奥田真祐美プロフィール 【奥田真祐美プロフィール詳細】へ |
大阪市阿倍野区生まれ。小学校卒業後12歳で単身上京。自由学園入学。8年間寄宿舎生活をおくる。在学中の19歳の時シャンソン歌手を志し堀内環氏に師事。卒業後、雑誌社「婦人之友」の編集記者を経てシャンソンの世界へ。帰阪後、菅美沙緒氏に師事 ●1971年東京・銀座「銀巴里」初出演。 ●1984年から本格的にコンサート活動を始める。 ●1985年オープンしたばかりの近鉄小劇場で「奧田真祐美リサイタル」を開催。 ●1988年2月大阪サンケイホールにおける「美輪明宏リサイタル」に関西を代表しゲスト出演。 ●1988年から会場をサンケイホールに移し、毎年「奧田真祐美リサイタル」を行う。同時に東京公演も開催。会場は博品館劇場・東邦生命ホール・南青山マンダラなど。2000年のリサイタルからジャン・フェラの作品に取り組み本邦初演の歌を毎回発表する。中でも『夜と霧』『詩人たち』(訳詞は永田文夫氏に依頼)に注目を受ける。 ●1988年から20年間『魅惑のシャンソン』(主催:大阪市/大阪市勤労福祉文化協会)大阪・森ノ宮ピロティホールに主演。企画、プロデュースにも関わる。 ●1988年愛知県豊明市の石田学園星城高校で「卒業記念奧田真祐美シャンソン鑑賞会」を20年間開催。 ●1991年『もう一度愛を』(作詞:奧田真祐美/作曲:さとう宗幸)東芝EMIからCDデビュウ。全国の有線放送に入る。 ●つづいて『愛のバラード』『クスノキのうた』『理由もなく』『雨』(作詞:奧田真祐美/作曲:さとう宗幸)のオリジナル曲を発表。 ●近鉄文化サロン阿倍野、近鉄文化サロン上本町、NHK文化センターのシャンソン教室講師。 ●リサイタル活動、CD制作、執筆の3本柱を軸とし、各地でのソロコンサート、諸々のジョイントコンサートやディナーショー、イベントに多数出演。 ●ラジオ大阪の番組『奥田真祐美のシャンソンとともに』2017年1月〜12月 パーソナリティをつとめる。 ●1989年(平成元年)奧田真祐美後援会発足。 初代会長・左藤定子様 2代目会長・高田宏様 3代目会長・金児暁嗣様 4代目今西幸男様(京都大学名誉教授)現会長 |
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『大阪公演』 | |
1984年 | 大阪第1ホテル |
1985年〜1987年 | 近鉄小劇場 |
1988年〜2004年 | サンケイホール |
2005年 | 梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティ |
2006年〜2008年 | 大阪市中央公会堂 |
2009年〜2019年 | サンケイホールブリーゼ |
『東京公演』 | |
1989年〜1992年 | 銀座・博品館劇場 |
1993年〜2002年 | 渋谷・東邦生命ホール |
2003年〜2018年 | 南青山マンダラ |
【魅惑のシャンソン】主催:大阪市勤労福祉文化協会/大阪市 | |
1988年〜2007年 | 森ノ宮・ピロティホール |
さとう宗幸、桑名正博、グラシェラ・スサーナ等と共演 |
【CD・出版活動】 |
CDシングル: |
『もう一度愛を/あなただけ』〈東芝EMI) |
『芭蕉布/ゆうなの花』〈東芝EMI〉 |
『クスノキのうた/愛のバラード』〈ビクター〉 |
『千の風になって/理由もなく』〈キング〉 |
『雨/クスノキのうた』 |
CDアルバム: |
『愛のバラード』 |
『愛をうたう時』〈ビクター〉 |
『小さなひなげしのように』〈ビクター〉 |
『理由もなく』〈ビクター〉 |
『愛、ただそれだけ』〈ビクター〉 |
『奧田真祐美ジャン・フェラを歌う』 |
『愛をみつめて』 |
著書: |
『愛ひとり旅〜シャンソンとともに〜』〈ヒューマガジン〉 |
『猫とシャンソン』〈繭書林〉 |
『奧田真祐美のシャンソン手帳』〈繭書林〉 |
『私のひとりごと』〈繭書林〉 |
他: |
冊子『インフォルモ』にエッセイと伝統工芸作家(人間国宝ほか)の インタビュウと原稿執筆。 1994年〜2021 |