬼について少し書いております。馬場あき子著『鬼の研究』を読んでのこと。 社会では一旦権力や財力を握った人間はいつの時代もその立場を守り抜こうと懸命になる。自分の地位や生活をおびやかすもの、危害を加えるもの、言うことをきかないものはすべて敵、つまり鬼。反体制、反秩序が鬼だとすると、社会からはみ出た者にとっては、権力者や支配者が鬼に見えるのだろう。立場が変わると見方も考え方もがらりと変わってしまう。鬼とは昔話や民話、伝説、神話の世界にすむ仮定の生きものだけでなく、人間世界の問題なのですね。 |
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2025年2月1日(土) 先日、五木寛之さんの対談集を購入したことを書きました。対談相手が埴谷雄高さんの時の話はかなり難しい内容で私には読みこなせなかった。ただその中に知っている人の名前が出てきたのでそれを書くことにします。詩人で作家の川崎彰彦さん。今から53年前の話です。これも前に書きました。大阪へ戻ってから数か月後に大阪文学学校に行きはじめました。姉も若い頃児童文学の講座に通っていたのでそういうところがあるのを知りました。私が選んだのは詩の教室。歌詞を書く参考になればと思ったのです。詩の教室は現代詩、それもプロレタリアの雰囲気に包まれた世界で歌詞作りには役立ちませんでした。ところが文学学校の事務局で短期間、校正の手伝いをたのまれ西区阿波座の古いビルの2階にあった狭い事務局へ顔を出すことになりました。そこに川崎彰彦さんが小説グループのチューターとしておられ、事務局の仕事もされていました。早稲田の露文出身で五木寛之さんと親しくされていたことは当時も知っていたことでした。茶色の封筒の宛名に五木寛之様と書いてあるのをよく目にしました。川崎彰彦さんは五木さんらのグループのリーダー的存在だったと対談で話されていて埴谷教のオルガナイザーだったと。 私が知っている川崎さんは無口、私とは用もなく話をしたことがありませんでした。アルコールが入れば饒舌になるタイプ。豪快とか男らしさとは一見無縁の影のある小説家。恋人がいるという噂話に若かりし頃の私には別世界のことのようでした。 五木寛之さんが、「三木卓、高井有一、川崎彰彦や僕は半島大陸の引き揚げ者で…」と話されているのを読み、あの川崎彰彦さんはそういう方だったのか、と今頃知ったわけです。 |
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2025年1月31日(金) 『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』という映画が1月31日に公開されると友人が教えてくれ、今日行ってきました。主人公の女性は元戦場ジャーナリスト。知的で美しい。末期癌におかされた彼女は治療をこばみ安楽死を望んでいる。そして親友に自分の最後の時には隣りの部屋にいて欲しいとたのむ。森の中の素晴らしい家で共に暮らす日々。2人の会話が大部分を占める映画です。ドアは開けておくがもし閉まっていたら自分はこの世にはいないと。 社会問題を美しい映像の世界で考えさせられました。 ノンフィクションの安楽死の問題を予想していますと違う気がします。以前NHKのドキュメントで安楽死の番組があり録画しておきました。日本人の女性がスイスで安楽死を願い、2人の姉を伴いスイスへ行くのです。その日、最終確認を経て点滴の用意をされ、自分の意志で点滴の管に薬を流す。数秒で苦しみもなく安らかに永遠の眠りにつく。その最後の情景までカメラにおさめられていました。年々身体の自由がきかなくなり、自分では何も出来なくなる。他人の手を借りなけれ生きていけなくなる前にと考えた安楽死。それほどの高齢ではなく、ちゃんと意識もある女性でしたからかなり衝撃的な番組でした。 私の姉は癌センターの医師の元で治療をし、入院はせず自宅での緩和ケアでした。もう限界だとの判断でモルヒネが投与され、その後は昏睡状態。3日後に亡くなりました。それを見ておりますので現実と映画とは違うことが分かります。 生まれてくるときも自分の意志ではないように、死ぬときも自分の意志ではどうすることもできない。自分の意志で死を選ぶ安楽死は日本では認められておりません。今後どのようになっていくことでしょう。 |
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2025年1月29日(水) 垣根の山茶花の赤い花が満開です。南に向かって咲いていますので家の中からは見えません。外を通る人に楽しんでもらえればいい。垣根というのはそういうものですね。 さざんか さざんか 咲いた道 の童謡『焚火』を思い出します。子どもの頃は大阪市内でも庭で焚火が出来ました。クスノキの小枝や葉っぱを燃やしますと実にいい香りがします。『焚火』の歌詞にしもやけが出てきて、さざんか、と言えばしもやけを連想するのです。それも子どもの頃のこと。足にしもやけが出来ました。姉はしもやけが出来ないのに私は母に似て冬になるとしもやけで赤く腫れました。しもやけのかゆみをどうやって治療したかと言いますと…大きな声では言えないのですが…母が教えてくれたやり方、細い針を消毒し赤く腫れた患部に刺すのです。すると赤黒い血が出る。少しも痛くなくむしろ気持ちがいい。姉は何てことをするのか、という顔をしていました。けれど次第に赤い血になってくると痛くなるので止めます。その方法で何とか治まっていました。今インターネットを見ますとそんなことをしてはいけないと出ています。東京の学校の寄宿舎で生活していた頃は部屋に暖房もなく、濡れたタオルが朝になるとバリっと凍っていました。それでもしもやけにならず助かりました。もしなっていましたら、皆の前で足を突くなどという行為は出来なかったことと。想像するだけで可笑しくなります。 |
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2025年1月28日(火) 女性の平均寿命2022年では87,09歳、78歳で亡くなった姉は10年早かった。姉は癌の告知を受けた時、「悔いはない」と言いつつも奇跡が起こることを願っていたと思います。3月末に主治医から余命3ヶ月と宣告されてから大阪にいる私もできることと言えば毎日電話をかけて話しをすることと、食べたいものがあれば送ることくらいでした。そしてひと月に1回顔を見につくばまで出かけた時、義兄と2人の娘の3人は姉の介護の段取りを相談しておりました。何日の午前中は誰が来るか、午後は誰が、と予定を立てているのを見、姉のファミリーというものがあって妹であっても入っていくことはできないものを感じました。物理的に何も手助け出来ないのですから当然のことですが。 往診医、看護師、介護士、理学療法士、それに夫、娘2人がいて、自宅で最後を迎えられた姉は幸せだったと思います。痛みと痒みで苦しくつらい日々であっても。 人はどれだけ長く生きるかでなく、いかに生きるかが大切なのだと感じます。 |
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2025年1月27日(月) アウシュヴッツ解放80年、亡き姉の80歳の誕生日。感慨深い日でした。 なぜアウシュヴッツに関心があるかと言いますと、好きなシャンソン歌手を挙げよと言われれば一番目に挙げるのがジャン・フェラ。彼の父親はアウシュヴッツで亡くなっており、フェラの代表的な作品の一つに『夜と霧』があるのです。ジャン・フェラの歌を歌おうと思うと『夜と霧』は避けて通れない。日本ではどなたも歌ってないので永田文夫先生に訳詞していただきました。20年前のことです。 アウシュヴッツに関する本を目にしたら購入し、テレビ番組があれば録画しました。最近では『アウシュヴッツ女たちの”サボタージュ” 』『アウシュヴッツ潜入した男』『アウシュヴッツ死者たちの告白』。書籍では『夜と霧』をはじめ、『アウシュヴッツの音楽隊』『生きる勇気 アウシュヴッツ70年目のメッセージ』『夜の記憶日本人が聴いたホロコースト生還者の証言』『アウシュヴッツ潜入記』など。もっともっとあることと。 生還者の人々がいる一方ですぐガス室に送られた人もいる。 寒さ、飢餓、病気、見せしめで殺された人もいる。わずか80年前のことなのですね。 シャンソン『夜と霧』の歌詞を載せることにいたします。 作詞・作曲:ジャン・フェラ /日本語詞:永田文夫/ 日本での創唱・録音:奥田真祐美 1)知ってますか夜と霧を 人種が違うだけのことで 虐殺された多くの人を あの呪わしい過去の歴史を 聞こえますか捕らえられて 二度と陽の目を見ることもなく 死んで逝った多くの人の 闇を引き裂く叫びの声が 2)分かりますか僅かばかり 残る希望を頼りにして 震えながら神に祈る 瘦せ衰えた彼らの姿 信じますか天国なんて 戦争という悪魔の国で 死んだ彼らが後に残した 形見は夜と霧の影だけ 3)たとえ運よく死出の旅から 戻れた人があったとしても 生き長らえた彼らは果たしてまた幸せになれたでしょうか 忘れようと努めながら 思い出してはいつもおびえ 遠くカミナリ鳴る音にさえ 色青ざめる暮らしなのに 4)人は言います もはやすべて 昔話になったのだから 詩人は愛を 愛の歌だけ歌っておればよいのだなどと けれど正しく伝えなければ子どもたちにあの出来事を そこで詩人は書いたのです おそろしい歌 夜と霧を 5)おわかりでしょう 今この歌が 歌われるべき 理由(わけ)とは何か 世界中を支配するかも知れないのです 夜と霧が |
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2025年1月26日(日) 31年前に知人の外科手術を担当して下さった先生は70歳をこえた今も公立病院の重責に就かれ活躍中。奥さまは元医師。3人でお話をする機会があった時の話題。一つはコロナ。先生は何度かテレビでコロナの問題を話されていました。お二人とも7回ワクチンを打たれたのですが、2回コロナに罹られたとか。先生がおっしゃるには、この間血液検査をしたら一つだけ数値が倍ほど高くなっていたのがあり、アルコールと食べ過ぎに気をつけようと思ったけど駄目だったと言われ、何かちょっと安心。今も会議などで月に2回は東京へ行かれるとか。それを伺い、大阪から東京は遠い気がしていましたが、そうだ行ける時に行かないと後悔すると思いました。 姉は行動的でした。もう一つの話。ある患者さんが手術をしなければならなくなった。けれど家にネコがいるから入院は出来ない。だから手術はしないと拒否されたそうです。数日の旅行でしたらネコシッターに来てもらうことが出来ますが、長くなる入院の場合は大変なこと。最近では老人施設でも犬や猫と暮らせるところが出来てきたようです。病院でもペット可になればどんなにいいか。先生もある時期ネコを飼われていたのでペットに無関心ではない。そのような病院が出来ればいいが…と。 |
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2025年1月25日(土) 水道屋さんに修理をたのんで丁度1週間、今朝漏れていたところを直してもらいました。暗く狭い床下にもぐり込んでの作業。地面は水で濡れていますし冷たかったことと思います。植木屋さんも大変なお仕事、水道屋さんはそれに輪をかけてご苦労な作業。今回すぐに問題の箇所が見つかり、床板を剝がさずに済みありがたいことでした。人間の身体でもどこか一ヵ所に小さな棘が刺さっているだけでつらく憂鬱になりますもの、生活の場で気になるところが修繕出来てほっと致しました。スマホで写した水もれの写真を見せてもらいますと、それはそれは勢いよく水がほとばしっていました。何か月も放っておいたらどうなっていたかと思いますとぞっといたします。 |
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2025年1月24日(金) 昨年の大晦日、天王寺まで出かけたついでに本屋へ寄りました。家にまだ読んでいない本がありますのについつい見て回り五木寛之の対談集を購入。文字の小さな古典文学は読めなくなりノンフィクションか随筆に目がいってしまいます。もう何年前のことか分かりません。(手帳を見てもいつだったかさがせず)国際ソロプチミストの会員だった頃、講演会の講師に五木寛之さんをお招きする年がありました。 会場は大阪の千里阪急ホテル。私が新大阪までお出迎えとお見送りをする係りになりました。プラットホームでお迎えしタクシーで会場までご案内。タクシーに乗っている間に自己紹介をし、シャンソンの話題になりました。日本で歌うのだから日本語で歌うのがいいと言われました。つまり訳詞で。そして私のリリースしたての4枚目のCDアルバム『理由(わけ)もなく』を進呈しました。その中にロシアの歌『百万本のバラ』『しあわせな3日間』やポーランドの曲も収録しており早稲田の露文を出られた五木寛之さんですのでロシアやポーランドの歌に関心を持っていただけたらと。講演会終了後再びタクシーで新大阪のプラットホームまでお見送りをして私の任務は終わりました。 五木さんが何かの本にロシアの画家ワルワーラ・ブブノワさんのことを書いておられ、私の知人もブブノワさんのことを本に書いていますので、今でしたらそれも話題にすることができたのですが。一つの思い出です。 |
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2025年1月23日(木) 今日は今年初のNHKシャンソン教室でした。体調不良の方やご用のある方の欠席で半分の方でレッスンを。1時間半ほとんど歌いっぱなし、昨年のレッスン曲の復習からはじめ新しい歌に入りました。どれもこれも恋の歌、どうして恋の歌はこんなにせつないのでしょう。 話は一変いたします。 今朝録画しておいたテレビ『映像の世紀』~戦争のトラウマ 兵士たちの消えない悪夢~を見ました。第1次世界大戦で戦地に駆り出された人たちの想像を絶する体験から発症するシェル・ショック。 心の異常を訴える兵士が続出。けれど原因や治療法が解明しなかった時代では単なる臆病とみなされ罪で死刑になった兵士もいたり、恐るべき電気ショックで短絡的な治療を施し、少しでもマシになると再び戦地に戻されたり。戦争というのは敵を殺すのが目的と徹底的に教えられ、相手を人間と見ないことを叩き込まれたのですね。日本では戦争神経症と呼ばれました。それはそれは激しい痙攣で、その姿を見て胸が苦しくなりました。戦地から帰ってから精神に異常をきたし自殺する人が多くいるとか。今でも戦争が行われている。こんなに残酷で野蛮で恐ろしいことと誰もが分かっていることなのに、なぜ人間は同じことを繰り返すのか、どうすればいいのか、何ができるのか、と考えてしまいました。 |
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2025年1月22日(水) 火曜日の夜東京のクラスメイトから電話があり、かなり長かったので終わったのが10時、それからブログに取り掛かりますと何時になるか分からず休むことにしました。今朝は目覚ましを止めてアーモンとうつらうつら。今日のアーモンは暴れまわらず静かにひたすら私の顔舐め。長居公園行きも休んでしまいました。 『真祐美通信』の用事で知らず知らず疲れていたのかもしれません。義兄は姉が亡くなって3ヶ月後に脳出血で入院しリハビリ後退院して1年。落ち込む日と元気な日があるようですが、次女が庭仕事に必要なものをクルマで運んでくれて庭の手入れをしていたら元気が出てきたとのこと。一人でも食事はちゃんと作っているそうで、そのうち休んでいた版画も徐々にやってみたいと。 私も明日は寝坊しないで早起きします。 |
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2025年1月20日(月) 1月はなんやかんやすること考えることがあって1年の助走という感じです。新年の挨拶状を兼ねている『真祐美通信』の発送が終わりましたので少しほっとし、家の電気水道の修理も終わればようやく落ち着いて動けそうです。 今年も時間があればいい映画を見るつもりです。先日は『オークション~盗まれたエゴン・シーレ』エゴン・シーレの名画を巡る実話を元にしたフランス映画を見ました。ナチス・ドイツがヨーロッパ各地の美術品を略奪し、2000年代にフランス東部で見つかったエゴン・シーレのひまわりの絵をめぐって美術オークションの世界のかけひきが描かれていました。 映画のチラシにナチスという文字が入っていましたので関心をもちました。今日は『孤独のグルメ』。いつもテレビで見ているのとは違い奇想天外のストーリー。けれどいつも見ているから分かる面白さがあり、人はどういうところに面白さを感じるのか、それが面白く思いました。 |
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2025年1月19日(日) 洗面台から音がする正体は給湯器の管が劣化しているための水漏れと分かりました。給湯器のネジを締めると音がしなくなりますが湯が出なくなる。水は出るのでほっとしましたが壊れたところは早く直したい。そう思いますと、機械でも身体でも特に問題がないというのは何と幸せなことだろう、と痛感いたします。 何かありますと早く解決させたい性分で、いつまでもノロノロぐずぐずはどうも苦手。けれどじっくり考え時間をかけなければならないこともありますので、忍耐忍耐。 |
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2025年1月18日(土) 朝5時に鳴った目覚まし時計を消した後、またまたアーモンとの格闘がややあって「何時かしら?」と時計を見ますと6時。今日は長居公園行きをさぼるわけにいかず飛び起きました。少し遅刻しただけでラジオ体操に間に合い、お二人の方に『真祐美通信』をお渡しすることが出来ました。お一人は元旦の初日の出を見る時のお神酒をご用意してくださった南田辺連合会会長の坂本敏和さんと綱島慶一さん。知人の友人の綱島さんはどなたかとサンケイホールのリサイタルにも来てくださったことがあるとか。ラジオ体操で顔見知りになった本田護さんは何年も前にライオンズクラブのパーティに奧田真祐美をゲストに招き歌ってもらった、と言われ驚いたことがありました。確かに証拠写真があり、赤いドレスを着た若い私が写っていました。『猫とシャンソン』というエッセイ集を出した頃で本に私のサインがしてありました。同じくラジオ体操で知り合った安部紀久子さんは偶然にも私の小学校の友だちと高校時代の親友だと分かったり。安部さんの息子さんの病院の主治医が私の従姉妹の夫だったり。人間の繋がりは面白いものですね。 最近電気屋さんにたのむことがおきたら今度は水道屋さんです。何日も前から洗面所のどこからか水もれの音がするのです。最初は時計の秒針の音かと思っていました。時計でないことが分かりいよいよ水道屋さんに電話。ところが留守電になっていて用件を録音してもなしのつぶて。仕方なく大阪市水道局に電話しましたら業者を3ヵ所教えてもらえました。それぞれに見積をとって決めたらよいとのこと。1件目は留守電。2件目は夜7時か8時になるというのでお断りました。3件目は親切な応対で翌日連絡が入り見に来てもらえました。漏れているところが分かり修理工事は後日。築35年になりますとあちこち具合の悪いところが出てくるのですね。メンテナンスの必要性を感じました。 |
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2025年1月16日(木) 郵便を出しますと必ずと言っていいほど何日も経ってから「宛先不明」で何通か戻ってきたり、郵便を受け取ったが〇〇は昨年亡くなりました、という連絡が来たり。きょう今年初めてまとまった数の郵便物を発送いたしました。第94号『真祐美通信』、どうか全部無事にご本人に届きますようにと願いながら。 郵便局へ持って行きますと料金が不足していないか一通一通はかるのです。値上がりしてから定形ですと50グラムまで110円。もし51グラムでしたらプラス70円追加が必要になります。今日は1通だけオーバーしていて追加を支払いました。中身は同じものを入れているのに不思議です。近所の方々は手渡しすることにしていてクルマで回ります。今日も1件お店が閉店していて驚きと同時に縁がきれることを残念に思いました。 携帯電話を持たない方からお葉書を頂戴しました。お寺の坊守さんで、先日NHKEテレ『こころの時代~宗教、人生』富和清隆さんの出演番組の再放送をもう一度じっくり見たこと、そして感動したことが書かれていました。私も録画してあり、何度か見ているうちに最初は気づかなかったことが少しずつ分かってくるようになるのですね。 |
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2025年1月15日(水) 以前は1月15日と言えば成人式でした。今年は13日、つくばに住んでいる姪から息子が二十歳になり成人式だというメールが届きました。私はもう充分過ぎるくらい年齢は大人ですのに自覚が足りないのは、二十歳の時に成人式に出席しなかったからかしら、と。私の成人式の時は学部2年という学生の身分で、寄宿舎の生徒は村役場へ行きました。着物を着る人はいません。学校では着物を着るという発想がない。二十歳になっても学生ですからお化粧は一切しない。派手な洋服も持っていない。親がそばにおりませんので自分たちだけで地味な服を着て式に行ったことと思います。私はと言えばその日何の用事だか、姉が大阪から東京に来ることになっていて成人式より姉と会う方を選びました。今思えば一生に一度の成人式に参加すればよかったという気が致します。姪の息子は二十歳の集いに出席するため米国の大学から冬休みに帰国したとのこと。姉が生きておりましたら大人になった孫の姿を見たかったでしょうに。 |
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2025年1月14日(火) 年賀状はまだ発送しておりません。二十四節気の最初は立春。1年の始りは立春からという考え方もあり、2月3日までに届くようにと思っております。例年は2月3日が節分で4日が立春ですが、今年は2日が節分、3日が立春になるそうです。 今日のシャンソン教室では『水に流して』をレッスン曲に選びました。原題は『いいえ、私は何も後悔しない』作詞:ミッシェル・ヴォケール、作曲:シャルル・デュモン 歌はエディット・ピアフ。 辛いことがあった時など力強いこの歌を歌いますと勇気が湧いてまいります。ゼロからまた出直すのだ! 歌によって励まされ光りを与えられることがあります。言葉とメロディが一体となり身体にしみ込んでくる時の感動を忘れずにいたい。感動していただけるような歌を歌いたい。 |
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2025年1月13日(月) 朝のラジオ体操も1日休みますと休み癖がつきそう。このひとことも昨日休みましたので今日は休めない。シャンソンの友だちからシャンソン歌手のしますえよしおさんが亡くなられたことをききました。私より年上ですが、おいくつか知りません。死因も知りません。宇井あきら先生の弟子で銀巴里にずっと出ておられました。銀巴里でもコンサートでもご一緒したことがありますがお話した記憶はありません。ソフトな声と歌い方で女性が好むレパートリーを多く取り入れてらした。本当は社会的な歌がお好きだったそうですが、お客さまの好むのはやはり愛の歌なんですね。 シャンソンの先輩には宇井あきら先生に習ったという方がとても多い。私も最初石井好子音楽事務所で宇井あきら先生を紹介してもらいましたが、宇井先生から初心者は堀内環先生のところへ行くようにと言われました。宇井先生は『今日でお別れ』の作曲者。堀内環先生は芸大を出てからシャンソンの世界へ入られたかたでした。ある日先生のお宅でレッスンを受けておりましたら、もうすぐシャンソンコンクールを受けるという方やカンツォーネコンクールを受ける方がレッスンに来られていました。コンクールに優勝するには歌がうまいだけでなく、若さつまり将来性、ルックスが大切。私の目の前でレッスンを受けていた方はお二人とも優勝されました。別々の日ですがシャンソンでは田中方子さん、カンツォーネでは千葉紘子さん。優勝された後に行なわれた発表会にも特別に参加されました。化粧法も変わりスターらしくなっていかれました。 しますえよしおさんと親しく素晴らしい歌唱力を持った村上進さんもずっと前に亡くなっておられ残念なことです。 |
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2025年1月11日(土) テレビのリモコンの電源が効かなくなるのは不便です。いちいちテレビのところへ行かなくてはならない。エアコンの暖房の効きが悪く1時間経っても涼しい風しか流れてこない。玄関の吹き抜けの電球が切れたので高い脚立を使わなくては電球を替えられない。買って28年くらいになる冷蔵庫の音が大きくて気になる。屋根裏の物置の蛍光灯が切れている。自分では直せないものばかり。電気屋さんに来てもらってみてもらいました。 何か一つでも気になることがありますと落ち着かず早く解決したくなります。生活をしていますと何かしら不具合が出てくる。その都度よい方法を考えて処理していくしかないのですね。 第94号 『真祐美通信』新年号を印刷に出していますので、その間に発送の準備。どなたに出すか全部点検をして、定形50グラムまでなら110円の切手を買い(できるなら封筒の色に合う色とデザインを選んで)印刷が出来上がるまでに切手を貼っておきます。今の時代にそぐわないやり方をしていることと。 |
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2025年1月10日(金) 昨年の秋にも「ひとこと」に書きました。また同じことになりますが。 丁度1年前、NHKEテレ『こころの時代~宗教・人生』に私の従妹の富和万紀子さんの夫富和清隆さんが出演したのをたまたま知って再放送を見ることができました。そして明日11日(土)13時からまた再放送がありますの でお知らせいたします。もしお時間がございましたら。タイトルは『共にあることー大仏様のお膝元にて』。 東大寺境内にある~奈良親子レスパイトハウス~で難病や重い障害を持ち在宅で治療を受ける子どもとその家族に、宿泊して奈良の文化・自然に触れてもらい、息抜きと生きる喜びを感じてもらう取り組みを2010年から行っている。そのような内容です。 「生まれてきて良かったと感じる、医療以外のサポートが必要」という考え、音楽もそうですね。 |
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2025年1月9日(木) テレビの「日本歌手協会歌謡祭」という番組に淡谷のり子の名前があったので見ました。高英男、浜村美智子、前田はるみ、雪村いづみの方々も出演。音楽評論家で訳詞家の永田文夫先生主催のコンサートが東京日本橋の三越劇場で春と秋に開催され、私も何年間か出演いたしました。永田先生が亡くなられてからコンサートは行われなくなりました。 三越劇場でのステージで高さん、浜村さん、前田さん、雪村さんとご一緒いたしました。その頃より若い頃の映像、淡谷さん、高さんは亡くなられていますし。 シャンソンコーナーもあり、『恋心』『聞かせてよ愛の言葉を』『幸せを売る男』『愛の讃歌』『おお、我が人生』の4曲。アズナブールの『おお、我が人生』はシャンソンの本にも載っていますが、原詩とは全く違う歌詞で、いつもこの歌を聴くと違和感を感じてしまいます。他にも原詩と違う歌はいっぱいありますので言い出したらキリがありません。『愛の讃歌』もまるで違う。全く違っても気にならない歌もあれば気になる歌もあるのです。ジャン・フェラの『ふるさとの山』も原詩とは大きく違っていてフランス語が分かる方は気になって仕方がない。 小野有五さんはフランス語が出来、シャンソンがお好き、特にジャン・フェラが好きだと言われる。私に正しい訳詞で歌って欲しいと言われたのですが、古賀力さんの訳詞があまりにも浸透していることと、原詩に忠実に歌詞をつけるには無理があり、ギブアップしてしまいました。けれど本当は原詩を大切にすべきだと思っております。話がそれました。三越の時も有名な歌手の方と同じコンサートに出演しましても楽屋へ挨拶に行く以外個人的にお話する機会などなく記念写真もありません。支離滅裂な文章になりました。テレビを見ての感想、 淡谷さんの『聞かせてよ愛の言葉を』はとても良かった。ベテラン歌手の皆さまはやはり貫禄と自信がある。若い歌手にはない深さがある。 |
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2025年1月8日(水) 和歌山県立博物館で開催「熊野信仰の美と荘厳」~熊野速玉大社の神像と古神宝~に友人に誘ってもらい急遽行ってきました。阪和線で天王寺から和歌山まで、そこからバス。けやき通りがあって美しい街並みでした。和歌山城のすぐ傍に位置する美術館、博物館はモダンな建物。その前に徳川吉宗像。 ![]() ![]() 拝観後は隣りの和歌山城へ。階段を登って行きますと目に入ったのは白い猫。寒いのに草むらの中で昼寝をしていましたので近づいて写真を1枚。 ![]() ![]() すれ違う観光客のほとんどは言葉が分からない方々でした。天守閣に上がりますと和歌山市内が一望でき素晴らしい景色でした。廊下には和歌山県出身の人物のパネルが並べてあります。その中に私の大叔母の夫、高橋克己氏の写真もありましたので記念に撮っておきました。 ![]() 久々の和歌山、これを機に熊野古道を歩いてみたくなりました。 |
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2025年1月7日(火) 七草の日、土鍋で七草粥を作りました。しゃらしゃらのお粥でなく、おじやのような感じに。七草の香りが大好きで七草のセットの販売が待ち遠しかったです。子どもの頃はそのようなセットは売ってなかったように思います。冬の食べ物で思い出しました。奈良の母の実家から送られてきたおかきの話。火鉢の灰の真ん中に五徳を置きアミをのせて炭火でおかきをゆっくり焼きます。裏返したりまた表を向けたり。豆入り、海苔入り、エビ入り、さとう入りなど。さとう入りのおかきを焼きますと大きくうねるのです。お椀に熱い湯を入れ、そこに醤油を少したらし、焼きたてのおかきを入れると「シュン」という音がします。それで我が家ではその食べ方のことを「シュン」と呼び、朝ごはんの時に「シュンして!」とか「シュンしようか」と言っておりました。 家々で言い方があるのですね。このような食べ方をする方おられますかしら? 今は火鉢を使いますと火災報知器が鳴り響きます。ガスや電気で焼いては美味しくないのです。 |
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2025年1月6日(月) 朝は小雨。傘をさしてラジオ体操に行きました。雨でも長居公園へ来る方は決まっているようです。ラジオ体操の音楽が聴こえるところで雨のかからないところをさがして黙々と体操し、終わりますといつものように「アー」とロングトーン。そしてさっさと帰ります。 毎年行っている発表会やコンサートの会場を借りるとき、何月何日何時から電話で申し込みと決まっており、今日がその日でした。9時半からの受付ですので、時計を見ながらきっかり9時半に電話をかけました。ところがすでに話し中となっていて、何回かけても話し中。毎年そうなのです。根気よくかけ続けている内にやっと繋がりますが、疲れます。どこでも平日より土日は料金が高く設定されています。土日でなければ来ていただけないお客さまもおられるので、自主公演の場合平日にしたことがありませんでした。希望していた施設の土日は全てふさがっていてがっかり。会場の空きのある日で、ピアニストのスケジュールと合う日を選び決めなくてはなりません。シャンソン教室の発表会の日は決まり、私のコンサートについては考慮中です。 |
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2025年1月5日(日) 『ネガティブ・ケイパビリティ』のことで書き忘れていたことがありました。昨日書いたことと重複する部分もありますが。世の中は明確な答えのある問題ばかりではない。むしろ人間社会は解決できない問題の方が何倍も多い。先が見えずどうしようもない不安に耐えながら熟慮する。答えが出なくても問題に挑み続ける力、それがネガティブ・ケイパビリティ。 ![]() 今日用事で梅田に出て地下街を歩いておりましたらドアに向かって ![]() 明日の天気予報は雨のようです。樹木のために降って欲しい。 |
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2025年1月4日(土) これは昨年のことです。1月3日の朝日新聞の記事を読んで感動した言葉がありました。感動、感激は時間の経過とともに薄れてゆくもの。1年後の今日、忘れてしまわないよう今一度記事を読み返しました。 「答えを急がない力」が見出しです。作家で精神科医の帚木蓬生さんのインタビュー記事。 『ネガティブ・ケイパビリティ』かいつまんで言えば、先が見えず不安に耐えながら熟慮する。答えが出なくても問題に挑み続ける力こそネガティブ・ケイパビリティ(負の能力)。これに対し、正の能力、ポジティブ・ケイパビリティは、答えをみつける問題解決能力をさす。学校教育やテレビのクイズ番組も、記憶した答えを素早く吐き出すことを競う。人の脳はわからない状態に耐えられず、すぐに何かを決めつけて理解したつもりになろうとする。ノウハウ、マニュアル、ハウツーものが歓迎されるのは悩まなくてよいから。しかしそこには落とし穴がある。深い問題が浮かび上がらず浅薄な理解にとどまる。 言葉の由来は、19世紀の英国の詩人キーツが、シェークスピアが『ネガティブ・ケイパビリをもっていた』と書いていることから。それは他者を思いやる共感と、深い理解につながると。 世の中は不寛容な主張が強く、論争で優位に立つ。不寛容の行きつく先は戦争。戦争における論理の正しさは弱い方が持っていることが多い。などなど。 いろいろと考えさせられる記事でした。最も心に残っているひとことは「答えの出ない事態に耐える力」。 この言葉を頭の隅に置くだけでいいとあります。 今朝のアーモンはドタバタせず腕枕で寝ていましたのでそっと起きることが出来ました。昨日だってアーモンの攻撃に逃げ回らずさっさと起きればよかった。 |
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2025年1月3日(金) 新しい年があけてまだ3日目ですのに今朝はラジオ体操に間に合いませんでした。5時には目覚めたのです。丁度その時猫のアーモンにスイッチが入りゴロゴロと喉をならしながら顔を舐めだしました。ザラザラの舌は痛い。手で覆うと手を舐めだす。そのうちアーモンは力の限り「ウーン」とうなって私の首の下に頭を押し入れ私の頭を持ち上げるのです。人間の頭は重いはずですが、アーモンの力に負けてしまいます。首を痛めてはいけないので私は半眠りで左に右に逃げ回る。ゴロゴロの勢いは止まらず、舐める、頭突きの繰り返し。時計を見ましたら6時!今から起きて顔を洗って着替えて出かけるには遅すぎる。残念でしたが長居公園行きは諦めました。私が起きるとそれで得心するのかおとなしくなるのです。動画を撮っておきたいくらいです。今まで何匹もの猫を飼ってきましたがこんな猫ははじめて。でも可愛い! ![]() 昼間は猫ごたつで。中に猫用ヒーターと やわらかくて温かいピンクの襟巻を入れています。 |
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2025年1月2日(木)![]() 楽しみにしてちゃんと読んで下さる方を思いますと作り甲斐があります。『真祐美通信』はコミュニケーションの場、心のかよったものにしたい。今回は94号、100号を目指しています。(右の写真は第1号の『真祐美通信』) |
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2025年1月1日(水) 令和7年 明けましておめでとうございます。 長居公園でのラジオ体操の後、公園内の小高い丘に用意されたお神酒をいただきなら初日の出を待ちました。数年前から始まったごく少数の集まりだったそうです。今回声をかけていただき初日の出を見ることにいたしました。ぞくぞくと人が集まり今年はかなりの人数でした。中に詩吟の先生もおられ、お目出たい詩吟を吟じられました。7時24分、マンションの脇から太陽がグングンあがってきました。一同思わず拍手。 ![]() ![]() 数年前から元日に隣りの従兄夫婦が呼んでくれ、一緒にお屠蘇を祝っています。子どもの頃から正月には父の生家(本家)に必ず年始の挨拶に行っておりました。伯父伯母が元気な時代はいとこもたくさん集まり、トランプやダイヤモンドゲーム、坊主めくり、花札遊び、五目並べやら。そんなことは遠い思い出です。 我が家では元日の雑煮は男が作るものとなっていて早起きの父親が「雑煮が出来たからはよ起きや」と私たちをせかしたものでした。母、姉、私は夜遅くまで用事をしていて朝はゆっくりしていたもので。三が日は箒も持たない、洗濯もしない、というよりしてはいけない感じでした。お正月は女性を休ませようという配慮でしょうか。 今年もなんやかんや「ひとこと」でお話したいと思います。どうぞおつきあいくださいませ。 皆さまがお元気でこの一年をお幸せに暮らせますようお祈りしております。 |
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