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真祐美からひとこと2018年~2023年

  2015年~2017年      2024年



  2023年9月20日(水)

  今年の夏は本当に暑うございました。お障りございませんか。  
4年前にサンケイホールブリーゼで「35周年奧田真祐美リサイタル」を終え、その後ディナーショーを開催して間もなくコロナが蔓延し、音楽活動を休止せざるを得なくなりました。皆さまとお会いしたくても状況が許さず思案に明け暮れる日々でした。
コロナはまだ完全に収束してはおりませんが、世の中は動き始め私も一歩足を踏み出したいと、このたび約4年ぶりにコンサートを行うことにいたしました。
ディナーでなく昼間の方がよいとのお声が多く、今回始めてランチコンサートを開催いたします。土曜日の昼のひととき、歌とお食事でお楽しみいただければ幸いです。お忙しいことと存じますが、お誘い合わせの上ぜひお越し下さいませ。心からお待ちしております。 


日 時: 2023年12月2日(土)受付12時 /開宴 12時半~
会 場: ニューオーサカホテル心斎橋 B1グロッタ
      大阪市中央区西心斎橋1-10-36  
         地下鉄心斎橋下車8番出口徒歩2分
演 奏: pf 石田美智代 / vn REIKO
司 会: 高橋魅恵 
料 金: 11,000円(ランチ、税サ込) 
  2023年9月15日(金)

 『真祐美通信』第91号1ページから 

 昨年の暮れ『真祐美通信』新年号に掲載するためストリーテラーの姉・藤井いづみに原稿を書いてもらいました。その姉が今年の6月27日、つくばの自宅にて他界いたしました。満78歳でした。

 2年前、病気知らずの姉に進行性の大腸癌が見つかり、主治医から病名を告げられた姉は私に「落ち込んでも仕方がない。現実を受け入れる。今までやりたいことができた。悔いはない」と言い、寄稿文の最後には「これからも命のあるかぎり語っていきます」と記しておりました。
 姉の心には諦念と自分を鼓舞する気持ちが交錯していたのだと思います。

 長年、姉と私は各々の分野で忙しく、住まいもつくばと大阪、一年に一度会えばよいほうでした。そんな中で二人のコラボを16年間に6回開催。語りと音楽(シャンソン)の共通性と違いの妙味を姉妹で表現するという案が実現したのでした。 
   
 姉は「私が病気になったことで家族の絆が強くなった」と、精一杯介護をしてくれた夫と二人の娘に感謝しておりました。私に出来ることは毎日電話をかけ姉の声に耳を傾けることでした。
    
 私が姉と同じ学校を選んだのも、生涯の道にシャンソン歌手を志したのも姉の存在があったからです。
 姉の永眠をまだ実感できずにいるのは、私の心の中で生きているからなのですね、きっと。 
 
  2023年(令和5年)

 この3年間「すべてのわざには時がある」の言葉を胸に過ごしてまいりました。
 今までの経験から申しまして、長い間いろいろ考えあぐねておりましても決めるのは一瞬。思い悩み迷う時間は無駄ではなく、それがあってこそインスピレーションが湧くのだと思っております。
 2020年から行っていないリサイタルをどうするか、心の声に今一度耳を傾けてみたいと存じます。
    
 昨年12月3日、国際ソロプチミスト奈良・あすか主催のチャリテーコンサートがございました。ソロプチミストというのは女性の世界的奉仕団体です。あすかの会長の犬飼章子さまからコンサートのお話があり、歌を聴いていただく機会を下さったことに感謝いたしました。選曲と歌のレッスンに時間をかけ、皆さまにより楽しんで頂きたくなるべく曲の解説を入れるよう準備し当日を迎えました。

プログラム
「バラ色の人生」「枯葉」「それぞれのテーブル」「ただそれだけの人生でも」「夜と霧」「私はイエスが分からない」「明日は月の上で」「愛の讃歌」「クスノキのうた」   演奏=小室弥須彦

 コロナのため会場となったホテル側の要請でお客さまの人数が半分ほどにしぼられました。果たして寄付の収益が出るのかと案じておりましたが目標を達成できたと伺いました。

犬飼章(ゆき)子会長のご挨拶から
 コロナに揺れた思いもよらない生活の変化、社会の情勢です。身近な方々に集まっていただき、奧田真祐美さんの歌を聴き、シェフのお料理を楽しめる今に感謝しています。コンサートの収益金は今年のテーマ「女性と女児の幸せのために今、できること」に沿った母子生活支援施設に寄付させていただきます。

☆12月4日の奈良新聞に会のことが写真入りで掲載されました。
 
  2022年 (令和4年) 壬寅

 元旦はいつも通り長居公園へ6時半のラジオ体操に行きました。寒気の中、大空の下で思い切り身体を動かすのはまことに気持ちよくて。

 2019年のブリーゼの舞台でアンコール曲『トワ』を歌い終えて以来、どこのステージにも立っておりません。一昨年の自粛生活が始まるや、次のリサイタルで披露したいとフォーレの『夢のあとに』の訳詞をいたしました。けれど先の見えない状況に譜面と歌詞は閉じたまま。ただリサイタルに必須のチケットを売らなくてはならない苦しみから離れていた2年間は不眠症を忘れさせてくれました。
                      ※
 ジャン・フェラの代表作『夜と霧』の訳詞をして頂いた永田文夫先生は今年7回忌。アウシュヴィッツをえがいた『夜と霧』というシャンソンより、もっと明るく心はずむ歌、よく知っている歌を聴きたいという方(かた)が多いことと思います。私は『愛の讃歌』もポピュラーな歌も歌います。その一方で人知れず埋もれていた佳曲と出会えば、その良さを多くの方(かた)に知って頂きたいという思いを捨てることが出来ずにおります。
 思い立ったらすぐ行動する質(たち)の私もコロナではリサイタルに際して慎重にならざるを得ません。「すべての事には時がある」との言葉を信じ、しばしその「時」を待つことに致します。どうぞ末永くおつき合い下さいませ。 
 
   2021年 (令和3年) 辛丑

 新年おめでとう ございます
  この『真祐美通信』は私の年賀状です。

 元旦、外はまだ薄暗く寒風の中マスクをしてラジオ体操に行きました。いつもと同じ1日の始まりです。 新聞を開くとコンサートの広告が幾つも目に入りました。私とは別世界のことだと感じるばかりです。
 昨年一年間ステージに立つことはなく、冊子の工芸作家の取材も中止、シャンソン教室も数ヶ月休講、再開しても辞める方や休む方が多い状態です。
 毎年行っていたリサイタルは35周年を無事に終えた翌年コロナ騒動が起こりました。リサイタルを軸に36年間走り続けてきた私に突然ストップがかかったわけです。それでも最初の頃はあれもしよう、これもしようと考え、次のリサイタルで発表するため、新曲2曲の訳詞をしたり、今までの仕事に関する事柄を整理し記録する作業を集中していたしました。けれどもサンケイパリ祭、リサイタルが中止、目標のない日々は「今は充電のとき」という心境にはなれないものでした。
     
 スマートフォンを持っていなかった私はオンラインやリモートやテレワークやソーシャル・ディスタンスなど意味の分からない言葉を耳にする度に時代の波に乗り遅れていることを感じました。
 ところで私的な話。昨年はいろいろなアクシデントにみまわれました。猛暑の中、エアコンが故障、車のタイヤがパンク、ウオッシュレット故障、携帯電話に不都合がおこりスマートフォンに変更せざるを得なかったり、初冬に体調が悪くなり寝込んだり、庭でけつまずいて怪我をしたり…。幸い今はどれも解決し元気で新年を迎えることが出来ました。
     
 年が新しくなったからと言ってコロナがなくなるわけでもなく、ただじっと収束を待つほかないのか、何か違うやり方を考えるべきか頭を悩ますことが増えました。今は何も思い浮かびません。
 何はともあれ、コロナが治まり安心して音楽活動を行える時がくるまで、気力を持ち続けなければ、と自分に言い聞かせております。今まで重たい荷物を背負って歩いてきて、一端道端で荷をおろしてしまいますと、再び持ち上げて歩きはじめるのは大変です。しかし目標があると頑張れる。やる気がわいてくる。それを信じます。そして、一人でいても、何か用事なり、することがあると孤独を感じないものなのですね。さらに夢中になれるものに出会えるとさびしくない。
 とりとめのないことを書き連ねました。こんな年始の心境です。
 皆さま何とぞ今年もよろしくお願い申し上げます。
 お会い出来る日を楽しみにしております。

 追伸 自粛中、納戸にあった着物の端切れと綿で小さな座布団を十枚作りました。可哀相な野良猫にと。今まだ未使用です。この寒い中どこで寝ているのやら。思うだけで辛くなってきます。  
 
 2020年6月19日(木) 
 
 先日『真祐美通信』第85号が出来上がり発送も終わりましたので、この「ひとこと」に転載いたします。
 
 今年、新型コロナウイルスが世界中に蔓延するとは誰もが想像しないことでした。元旦に書くこの「ひとこと」に、これまでの音楽活動のやり方を振り返り、今後どのようにリサイタルを続けてゆけばよいかを考えるのが今年の抱負でした。

 普段から家が好きな私、自粛のお達しがなくても自粛しているような生活ですので、緊急事態宣言後も日常に大きな変化はありませんでした。もっともシャンソン教室は数ヶ月休講でした。教室の方々にとっても私にとってもその時間がいかに大事で意味のあるものだったかがよく分かりました。
 毎朝6時半の公園でのラジオ体操は欠かさず。なぜ長続きしているのかと言えば、ブームと関係なく、人と群れることなく大空の下で自由にできるからです。心がけているのは体操の一つ一つ気を抜かずしっかりやること。これだけが私の唯一の運動です。
      
 事態宣言の前のことです。冊子「インフォルモ」の取材で伊勢型紙彫師の方を訪問。三重県津市まで行きました。また映画「名もなき生涯」を上映中にぜひ見ておきたくて出かけました。ナチスに抵抗し、兵役を拒否したために死刑になる農夫の実話を元にした作品。遠藤周作の『沈黙』と重なり、胸にずしりと残る映画でした。涙止まらず。幸い館内はガラガラでした。
 テレビで見応えがあったのはBS朝日『百年名家』で母校の自由学園が紹介されました。フランク・ロイド・ライトが設計した目白の建物が手狭になり、東京郊外にライトの愛弟子遠藤新が設計した建物で、12歳~20歳の8年間生活したところです。
 変わらない美しい光景を見て先ず思ったのが{ああ、よく掃除をしたなあ」。すべてが修行の8年間。そして自分の頭で考えることを学びました。映像も構成も素晴らしく、単に建築物の紹介でなく、内面的なものにもふれた内容だったのがよかった。もう一つよかったテレビ番組はEテレ「映画監督 羽仁進の世界」~91歳その革新性を探る~でした。羽仁進さんは母校の男子部の大先輩です。進さんの祖父母である羽仁吉一、もと子夫妻のつくった学校で学ばれたわけです。
 記録映画の概念を変えた独創的な手法に今、世界的な再評価が進んでいるとのこと。「彼の自由人たるところは、生まれ持つ人間性だろうね」とは番組を見た姉の感想。

上の絵について…
 今年になって奈良・五條の藤岡家「うちのの館」へ行った折、蔵の展示室で1枚の絵が目に止まりました。今年は子年、私は大の猫好き、いっぺんにこの絵が気に入り、館長の川村優理さんから絵の写真と解説を送って頂きました。
 描いたのは永井瓢齊 朝日新聞の天声人語欄を長く担当していました。三髙・東京帝大時代から 藤岡長和(俳号玉骨)氏の友人です。俳人でもあり、晩年は京都の落柿舎で過ごされたと聞いています。この絵は昭和8年、長和氏が京都府の警察部長から佐賀県知事に昇進されたお祝いに描かれたもので文章も瓢齊。猫は長和夫人のうた代さん、ネズミは子年生まれの長和氏を表しています。
藤岡長和氏は奧田真祐美さんの大叔父、うた代さんは大叔母)

         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・           
ここ数ヶ月の生活で私がいちばんやりたかったことは頭を整理することでした。今ここに私が在るのは過去の積み重ねによるもの。過去をないがしろにせず、過去にとらわれるのではなく、どのような道程を歩いてきたか客観的に見ることに致しました。何十年と保存してあった資料を調べ、項目別に事実を書き出し記録としてホームページに載せました。

★1971年(昭和46)から現在までの50年間、何年何月にはどのようなことがあったか。歌に関することではリサイタル、ジョイントコンサート、ディナーショウ、ライブ、記念行事、パーティ等々。奧田真祐美後援会発足時の発起人メンバー。海外への旅など。
★1971年から現在までの50年間、新聞記事になったものすべて。奧田が原稿を書いたものも含む。年月日と新聞名と見だし。
★1988年(昭和63)から現在まで。月刊誌や情報誌などに掲載されたもの
★1994年(平成6)創刊号から季刊誌『インフォルモ』で対談した方13名。
★1994年(平成6)から現在まで『インフォルモ』で取材した工芸作家76名。
★1994年(平成6)から現在まで『インフォルモ』に書いたエッセイ95篇。
★2017年(平成29)ラジオ大阪『奧田真祐美のシャンソンと共に』パーソナリティとして1年間、番組でかけた曲目
 
 かなりしんどい作業でしたが、書くことで漠然としていたものがはっきりし、頭が整理されました。実際にあった事柄を書き出しただけですのに世の中の変動がよく分かり面白く思いました。


●リサイタル中止について コロナ問題が沸騰する中、11月28日(土)のリサイタルをどうすべきか考えました。
 その頃はもう収束しているかもしれない。まだまだ尾を引いているかもしれない。リサイタルは当日だけのものではなく、少なくとも半年前から準備を始めなくてはならない。先の見えない不安定な状況でリサイタルに向かうことは出来ません。とはいえ、36年間毎年不安とたたかいながら行っておりました。とにかく今年は無理すべきではないと判断し中止することに致しました。恒例のサンケイパリ祭も中止の連絡がブリーゼから入りました。

●樹木は日毎に新しい緑葉を誕生させ、花々は生き生きと美しい姿を見せてくれました。植物には太陽と水がどれほど大切なものかを実感。今年ほど自然の摂理に感動を覚えたことはありません。 
 
  2020年5月17日(日)

 昨日は朝から雨、4時に目覚めて窓を開け、しばらく雨に濡れた木々のよろこぶ姿をながめていました。濃淡の緑の中に真っ赤なブラシの花、今まさに満開、青と白の花が混ざったマツリカは素晴らしい薫りを残し少しずつしぼみはじめました。

 5月9日(土)のEテレでまたまた感動する番組を見ました。『映画監督 羽仁進の世界』 91歳 その革新性を探る 
 今回もさっそく姉に連絡しました。進さんは私の母校自由学園(男子部)の大先輩、彼のお祖父さんお祖母さんは創立者で羽仁吉一、羽仁もと子です。
見終わってから姉から「彼こそ自由人だね。生まれ持つ人間性だろうね」というメールがきました。とても興味深く面白い番組でしたが、1時間足らずのテレビだけでは物足りなく私の本棚にあった羽仁進著『自由学園物語』(講談社)を読み返しました。進さんとはかなり年齢が離れておりますのに、それに男子部と女子部の生活には大きな違いがあるはずですのに、書かれていることに共感することが多く、あっという間に読んでしまいました。続いて『大いなる死』(光文社)も再度読みはじめました。
 コロナ騒動のさなか4月26日と5月9日に心に残る番組2つを見ることができました。 
 
   2020年5月4日(月)
 
 今はオオデマリとヒメウツギの白い花が見事です。木々はコロナと関係なく日々生き生きと美しい若葉を生み出しています。

 4月26日(日)の朝たまたまつけたテレビに見覚えのある建物が目に入りました。私が8年間生活し学んだ母校でした。それは予告でしたので、放送が始まるのは数分後、急いで卒業生である姉をはじめ数人に電話で知らせました。
 BS朝日『百年名家』という番組で、その日のタイトルは『巨匠・遠藤新の設計した“森の学園”~東京・東久留米「自由学園」~
 番組の案内役は八嶋智人さんと牧瀬里穂さん。自由学園の学園長高橋和也先生、建築家遠藤現氏(新氏の孫)が出ておられました。
 とても良質の番組で映像も素晴らしいものでした。
 私が入学した時は創立者羽仁吉一、もと子夫妻はすでに故人。次女の恵子先生が学園長でした。吉一先生のことを私たちはミスタ羽仁、もと子先生をミセス羽仁と呼んでいました。ジャーナリストだった2人は『婦人之友』という雑誌を世に出し、その後大正10年に東京の目白に自由学園を創りました。校舎の設計はフランク・ロイド・ライト。その建物は現在国の重要文化財になっております。
やがて目白の建物では手狭となり、郊外の東久留米市に移転。今回のテレビはその建物の紹介でした。私が8年間過ごした土地、当時は南沢と呼んでいました。その美しい地名はもう残されておりません。残念なことです。寄宿舎(清風寮)は広い校内にありましたので、世俗から隔離されたような生活をしていたと言っても過言ではありません。
 雑木林が残る南沢、周囲にはマンションも建て売り住宅もなく、晴れた日は遠くに富士山が見えました。テレビで見る学校は私がいた頃と変わりなく美しさをちゃんと維持していました。人間の基礎がつくられる思春期に机上の勉強だけでなく、理想的な場で人間教育を受けたことを、両親に感謝しなくてはいけないと思ったことでした。
 率直に言って、懐かしさよりも「ああ、よく掃除したなあ、料理の材料をリヤカーにのせて坂道を上り下りしたなあ、遅刻しては大変と必死になって走ったなあ」などど思い出されました。 
 
 記憶の残っている間にユニークな学校の教育や生活のこまごまを書きとめておきたいと思っております。はたして実現するかどうか…。それに誰も読んでくれないようなものを書きましてもいずれゴミになるだけですね。

 緊急事態宣言が5月6日までだったところ5月31日に延長されました。
 もともと「おうち」が好きな私ですが、シャンソン教室の方々や友人に会えないのはさびしいことです。毎朝のラジオ体操は1日も休まず続けており、それで身体を動かした気になっています。
 長い長い時間を無為に過ごしては自己嫌悪におちいりますので、『真祐美通信』作りと、ホームページの一部を更新する作業をしております。以上。 
 
   2020年4月16日(木)

 枝垂れ桜は葉桜となりハナミズキが咲き出しました。昨日はウグイスの鳴き声が聞こえました。
 緊急事態宣言が出されてから1週間、それ以前から自粛生活を続けております。こんな機会こそ家の中の整理を行うのが最適だと思いますが、いま取り立てて整理するものがありません。庭のクスノキの落ち葉掃きをしなければなりませんが、きれいに掃き清めなくても自然のままでいい、という気持ちです。
さて、リサイタルで披露するために訳詞をしていたのがほぼ出来上がりました。今年は発表する場がありませんので、来年聴いていただくことになると思います。はたして本当に私に歌えるかどうかまだ分かりませんので、歌えると確信が持てた時点で曲目を発表いたします。
 
  2020年4月3日(金)

 3月29日のひとことで7月28日のサンケイパリ祭のことを書きましたが、この度中止が決まりました。ブリーゼのパリ祭担当の方の苦渋の決断です。
 そして、11月28日の『奧田真祐美リサイタル』も中止することに致しました。
36年間毎年続けてきたリサイタル、サンケイホールでは32年間休まず開催してまいりましたので、結論を出すまではかなり考えました。
 新型コロナウイルスが世界的に蔓延している今年、いつ収束するか分からない状態の中でリサイタルを行うべきではないと判断いたしました。
 今年は充電の時と気持ちを切り替え、来年にそなえたいと思います。
 
   2020年3月29日(日)

 庭の枝垂れ桜の蕾みがほころびはじめました。雨に濡れて一層美しさが増しました。例年よりかなり早い花見が出来ました。「ありがとう!綺麗な花を咲かせてくれて嬉しいわ。どうかこれからも元気でいてね!」と思わず桜に語りかけてしまいました。このページにいろいろな写真を載せればよいのですが、やり方が分からないので(やり方を覚えればよいのでしょうが)文章だけの~ひとこと~で失礼いたします。

 私はライブハウスに出演しておりませんので、仕事の中止はシャンソン教室だけですが、教室の方にお会い出来ないのはさびしいことです。けれど7月5日に「シャンソンの集い」を行いますのでその準備をすすめております。

 7月28日にはサンケイパリ祭が開催されます。コロナの影響がどのように及ぼされるか見当がつきません。いまは選曲中です。

 自粛の毎日には何より規則正しい生活が大切だとか。
 早寝早起き、1年を通して毎朝のラジオ体操だけは身についておりますので、挫折しないよう、とにかく長く続けたいと思っております。
 コロナのことを通して、ジャン・フェラの歌、『ただそれだけの人生でも』のように、何気ない暮らしの中にある幸せ、よろこび、大切さを実感しております。 
 
   2020年3月18日(水)

 1月にひとことを書いた頃は新型コロナウイルスが世の中に蔓延するなどとは想像もしないことでした。何が起こるか分からない、と思い知らされました。
2月8日のディナーショーはコロナの影響はなく無事に終えることが出来ました。
 その後の話を致します。
 冊子『インフォルモ』の取材で三重県白子まで行き、伊勢型紙の彫り師の方に会いました。まだ若い女性で、私の知らない世界の興味深い話を聴くことが出来ました。
 もう一つは、『名もなき生涯』という映画を見たこと。何かで紹介記事を読み、見たくて仕方ありませんでした。コロナ騒ぎで躊躇しておりましたが、おそらくこの映画は満員にはならないだろうと思い行きました。割合広い会場に15人ほど。人と人とは2メートル以上離れておりましたし、咳やくしゃみをする人はおりませんでした。
 ナチスに抵抗し、兵役を拒否した農夫は愛する妻と3人の娘がありながら、最後は死刑になるストーリー。そこにはキリスト教の信仰が軸となっています。判決が下りたあと、妻は夫に会いに行き、まわりの人間から「大事なのは心だ。署名さえすれば死刑は免れるのだ」と諭される。それで男は署名を拒みます。妻は言います。「私はあなたを愛しています。あなたに従います。私はあなたの傍にいます」と。その場面で涙があふれて、心が揺すぶられました。この映画で遠藤周作の『沈黙』を連想いたしました。
もし、この主人公がサインをし、死刑にならずに済んだらただそれだけのこと。これは実話が元になっているのでぜひ見たかったし、見た甲斐がありました。
 ジャン・フェラの『夜と霧』を歌っております私、このような映画には強い関心があります。 
 
  2020年 庚子
 新年おめでとうございます
 
 令和になって初のお正月暮れに家中の1年のよごれを落とし、日頃は慣習的なことは致しませんが、毎年しめ縄と門松は感謝の思いで飾りつけております。
 いつもと同じ朝ですのにどこか静謐な気配を感じながら元旦を迎えました。 さて朝起きて顔を洗うのと同じようにラジオ体操は私の毎日の日課です。無理なく続いているのはこれだけです。寒くても少々の雨でも風でも、長居公園まで歩いて15分。6時半になるとスピーカーからラジオ体操の音楽が流れます。リーダーがいるわけでなく、並んでするわけでなく、各々好きな場所で個々に身体を動かし、第1、第2体操が終わると大空に向かってこれも個々に「アー」と思いきりロングトーンを行ってお終い、さっさと帰宅いたします。
                     ※
 昨年はリサイタル35周年という節目の年でした。世の中の流れが大きく変わり、厳しい現実が立ちふさがっておりますのに、35年間ずっと同じやり方でリサイタルを行ってまいりました。第1回のリサイタルは子の年。今年は4回目の子年です。これも一つの節目ですので、今後どのようにリサイタルを続けていけばよいかを考えるのが今年の私の大きな課題です。   
                     ※
 私は要らないものを潔く処分するのが好きな一方で、これは捨てられない、これは続けたいというものもたくさんあります。きちんとしたいことと適当でもかまわないことがあります。それは良いも悪いも「こだわり」なのですね。「こだわり」と「とらわれ」とは違うことを心して、自分の軸をしっかり持ちつつ、柔軟に生きたいものだと思わされております。
                     ※ 
 先日、曾野綾子著『老いの僥倖』(幻冬舎新書)を読んでおりましたら「一人で戦うこと」の中で私が日頃思っていることが書いてありました。言葉足らずの私がいくら書いても何の力もありませんが、曾野綾子の発言は説得力がありますので、一部略して載せさせていただきます。
 ~品はまず流行を追わない。写真を撮られる時にピースサインを出したり、成人式に皆が羽織る白いショールなど身につけない。有名人に会いたがったりしない。品を保つということは、一人で人生を戦うことなのだろう。自分を失わずに、誰とでも穏やかに心を開いて会話ができ、相手と同感するところと、拒否すべき点とを明確に見極め、その中にあって決して流されないことである~
                     ※
 皆さま、この1年無事に平穏なお気持ちで過ごされますようお祈りしております。
 今年もどうぞよろしくお願い致します。末永くおつき合い下さいませ。 
 
  2019年9月19(木)

 4ヶ月以上、「ひとこと」を更新することが出来ずにいました。
『真祐美通信』第83号が出来上がりましたので、1ページ目を載せさせて頂きます。


 朝5時ごろ目覚めて窓を開けますと、秋の風が木々の香りとともに頬に伝わってまいります。静かな雨音を聴きながら、ぬれた緑を目にする日は心が落ち着きます。被害を及ぼす豪雨は別として私は雨が好き。あるアンケートによりますと、晴れが好きな人93%、雨が好きな人7%だとか。
    
 ある日「将来はシャンソン歌手として生きたい」という思いが湧きおこって50年。リサイタルを始めて35年。35年続けている大阪公演だけでなく、東京公演30年、森ノ宮ピロティホールで20年コンサートを行ってきました。どれも自分で企画し、自分でチケットを売る、つまり全責任は私が持つコンサートです。無謀なことをやって来られましたのも多くの方々のお力添えのお陰です。本当に感謝いたしております。
 今年のプログラムは35年間のステージで好評を頂いた歌の中からと、私がぜひ聴いて頂きたいと思う歌を選曲いたしました。すべて日本語で歌います。
 土曜のひととき、どうぞごゆっくりお楽しみ下さいませ。お心に添う歌がありますように…。



36回のリサイタルの演奏者
1 小川栄一ピアノトリオ
2 小川栄一ピアノクインテット
3 釈恵一グループ
4 吉川肇&西川真+3
5 馬詰のりあき&ザ・スクラッチ
6 馬詰のりあき&ザ・スクラッチ
7 馬詰のりあき&ザ・スクラッチ
8 馬詰のりあき&ザ・スクラッチ
9 馬詰のりあき&ザ・スクラッチ
10 馬詰のりあき&ザ・スクラッチ
11 馬詰のりあき&ザ・スクラッチ
12 馬詰のりあき&ザ・スクラッチ
13 馬詰のりあき&ザ・スクラッチ
14 鞍富真一グループ
15 鞍富真一グループ
16 鞍富真一グループ
17 馬詰のりあき&ザ・スクラッチ
18 鞍富真一グループ
19 西川真グループ
20 西川真・葉子ストリングスオーケストラ
21 西川真・葉子ストリングスオーケストラ
22 西川真・葉子ストリングスオーケストラ
23 西川真トリオ+弦楽アンサンブル
24 西川真トリオ+弦楽アンサンブル
25 西川真トリオ+弦楽アンサンブル
26 西川真トリオ&弦楽アンサンブル
27 西川真トリオ&弦楽アンサンブル
28 西川真トリオ&弦楽アンサンブル
29 にしかわまことトリオ&弦楽アンサンブル
30 にしかわまことトリオ&弦楽アンサンブル
31 にしかわまことトリオ&弦楽アンサンブル
32 にしかわまことトリオ&弦楽アンサンブル
33 にしかわまことトリオ&弦楽アンサンブル
34 にしかわまこと&弦楽アンサンブル
35 にしかわまこと&弦楽アンサンブル
36 にしかわまこと&弦楽アンサンブル
  (1984年~2019年)  
 
  2019年5月1日(水)

 令和元年

 元号が新たになりました。テレビをつけますと日本中がお祝いに沸き立っている様子がよく分かります。
 
 さて、『奧田真祐美からひとこと』を書くためにホームページビルダーを開き驚きました。2月17日から何も書いていなかったとは! もっとちゃんと更新しなくては、と思わされております。

 先日『真祐美通信』第82号を発行いたしましたので、通信の1面をここに載せさせて頂きます。
 
 令和元年の幕開け、最初の通信をお届けいたします。

 ここ数年海外旅行もせず国内の観光旅行もせず、日々我が家を中心に暮らしております。ひとたび旅に出ますと、次はどこへ行こうかしら、と続いて出かけたくなるものですね。まずはここ数ヵ月の私的な近辺の出来事をお話させていただきます。
 平成20年に大阪市の保存樹第108号に認定されたクスノキ、豊かな緑を大事にしたいと思っておりましたが、昨年の台風21号で枝が折れたり裂けたりしてかなり傷みました。これをきっしょに春を待って大剪定することに致しました。いつもの庭師さんに依頼、3月の半ばから大がかりな作業が始まり先月無事に終わりました。垣根も整理しましたので庭には太陽が差し込み、そこいらがスカスカに。森のように深い木々に包まれて生活したいという私の夢は現実にはとても無理なようです。何年経てば緑が甦るのか、一日千秋の思いでおります。
          
 野良猫のことをイタリアでは自由猫と呼ぶそうですね。野良猫は元をたどれば人間が捨てたり迷子になった猫たちでしょうに、罪のない野良猫をなにびともどうかつらい目に遭わせたりしませんよう、せつに願います。 
 クスノキの根元に猫のナナ(19歳)を葬ってから4年余、
最近我が家に雄の野良猫いえ自由猫がやってきました。人の愛情を知らずに生きてきた猫は警戒心が強く懐疑的。初対面の時は「ハーッ、シャーッ」が挨拶でした。この頃では朝6時過ぎ、ラジオ体操に出かける時にはもう玄関の外で朝ごはんを待っています。冬などまだ暗くて寒く、待たせては可哀相ですから、ドアを開けたらさっとエサの器を置いてやります。名前はみーやんと命名。野良猫なのに抱っこさせてくれるようになり、気になっていた顔の汚れも拭いてやれる。膝の上でちょっと甘えて鼻をすり寄せ私を喜ばせても、次の日は来なかったり、食べ終わるとさっさとどこかへ帰っていきます。朝の数分、みーやんがやって来て抱っこ出来た日には、胸にぽっと温かい灯がともる、そんなたわいもない日常のひとこまです。
          
 先日、『ソローキンの見た桜』という日露合作の映画を見ました。日露戦争の時代、松山にあったロシア兵捕虜収容所が舞台で、看護婦とロシア軍少尉との愛の話です。
 私は21年前にロシアへ旅行し、サンクト・ペテルブルクにも行きましたので、とても興味深い映画でした。映画で心に残ったものと言えば、遠藤周作の『沈黙』は私の好きな本の映画化。期待どおり見応えがありました。最近見たのでは『天才作家の妻 40年目の真実』なかなか面白く思いました。映画は見だすとまた見たくなるものですね。旅とおなじ。と言えども人生の旅はどうなのでしょう。  
 
  2019年2月17日(日)

 昨日、ディナーショウを無事終えることが出来ました。
 お料理は大好評、ディナーショウですから歌と同じくらい食事に満足していただかなくては意味がなく「美味しかった、春らしく綺麗だった」と喜んで下さる声を耳にし、とても嬉しくなりました。
 歌は、良かったと言って下さる方もいますが、おそらくそうでもなかった方もおられると思います。選曲はとても難しく、さんざん考えましても全員のお客さまが満足して下さるということはない。それでまずは、私が歌いたい歌、聞いていただきたい歌を選ぶことにしております。私の傾向として盛り上がるような歌が少ないので、中には眠くなったり退屈される方もおられるだろうな、と思いながら…。反対に周囲の多くの方が盛り上がって喜んでいても私は少しも面白くない、楽しくない、退屈だ、と感じることが多くあるもので、皆さまはいかがかしら、お訊ねしたい気持ちです。 
 
 今朝の新聞で直木孝次郎先生が100歳で亡くなられたことを知りました。
直木先生は私の後援会の発起人のお一人になって下さいましたし、お元気な間はディナーショウにはいつもお越し下さっていました。
 大阪文化賞を受賞された際、記念パーティで歌わせていただいたこともあります。私が「真祐美通信」をお送りしますと、お便りを下さり、誠実なお人柄でした。ご冥福をお祈り申し上げます。 
 
  2019年2月15日(金)
 
昨年の今頃、はじめてインフルエンザに罹っておりましたが、今年は元気です。と申しましても身体の隅々までどこも悪いところがないわけではなく、こまかく言えば何やかやあります。夜、首や肩が凝ってしんどくても朝になると気持ちよく目覚められるのでありがたいことと思っております。
 
明日は『奧田真祐美 早春にうたうディナーショウ』
大阪・新阪急ホテル 花の間にて 開宴17時~
平成元年に「奧田真祐美後援会」が発足。レストランアラスカで発足パーティを開きました。今年30周年になります。
 
フレンチフルコースは毎年大好評、にしかわまことさんのピアノで10曲ほど歌います。皆さま楽しみにして下さっておりますので、やり甲斐があります。

 今年は大雪で新幹線が止まったり飛行機が休航といった心配がなく有り難いことです  
 
   2019年1月17日(木)

『真祐美通信』第81号から
 
 暮れに大掃除を済ませ、しめ縄と門松をとりつけて今年も静かな元旦を迎えました。
 平成が始まった1月8日は「銀巴里」出演日、私の平成はシャンソンから始まりました。30年前の古い手帳を見ておりますと、公私ともに当時と現在の生活があまりにも異なり驚くばかりです。生活は大きく変わりましても三つ子の魂百まで、私の精神面は子どもの頃からあまり変わっておらず、幼い時は幼いなりに「私ってなんだろう、人はいかに生きるのか」などと思いめぐらせておりました。答えの出ないことを考えても仕方がないのかもしれませんが、これからもおそらくそんなことを考えて生きていくような気がいたします。
 
 35年続けているリサイタルという山は経験を積めばラクに登れるようになるものではなく、時を重ねるほどに難しさが増してまいります。昨年も、落ち込んだり、不安にさいなまれたり、そのたびに歌い手を志した原点「歌は心のさけび」を支えに、起き上がってはまた歩き出す、そのくり返しでした。ビクトル・ユゴーの言葉で、「音楽は、人間が言葉で言えないことで、しかも黙ってはいられない事柄を表現する」という名言があるのを昨年知り、「歌は心のさけび」はまさにこのことだと、感慨深く思いました。
 アンコール曲を歌い終えたステージで、あたたかい拍手を頂いた瞬間、それまでのつらさを忘れ感謝の思いが湧いてまいりました。
 
 冊子「インフォルモ」に工芸作家の方を取材し原稿を書く仕事をまかされて25年になります。昨年お会いした紬織の人間国宝・佐々木苑子さまのお話の中で、「最も難しいのは作品の完成までずっと同じ気持ちを保つこと。根気、注意力、直感力、つまり精神力。才能とは続けること」というご自身の経験を通した言葉、心に残りました。

◎ 台風21号とクスノキのこと
 はじめて経験した台風でした。家の中で外の様子を窺っておりましたが、ふと玄関を出て目にした庭の光景は愕然とするものでした。クスノキの太い枝が折れたり裂けたり、足の踏み場もない状態で、家の前の道路にも散乱していました。急いで雨の中を庭師さんと道路の片づけをしておりましたら、近所の方々も10人ほど出て来て一緒に枝葉を拾い集めて下さいました。
 21号で傷んだクスノキを今春に大剪定する予定です。
都会の中にあって昔から生き続けている樹木を周囲に迷惑をかけず緑豊かな存在として守っていくのは容易なことではないと、つくづく感じたことでした。
 
  2019年1月2日(水)

 新年おめでとうございます
 年が変わるのは一つの区切りであっても、時間はいつもと同じように流れ、
自分が何ら変わることはありません。自分の意識の問題なのですね。
 大掃除のお蔭で気持ちもすっきりし、私の好きな言葉、「明窓浄机」の心境になれるのは嬉しいです。

 初夢は見たような見ていないような、今朝目覚めた時は覚えておりませんでした。

 昨日の元旦も今朝もラジオ体操に行きましたら、薄暗く寒い長居公園には数匹の野良猫がお腹をすかせて鳴いていました。本当に辛い。本当に辛い。同じ猫でもコタツに入り、おいしいものを食べさせてもらっている猫もいれば
殺処分される猫もいる。それを思いますと胸が締めつけられ思いがします。
何も出来ず、助けられず…。

 嬉しかったことを書きます。
 我が家の隣りは父の生家でいとこ夫婦が住んでおります。昨年そのいとこの長男が結婚。元旦に私も招待して頂き皆でお正月の祝い膳をかこみました。久しぶりのお屠蘇、美味しいおせち料理にお雑煮。私の名前の箸袋も用意してくださっていて幸せな気持ちになりました。
 家に戻りますと年賀状が届いておりました。ひとこと書き添えて下さっていると嬉しいものですね。私の年賀状は『真祐美通信』ですので松の内には
お届け致します。
 新年を迎えて抱負は語れましても、実際どのような年になるか分かりません。病気や怪我、事故に遭わず平穏な心で過ごせましたら幸いです。
 今年も一つ一つの仕事を全力であたりたいと思っております。何とぞよろしくお願いいたします。
 皆さまのお幸せをお祈り申し上げます。  
 
   2018年12月31日(月) 大晦日

 毎年同じことを申しますが、大晦日と元旦を我が家以外で過ごしたことがありません。お正月に旅行へ行ったことがありません。大事な1年の終わりと始めの日を我が家で過ごす生き方が落ち着くのです。1年のよごれを落とし、しめ縄と門松をつけるのが好きです。日頃は日本の慣習を素直に受け入れておりませんのに…不思議です。
 
 今年1年を振り返ってみますと、当然のことながらさまざまな状況の中で、ある時は嬉しく、ある時は悲しく、ある時は苦しいものでした。けれど大晦日の今日、元気でいられるのは本当に幸せなこと、有り難いことだと心から思っております。

 1年365日のうち、長居公園まで行きラジオ体操をしたのは256日。しなかった109日の理由は、雨、猛寒波、インフルエンザB型に罹患、無理しないでおこうと思った日、などです。冬の朝6時はまだ暗く寒く「もう少し寝ていたい」と言う気持ちがおこる。その前に起き上がらなければなりません。
 近所にスポーツジムがありますのでそこへ行けば筋トレや水泳やヨガもできるわけですが、私にはラジオ体操が合っているようです。
  
 
  2018年12月25日(火)

 今日は私の生まれた日ですので、一つの節目の日に「ひとこと」を書こうという気になりました。
 歳を重ねることはイヤではありません。むしろ今日を迎えるのは喜びでした。それは今が一番いいからというわけではなく、いつまでも歳をとらず、ずっと若いままで生きてゆかなくてはならないとしましたらとても辛いこと。人間だれもがいつか終わりを迎えるのは有り難いことだと思うのです。
 悔いのない人生とは何か、を考えましたら、したいことを全部実行し、すべきことをやり終えた人生、と言えるかもしれませんが、それは不可能なこと。
人生は思い通りにならないもので、すべて途中で人生の終わりがくるのですね。以前は、いつか中途半端なまま一生を終える時がくるなんてなんと悲しいことだろう、と思っておりました。けれどどんな人間でも中途半端で人生に幕を降ろすものなのですね。
 執着を持たないで生きる大切さを感じます。と言いつつ、このようなことは理屈で分かっているだけ、分かったような気になっているだけだという思いと、執着を持たないで生きるなんて無理なことだという思いとが心の中で葛藤しています。
  いずれにしましても、人生を充実したものにしたい、人に惑わされたり左右されたりせず、私が本当に求めているものを歌に託したいという思いを今日の結論にいたします。
 
 
   2018年10月24日(水)

 10月7日には奧田真祐美シャンソンリサイタル大阪公演(サンケイホールブリーゼ)、10月20日には東京公演(南青山マンダラ)無事終わりました。
 いつもアンコールの歌が終わり緞帳がおりる時、感無量の心境になります。その一瞬、リサイタルまでの大変さを忘れ、多くの方に対しての感謝の気持ちで胸が一杯になります。そして、来年のリサイタルへの思いが湧いてまいります。
 その前に今年のリサイタル『歌は心のさけび』を終えて私自身はどう思っているのかをお話しなければなりません。
 緞帳が上がる時は緊張感を覚えるものですが、ドキドキはいたしませんでした。1曲1曲を大切に、心から歌うことが出来ました。それは完璧に歌えたという意味ではございませんが、精一杯歌いました。いつぞやある方は「プロは精一杯歌ったなどと言うものではない」と言われました。けれど他に言葉が見つかりません。
 「今年のが今までで一番よかった」と言って下さる方が多く、にしかわまこと弦楽アンサンブルの演奏で気持ちよく安心して歌うことができたお蔭だと思います。
 今年の新曲はヘンデル作曲のオペラ『リナルド』の第2幕『私を泣かせてください』を私の訳詩で歌いました。本来はクラシックのソプラノが歌う歌を奧田真祐美のキィで歌いました。原詩に添って日本語の歌詞をつけましたが、
人間にとって大事なものは愛と自由、たとえ身体はとらわれの身であっても心までとらわれることはない、という意味をこめて書きました。
 
 東京公演は平成元年から始めましたので、今年で30年。ものごとには初めがあれば終わりがあるもの、東京は平成の時代でキリをつけようと、今回で最終回と致しました。最後ということで昨年より多くの方がお越しくださいました。東京の演奏は久保田廣和さんのピアノのみ、プログラムは大阪公演のものと5曲変えました。南青山のライヴハウスマンダラは幕がありませんので、アンコールを歌い終えましたらすぐステージをおりまして、お客さま全員にご挨拶をし握手をしてお別れ致しました。けれど、これで東京の皆さまと縁がなくなるのはさびしく、いつかまた落ち着きましたら単発的にライヴを行いたいと思いました。(私、いつかまた、とか機会があればという言葉はあまり好きではないのです。機会というのは作るものだと思っております)
 
 さて、11月6日(火)18時~20時半 大阪のザ・シンフォニーホールにて開催される『シャンソン・セレクション2018』に出演いたします。
 奧田真祐美、峰大介、条顕、福井晶子、神奈あい、末広真樹子、松本かずこ、豪佑樹、松井江里子、山口れい子、小嶋英子 11名が一人2曲づつ歌うジョイントコンサート。シンフォニーはクラシックのコンサートホールとして作られた一流のホールです。シャンソンにふさわしい秋の夕べ、どうぞお越し下さいませ。お待ちしております。
 

  数週間前から朝早くベランダにやってくる野良猫ちゃんがいます。
その前には何も植えていない植木鉢に毎日ウンチをしている猫がいて、どんな猫だろうと思いながら毎朝スコップで知らない猫ちゃんのウンチを取ってやっておりましたが、植木鉢にだんだん土が無くなってきたため猫が来なくなりました。ところが台風21号の騒ぎが治まった頃、今度はベランダにきたわけです。白にグレーの模様があり、鼻の部分に色がついている愛嬌のある可愛い中猫です。生まれつきの野良ちゃんなのか、ガラス戸を開けますとパッと逃げます。そのくせまた近くまできてニャーンと鳴くので本当は甘えたいのかな、お腹がすいているのかなと思い、カリカリを買ってきてやることにしました。ほんの少しで満足し、少しでも多めにやると残します。雨戸を開けると待っていますので、カリカリを待たせては可哀相、戸を開ける前に用意をしておき、雨戸を開けるとすぐ器を置いてやります。けれどすぐには食べず、私がガラス戸を締めてレースのカーテンを閉めますとおもむろにゆったりと食べ始めます。食べ終わりますもうどこかへ行ってしまいます。
 もし心を許し信用し、そばに寄って来ましたらまず顔を拭いてやりたい。 
 
  2018年10月4日(木)

 今台風25号が沖縄に近づいているとか。7日のリサイタルの天候が心配です。
 昨日、MBS毎日放送ラジオ『ありがとう浜村淳です』に出演いたしました。
これまでも何度か出演させて頂いており、テレビでは今から20年ほど前、関西テレビの番組で『浜村淳の人・街・夢』という番組に出演させて頂きました。その折り、我が家のクスノキをご覧頂いたのをずっと覚えていて下さり、.お目にかかる度にクスノキのことを話題にしてくださって嬉しく思いました。昨日のラジオでのひとときはとても楽しいものでした。今でしたらまだお聴きいただけると思います。よろしければどうぞラジコで聴いて下さい。

 今朝の産経新聞にリサイタルの広告がカラーで載っております。
ラジオを聴いて下さったリスナーの方、新聞をご覧いただいた方、ぜひ10月7日午後4時~6時、サンケイホールブリーゼにお越し下さいませ! 楽しんでいただけるステージを、とミュージシャン、スタッフ一同こころからお待ちしております。 
 
   2018年9月30日(日)

現時点では台風24号が来るという予想。21号では本当にたいへんでしたので今度もまた同じ目に遭うのではないかと少し不安にかられます。

リサイタルまであと1週間となりました。すっかり遅くなりましたが、主な曲目をお知らせ申し上げます。すべて日本語です。
どなたでもよくご存知の歌から申しますと、
『愛の讃歌』『翼をください』『愛燦燦』
リサイタルでは初めて歌う『夕映えの二人』『インシャラー』
ひさびさに歌うピアフの『王様の牢屋』。ミルバの『愛遙かに』『自由の歌』
などなど。全20曲、皆さまのお心に添う楽曲がありますことを願いつつ選曲いたしました。

今年初披露いたします『私を泣かせてください』はヘンデルの有名な歌です。
日本語で歌いたく、原詩に基づいて私が訳詩いたしました。本来はクラシックのソプラノ歌手が歌うのですが、私は私のキイで歌います。
にしかわまこと弦楽アンサンブルの素晴らしい演奏で歌うのをお聴きいただけましたらまことに幸甚です! 
 
   2018年9月6日(木)
 
 台風21号、我が家にもやってきました。
午後1時半頃、2階の窓から外の様子を見ていました。最近は予想よりたいしたことがないのが多かったので、今回もそれほどでもないだろう、とぼんやり風景を眺めていました。しばらくして雨戸を閉め、原稿書きをしていました。
お天気のいい日でも原稿書きに集中する時は雨戸を閉めたままのことが多いのです。
 そのうち荒れくるう音が聞こえてきました。嫌な予感がして3時頃庭に出てみてびっくり、クスノキの太い枝がバギッと折れて庭一面に落ちているのです。小雨になってから今度は門の外に出ましたら、道路にも飛び散っていました。あまりのすごさに身がすくみ、急いで植木屋さんに来てもらい片づけ始めました。するとご近所の方々が出て来て下さり、小雨の中一緒に片づけて下さったのです。かなりの時間でした。拾い集めたクスノキの枝は山ほどあり、いったん門の前に積み上げました。隣りのモータープールの落葉まできれいに掃除してくださいました。恐縮やら感激やら!

 翌日は積み上げてあった枝と葉っぱは植木屋さんのトラックにギュウギュウ山盛り、処分場へ。庭にはまだまだ枝が落ちていましたから2日目も1日かかりました。3日目の今日は木にひっかかっていた枝を脚立に上って振り落とし、ちょっとヤレヤレ。ところがよく見ますとクスノキの枝にもまだたくさん折れた枝が乗っかっていて気になるところです。長い梯子が必要で素人では手に負えません。

 木に混ざってカラスが巣につかっていたカネのハンガーがどっさり落ちていました。翌日カラスはしきりに鳴いていました。巣がなくなったためでしょうか。
 今でこそ巨木になったクスノキは幹が折れたり倒れたりすることはありませんが、細い若木の頃もあったわけで、いままでよくまあ、嵐にも耐えてきたものだと感じいりました。 

 さて、リサイタル(大阪公演)まであと1ヶ月、頑張ります!
10月3日(水)にMBS毎日放送「ありがとう浜村淳です」に生出演いたします。出番は午前9時40分頃過ぎになる予定です。聞いて下さいね。

 次回は歌う曲目の予告を致します。  
 
  2018年8月27日(月)
 
 私がなかなかこのページを更新しないもので、身体の具合でも悪いのかと心配して下さる方がいらして、ご心配いただきありがとうございます。
 元気にしております。
 
 昨日『真祐美通信』第80号を発送いたしましたので、ひさびさに『ひとこと』を開く気持ちになりました。
 7月7日のシャンソンンの集いも、13日のサンケイパリ祭も、8月16日の奈良・五條での恒例ライブも無事終わり、毎日10月7日のリサイタルに向ってひたすらひたすら準備に当たっております。

 『真祐美通信』の文章をここにお載せすればよいのですが、印刷物の通信とホームページとは性質が違いますので、ここには違うこと、違う文章を載せたいと思ってしまうのです。そうしますとまたまた時間がかかりますので、ひとまず奧田真祐美は元気でいることだけお伝えしておきます。 
 
   2018年7月2日(月)

 またもや2ヶ月以上「ひとこと」を書くことができませんでした。時間がなかったのが理由ではありません。
 長くラジオ体操を休んでいましたが、4月14日から再び長居公園へ行くようになりましたのに、ホームページの方はできませんでした。ところが突然、書く気持ちになりホームページを開いたわけです。

 7月7日(土)は13時から大阪国際交流センター小ホールにて「奧田真祐美教室 シャンソンンの集い」を開催いたします。よろしければどうぞお越し下さいませ。1人2曲、変化に富んだプログラムで、歌唱の水準はかなりのものです。それは皆が楽しみながら努力し、レッスンした結果。そして何より、心根やさしく品性を持った方々なのが嬉しいことです。

 7月13日(金)は18時半からサンケイホールブリーゼで「サンケイパリ祭」が行われます。私は『愛の讃歌』と『二度とない人生だから』を歌います。これもお時間がございましたらどうぞお越し下さいませ。

 今年の「奧田真祐美シャンソンリサイタル」は10月7日(日)。チラシ作成中です。3ヵ月の間にポスターやチラシをたのみまわり、チケットを売り、歌の練習をしなければなりません。35年目のリサイタルでも不安で、昨日もほとんど眠れませんでした。胸が鉛で押しつぶされそうな感じになります。
 
 久しぶりに「ひとこと」を書く気になれたのは、今年のリサイタルに初披露する歌の訳詩が出来たからなんです。早くお知らせしたい気持ちでおりますが、チラシが出来上がりましたらホームページでもお知らせ申しあげます。
 
 先日の地震では、つくばに住んでいる姉や姪、仙台のさとう宗幸さん、マネージャーの久保純さん、沖縄の下門美恵子さん、東京、岡山県、愛知県からも電話やメールを頂戴しました。ご心配いただきありがとうございました。
 震度4の揺れは私ははじめて経験した感覚で、とてもこわかったです。大きなテーブルの下に入りましたらすぐ止みました。座敷の棚の七宝焼きの飾り皿が下に落ちていただけでした。 
 地震は突然にきますので油断出来ませんね。と言ってもそのためにいつもヘルメットをかぶって運動靴を傍において寝るわけにいきませんし。

 事件も事故もなく、無事に1日を終えることが出来れば本当に有り難いとつくづく思います。
 シャンソンンの集いでは、皆さんの歌の後、私は最後にジャン・フェラの『ただそれだけの人生でも』と『ゆうなの花』を歌う予定です。
 『ただそれだけの人生でも』の原詩はルイ・アラゴン、曲はジャン・フェラ、訳詩は永田文夫。実によく出来た日本語の歌詞ですので、ぜひぜひ皆さまに聴いて頂きたい。さりげない人生の素晴らしさを歌っております。
 
  2018年4月15日(日)

 昨夜から雨が降っています。久しぶりの雨にほっと致しました。なぜかと言いますと、樹がとても嬉しそうだからです。夏以外はついつい水やりを怠ってしまい、気がつくと樹が弱りついには枯れてしまうので、自然の恵みは本当に有り難いです。
 今朝庭に出ますとオオデマリとハナミズキ、ヒメウツギが満開でした。どれも白い花、萌え出る若葉の間に浮かび上がる白さに「なんて美しいんでしょう!」と思わずひとり言がでました。
 雨がやみましたら可愛い小鳥の声が聞こえてきました。
 
 地面はクスノキの枯葉の絨毯です。掃除が追いつかず、我が家の庭は後回し、まずはお隣りの土地に落ちているクスノキの落葉掃きをしております。

 そういえば、4月15日は平成元年、私の後援会発足の記念日です。30年前の手帳を開きますと、その頃は毎日あちこち駆け回っておりました。
 パーティの前の日は名古屋でのライヴ、翌日は大阪、次の日は京都、その後は丹波篠山でディナーショー、そして東京の銀巴里などなど。
 手帳を見ながら驚いてしまいました。なんとまあよく動いていたことか、と。
1000人の大ホールで年に2回もコンサートをし、毎月エッセイを書き…。
 考えますと1989年頃はバブルの時代、もう二度とそのような時代は来ないのですね。
 30年も経てばいろいろなことが変わるもので、身体的な変化は自然、気力も落ちてきていることを痛感します。毎日憂鬱さとの戦いです。

 オオデマリ、ハナミズキ、ヒメウツギを見ながら、私と同じ時間の流れを経て今年も生き生きと美しい花を咲かせている。凍える寒さにも耐えてきたからこそ新しい生命が生まれるのだな、と思いました。
 
 
    2018年3月18日(日)

  梅が散り始め、白モクレンはつぼみがふくらみ、二度咲き桜の枝には花がちらほら。いよいよ今年もクスノキの葉が散り始めました。掃除の季節です。
 最近『ジョン・レノンは、なぜ神を信じなかったのか』ロックとキリスト教
島田裕巳著(イースト新書)を読みました。エルヴィス・プレスリー、ボブ・ディラン、ビートルズについて書かれております。とても興味深いものでした。
 シャンソンンはフランスの歌ですからキリスト教の香りを強く感じることがたくさんあります。この本を読みながら今一度シャンソンンとキリスト教の関係を思わされました。 
 
  2018年3月15日(木)

 元日から今日まで何も書けませんでした。
 昨年1年間、週1回のラジオ番組『奧田真祐美にシャンソンンと共に』に精魂かたむけましたもので、今年は気力が沸き起こるまで自然にまかせることに致しました。お正月を挟んで『真祐美通信』の制作、発送に没頭し、その後は2月3日のディナーショウの準備に集中し、立春から新しい年が始まると思っておりましたところ、寒波がやってきて早起きして寒い中ラジオ体操に行くのはやめました。それから2週間して生まれてはじめてインフルエンザB型にかかり、しばらく寝間着での生活を余儀なくされました。
 予防注射をしたことがなく、それでも罹らなかったもので、私はインフルエンザには罹らない、などと甘い考えでおりました。やはり罹るものだと分かった次第です。
 
 先日冊子『インフォルモ』の仕事で名古屋へ行き、日本で唯一、相撲の力士が使うツゲ櫛を作っておられる森信吾さんを取材いたしました。
 その原稿書きとエッセイの原稿書きが終わりましてから落ち着いてまた
この欄にいろいろな思いを綴りたく思います。 
 
  2018年1月1日(月)

平成30年 明けましておめでとうございます。

こころ平安にお正月を迎えました。
旧年中は大変お世話になり、ありがとうございました。
今年も何とぞお力添え下さいませ。

何やら形式的なご挨拶のみで失礼いたします。取り急ぎ。 
 

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