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真祐美からひとこと


 2018年7月2日(月)

 またもや2ヶ月以上「ひとこと」を書くことができませんでした。時間がなかったのが理由ではありません。
 長くラジオ体操を休んでいましたが、4月14日から再び長居公園へ行くようになりましたのに、ホームページの方はできませんでした。ところが突然、書く気持ちになりホームページを開いたわけです。

 7月7日(土)は13時から大阪国際交流センター小ホールにて「奧田真祐美教室 シャンソンンの集い」を開催いたします。よろしければどうぞお越し下さいませ。1人2曲、変化に富んだプログラムで、歌唱の水準はかなりのものです。それは皆が楽しみながら努力し、レッスンした結果。そして何より、心根やさしく品性を持った方々なのが嬉しいことです。

 7月13日(金)は18時半からサンケイホールブリーゼで「サンケイパリ祭」が行われます。私は『愛の讃歌』と『二度とない人生だから』を歌います。これもお時間がございましたらどうぞお越し下さいませ。

 今年の「奧田真祐美シャンソンリサイタル」は10月7日(日)。チラシ作成中です。3ヵ月の間にポスターやチラシをたのみまわり、チケットを売り、歌の練習をしなければなりません。35年目のリサイタルでも不安で、昨日もほとんど眠れませんでした。胸が鉛で押しつぶされそうな感じになります。
 
 久しぶりに「ひとこと」を書く気になれたのは、今年のリサイタルに初披露する歌の訳詩が出来たからなんです。早くお知らせしたい気持ちでおりますが、チラシが出来上がりましたらホームページでもお知らせ申しあげます。
 
 先日の地震では、つくばに住んでいる姉や姪、仙台のさとう宗幸さん、マネージャーの久保純さん、沖縄の下門美恵子さん、東京、岡山県、愛知県からも電話やメールを頂戴しました。ご心配いただきありがとうございました。
 震度4の揺れは私ははじめて経験した感覚で、とてもこわかったです。大きなテーブルの下に入りましたらすぐ止みました。座敷の棚の七宝焼きの飾り皿が下に落ちていただけでした。 
 地震は突然にきますので油断出来ませんね。と言ってもそのためにいつもヘルメットをかぶって運動靴を傍において寝るわけにいきませんし。

 事件も事故もなく、無事に1日を終えることが出来れば本当に有り難いとつくづく思います。
 シャンソンンの集いでは、皆さんの歌の後、私は最後にジャン・フェラの『ただそれだけの人生でも』と『ゆうなの花』を歌う予定です。
 『ただそれだけの人生でも』の原詩はルイ・アラゴン、曲はジャン・フェラ、訳詩は永田文夫。実によく出来た日本語の歌詞ですので、ぜひぜひ皆さまに聴いて頂きたい。さりげない人生の素晴らしさを歌っております。

 
 
 
 2018年4月15日(日)

 昨夜から雨が降っています。久しぶりの雨にほっと致しました。なぜかと言いますと、樹がとても嬉しそうだからです。夏以外はついつい水やりを怠ってしまい、気がつくと樹が弱りついには枯れてしまうので、自然の恵みは本当に有り難いです。
 今朝庭に出ますとオオデマリとハナミズキ、ヒメウツギが満開でした。どれも白い花、萌え出る若葉の間に浮かび上がる白さに「なんて美しいんでしょう!」と思わずひとり言がでました。
 雨がやみましたら可愛い小鳥の声が聞こえてきました。
 
 地面はクスノキの枯葉の絨毯です。掃除が追いつかず、我が家の庭は後回し、まずはお隣りの土地に落ちているクスノキの落葉掃きをしております。

 そういえば、4月15日は平成元年、私の後援会発足の記念日です。30年前の手帳を開きますと、その頃は毎日あちこち駆け回っておりました。
 パーティの前の日は名古屋でのライヴ、翌日は大阪、次の日は京都、その後は丹波篠山でディナーショー、そして東京の銀巴里などなど。
 手帳を見ながら驚いてしまいました。なんとまあよく動いていたことか、と。
1000人の大ホールで年に2回もコンサートをし、毎月エッセイを書き…。
 考えますと1989年頃はバブルの時代、もう二度とそのような時代は来ないのですね。
 30年も経てばいろいろなことが変わるもので、身体的な変化は自然、気力も落ちてきていることを痛感します。毎日憂鬱さとの戦いです。

 オオデマリ、ハナミズキ、ヒメウツギを見ながら、私と同じ時間の流れを経て今年も生き生きと美しい花を咲かせている。凍える寒さにも耐えてきたからこそ新しい生命が生まれるのだな、と思いました。

 
 2018年4月4日(水)
 
 4月3日は『婦人之友社』の入社式でした。学校を卒業したばかりの20歳の時でした。ずいぶん昔の話です。世の中は変わりました。私も変わった部分もたくさんありますが、本質的には変わっていないように思います。
変わりたくてもどうしても変われないのが人間、自分の思うように生きることが出来ないその苦しみを受け入れる以外にないと下記の本を読んで感じました。
『佐藤家の人びと 〜血脈と私〜』佐藤愛子著(文春文庫)を読んでおりましたら、佐藤愛子の父、佐藤紅緑は明治33年に報知新聞社に入社、34年に退社、その頃一番町教会の植村正久にキリスト教理を学んだとありました。
 婦人之友社と自由学園を創った羽仁吉一、もと子夫妻も同じ頃報知新聞におり、また植村正久とつながりがありましたので、とても興味深く読みました。 
 先日ある方と話をしておりましたら、昨年奧田真祐美シャンソンンリサイタルに友だちを連れて初めて行った、その友だちの感想「ほとんど知らない歌で退屈した」とのこと。その言葉に驚きました。どなたでも知っているポピュラーな曲も取り入れ、考えに考えた選曲でしたので。
 ある方は、「初めて聴いたが、こんなに素晴らしいものだとは知らなかった、感動した」という方もあります。またシャンソンン教室の皆さまは「全部知っている歌で、どれも心に染みいった」「涙が出た」といった感想ですから、人の感じ方は千差万別です。どこに視点を置くか、何を大事にしていくか、考えさせられます。100人中100人が満足するものなどないことを今更ながら痛感いたしました。

  
  
 2018年3月18日(日)

  梅が散り始め、白モクレンはつぼみがふくらみ、二度咲き桜の枝には花がちらほら。いよいよ今年もクスノキの葉が散り始めました。掃除の季節です。
 最近『ジョン・レノンは、なぜ神を信じなかったのか』ロックとキリスト教
島田裕巳著(イースト新書)を読みました。エルヴィス・プレスリー、ボブ・ディラン、ビートルズについて書かれております。とても興味深いものでした。
 シャンソンンはフランスの歌ですからキリスト教の香りを強く感じることがたくさんあります。この本を読みながら今一度シャンソンンとキリスト教の関係を思わされました。
 
 
 2018年3月15日(木)

 元日から今日まで何も書けませんでした。
 昨年1年間、週1回のラジオ番組『奧田真祐美にシャンソンンと共に』に精魂かたむけましたもので、今年は気力が沸き起こるまで自然にまかせることに致しました。お正月を挟んで『真祐美通信』の制作、発送に没頭し、その後は2月3日のディナーショウの準備に集中し、立春から新しい年が始まると思っておりましたところ、寒波がやってきて早起きして寒い中ラジオ体操に行くのはやめました。それから2週間して生まれてはじめてインフルエンザB型にかかり、しばらく寝間着での生活を余儀なくされました。
 予防注射をしたことがなく、それでも罹らなかったもので、私はインフルエンザには罹らない、などと甘い考えでおりました。やはり罹るものだと分かった次第です。
 
 先日冊子『インフォルモ』の仕事で名古屋へ行き、日本で唯一、相撲の力士が使うツゲ櫛を作っておられる森信吾さんを取材いたしました。
 その原稿書きとエッセイの原稿書きが終わりましてから落ち着いてまた
この欄にいろいろな思いを綴りたく思います。
  
 2018年1月1日(月)

平成30年 明けましておめでとうございます。

こころ平安にお正月を迎えました。
旧年中は大変お世話になり、ありがとうございました。
今年も何とぞお力添え下さいませ。

何やら形式的なご挨拶のみで失礼いたします。取り急ぎ。
  
 2017年12月18日(月)

16日は曇り、寒い1日でした。
大阪公演は無事終わりました。感謝と安堵の心境…ホッとしたいところですが、東京公演まで5日、しっかり23日をむかえたいと思っております。
公演後に頂いたありがたく嬉しいご感想を慎んで受けとめ、これからの励みに致します。
演奏者、舞台関係のスタッフ、サンケイホールブリーゼのスタッフ一同が『奧田真祐美シャンソンンリサイタル』のために心を合わせて力を尽くして下さったと実感しております。サンケイホールでの開催30年、来年も頑張ります。
ありがとうございました。

 
 2017年12月7日(木)

 寒い日がつづいておりますね。今もかじかむ冷たい手でキィボードを打っております。服の上に毛布をはおり、足元に電気ストーヴ。決して寒いのが好きなのではなく、エアコンを入れますと音と風が気になって集中出来ないのです。音と風がなければあたたかい部屋で過ごしたいもの。
 
 リサイタルは来週の土曜日に迫りました。
 夏にチケットをご購入下さった方は待ちくたびれられたのではないかと案じております。もう少しですので、お待ち下さいませね。

 1月6日から始まったラジオ番組『奧田真祐美のシャンソンンと共に』(ラジオ大阪)はあと4回となりました。1年間に53回、パーソナリティをつとめた貴重な経験は今年のリサイタルやこれからの音楽活動に意味のあるものと思っております。
 
 今年のリサイタルは『倖せは心の中に』というテーマです。
人は誰でも倖せを求めて生きており、音楽はその担い手でありたいと願っています。しあわせの外的な要素はそれぞれ人によって異なり、しあわせには形がなく、人と比べるものではなく、自由で、一人一人の心の中にあり、感じるもの。お越し下さった方々の心にそれぞれのしあわせを感じて頂ければ嬉しく思います。

 今年はじめて歌いますのは、『The end of the world』邦題は『この世の果てまで』ブレンダリーの歌で有名です。訳詩は中田美栄さん。訳詩者のつけた題は『あなたの愛がなければ』。美しい世界の名曲を美しい日本語訳で歌います。
 
 選曲の基準は、リサイタル34年間の中でリクエストの多かったものと奧田真祐美がライフワークにしているジャン・フェラの歌から、『ただそれだけの人生でも』『もしも貴方に逢えずにいたら』『夜と霧』。ほか、皆さまがよくご存知の歌では『愛の讃歌』『ラノヴィア』『アメイジング・グレイス』などなど。アダモの『明日は月の上で』は30年ぶりに歌います。
 自信過剰な言い方はさけたいと思いますが、1年に1度のリサイタルですので、やはり自信を持って選曲し、歌わなければならないと言いきかせております。

 演奏はにしかわまこと&弦楽アンサンブル、ピアノと6人の弦楽器によるアコースティックな世界をお届け致します。

 開演4時、終わりますのは夕方6時です。遠い方でもそれほど遅くならずに帰れる時間帯ですので、土曜日のひととき、どうぞごゆっくりお過ごし下さいませ。 当日券もございます。

  
 2017年11月11日(土)

1ヶ月以上も、またまた間があいてしまいました。
この欄を開いて下さった皆々さまには申しわけなく思っております。
今日こそ落ち着いて「ひとこと」を書こうと決心しパソコンに向かうのです。ところが書き始めますと書けなくなります。ラジオでしゃべったこと以外のことを書こうと思うからですね。そしてリサイタルまであと35日となり、当日まで気を引き締めて生活しなくてはなりませんし、やはり今日も、このヘンで失礼します、となりました。
 
 2017年10月1日(日)
 
 ようやく「ひとこと」を書く時間がとれました。
 8月と9月は何をしていたのかと申しますと、リサイタルの準備とラジオ番組の準備にエネルギーを費やしておりました。昨日第77号『真祐美通信』を発送し終えたことで次の仕事に取りかかれる状態になりました。
 まず気分をかえたくなり、観葉植物を買い、家具を一つ移動させました。
 思い立ったらすぐしなくてはいられず、花屋さんへ寄ったところ、今日入ったばかりだという珍しい観葉植物が目にとまりました。迷わず購入。たったそれだけのことで嬉しくなり、今夜は落ち着いて眠れそうです。

 書きたいことは山ほどありますが、ラジオのトークにとっておかなければなりませんので、失礼いたします。
 
 2017年7月29日(土)

 なんとまあ、またまた長く「ひとこと」を書いておりませんでした。
7月2日にシャンソン教室の発表会がありました。出演された皆さん、素晴らしいものでした。それが終わりましたら21日はサンケイパリ祭。私が歌ったのはジャン・フェラの『人生は美しい』とアーラ・プガチョワの『しあわせな3日間』です。『しあわせな3日間』は19年前にロシアに行った時に手に入れたプガチョワのCDに入っていた歌で、一度聴いただけで気に入り、レパートリーにした歌です。とても面白い歌でわたし好みの歌。CDには歌詞カードなどありませんからロシア語の分かる方に歌を何度も何度も聴いてもらい、だいたいの言葉を拾い、譜面をおこし、それを訳詩家に頼んで日本語の歌詞をつけてもらい、アレンジャーにアレンジを頼み、レッスンを重ねてようやくステージで歌えるようになるわけです。本邦初演の歌というのは実に手間のかかるものですが、それだけ歌い甲斐があり、自分の宝ものになります。
パリ祭後はラジオ番組でお話することに時間を費やしていましたので、久しぶりに「ひとこと」を開いてびっくりしました。

 ところで、母校の自由学園関西卒業生会が「レストランアラスカ」で開かれ、
出席いたしました。東京から学園長夫妻も来られ、同じテーブルでしたので、ご挨拶することが出来ました。
 12月16日(土)サンケイホールブリーゼで行う「奧田真祐美シャンソンリサイタル 〜倖せは心の中に〜」のチラシを皆さまにお手渡ししました。
 どのようにお客さまにお越しいただけるようにすればよいか、本当に難しいことで…。
 
 2017年6月18日(日)

 最近、この「ひとこと」に何も書いておりませんでした。せっかく開いて下さった方に申し訳ない気がいたしますので、今日は何か書こうと思いパソコンに向っております。
 本当はお話ししたいことがいっぱいあるのです。読んだ本の話、ラジオ体操は楽しい話、なぜメールが来ないのかという話、なせメールを出さないのかという話、人間は笑うことがとても大事だと言われるが、面白くもおかしくもないのに笑いのは抵抗を感じる話…。
 
 毎朝、黄色く熟した梅の実が地面に落ちています。桃のような甘い香りがしています。おいしそうです。捨てるのはもったいなく、1キロほどたまれば梅ジャムを作ることにしました。数日間で1キロ余になりましたので、婦人之友社から出ている保存食の作り方の本を見ながら作りました。
添加物なしの梅ジャム、味見しますとやっぱり酸っぱい。イチゴ、リンゴ、イチジク、ママレードの方がおいしい。以前、ナイヤガラという葡萄がたくさん実ったときもジャムを作りました。それはとってもおいしく人様にも差し上げました。今回の梅ジャムは人様にさしあげても喜ばれないと思いますので、残念です。

 ラジオ大阪『奧田真祐美のシャンソンと共に』の番組のため、先日私のCDの歌とその原曲を全部聴きました。約200曲。朝から晩までかかっても聞き終えることができず、2日間かかりました。時間のあるときに(暇暇に)すればいいものを、まどろっこしいことは苦手、なんでもすぐやってしまいたい性分で、済んだあとは肩がコリコリ、マッサージに駆け込む有様。
 自分のCDを全部聴いてみますと、レコーディング以来、ほとんど歌っていない歌もありますし、「よくまあこんな難しい歌を歌っていたなあ」と思う歌もあります。選曲の時に、「いい歌だ」と思うからCDに収録するわけで、自信を持ってリサイタルなどでどんどん歌えばよいのですが、なぜかいつも候補曲からもれてしまう歌があります。
 お客様が「知っている歌を歌ってほしい」とおっしゃいますと、つい本邦初演の歌などは遠慮してしまうのですが、ラジオでは全部おかけしようと思っております。素晴らしい楽曲がいっぱいありますので、ぜひお聞き下さいますようお願い申し上げます。

 6月22日(木)夜7時半〜8時 
   29日(木)夜7時半〜8時

 ※7月から毎週土曜日の夜8時半〜9時になります。

  7月1日(土)夜8時半〜9時
 
 2017年5月26日(金)

 なんとまあ、一ヶ月も「ひとこと」を書いていなかったのですね。驚いております。あまりにも月日の経つ早さに。
 久しぶりに書こうとパソコンに向かいましたものの、今からまたラジオの準備をしなくてはなりませんので、また落ち着きましたら続きを書くことにいたします。
 
   
 2017年4月26日(水)
 
 今年2回目の『真祐美通信』とラジオ番組の準備をしておりますうちにあっという間に日が経ってしまいました。
 9日のひとことで、掃除の時間がないと書きましたが、その後仕事の合間の時間を見つけてはクスノキの落ち葉掃除をしております。
 
 今日、A4サイズ10ページの『通信』の校正が終わりました。面白そうなニュースがありますとつい『通信』やラジオの話にしたくなりますので、この欄が後回しになり失礼しております。
 何度も同じことを申しまして恐縮ですが、どうぞ木曜日夜7時半〜8時、ラジオ大阪、お聴き下さいますようお願い致します! パソコンでお聴き頂けます。
   
 2017年4月9日(日)

 4月9日は私にとって忘れられない日です。7年ほど前までは我が家のしだれ桜が最高に美しかった日でした。ところが数年前に枯れてしまい切らざるを得なくなりました。もっともっと美しく成長するだろうと信じておりましたのに…。木が枯れるのは悲しいもの。どんなに大好きな木でも枯れたら切る以外ありません。枯れた木をそのままにしておくのはイヤで潔く処分してもらいます。こういうことって、人生においてもあるような気がしております。

 ところで、しだれ桜への思いが尾をひき新たに2年前、裏庭に植えてもらいました。まだ細い幹ながら品のよい花を咲かせてくれました。私の生命のある時まで枯れないで毎年元気に咲いて欲しいと祈りました。
 
 いまはクスノキの落ち葉で地面がすっかりかくれるほどになってしまいました。古い葉っぱが全部落ちて新しい葉が出る時期ですから自然の摂理。掃除は人間の仕事。しかし時間がない! 
  
  
 2017年4月3日(月)

 4月からラジオ大阪『奧田真祐美のシャンソンと共に』は毎週木曜日の
夜7時半〜8時になりました。今週の木曜日(6日)です。番組始まって初のゲスト、札幌から小野有五さん(北海道大学名誉教授)をお招き致します。
 ロシアのアートをめぐってのお話し、歌は『百万本のバラ』3通り、おかけします。とっても興味深い内容だと思いますので、ぜひぜひお聴き下さいますようお願い致します。小野さんはオノヨーコさんのおいとこさんです。

  
 2017年3月20日(月)春分の日

 2日から今日まで気になりながら「ひとこと」を書く余裕がありませんでした。自分のペースで生活しているつもりですのにバタバタと何かに追われている毎日。書き出したものの、今日もご挨拶だけで失礼します。
  
 2017年3月2日(木)

 この頃、頭の中にはいつもラジオのことがあって、大事な原稿を書くのと同じくらいあれこれ考えております。お便りをいただきますと大いに励まされ、力になります。ラジオに限らず、リサイタル、ディナーショー、いろいろなライヴの後ですぐご感想を頂くと本当に嬉しいです。
 
 2月10日(金)は沖縄の歌『ゆうなの花』とジャン・フェラの『愛ただそれだけ』
    17日(金)は『小さなひなげしのように』
    24日(金)はアズナヴールの『O Toi La Vie』と『じっとこうして』
 を聞いていただきました。
 歌だけでなく、お話したいことがいろいろあって、それが面白いか楽しいか私には分かりません。でもお話しなければシャンソンにつながらないので、ご了承下さいませ。
 
 この間のディナーショーの時、『枯木の上に』を歌う前に『枯木の上に』について書いた私のエッセイを朗読いたしました。それがよかったと感じてくださった方が一人いて、私の思いが伝わったことをうれしく思いました。

 
  
 2017年2月20日(月)

 10日ほど前のことです。公園の植え込みに何やら動く気配を感じ、気になって近くまで見に行きました。するとグネグネしてウロコみたいなものが目に入り,得体が知れず一体何だろうと思いました。そのうちそれが小さな犬だと判明。頭の1部分と耳としっぽの先だけに茶色の毛が残っているだけで、あとは毛が抜け落ち胴体は皮膚だけ。それも怪我をしていて赤い血がにじんでいました。猫のえさのカリカリをさがして食べていたのでしょう。あまりにも痛々しい形相に驚きました。皮膚病に罹患したために捨てられたのか、捨てられたあとで皮膚病にかかったのか…。どうすることも出来ず心痛めながら帰りました。翌日にはもう姿は見えませんでしたから、どなたかが動物病院に連れて行ってくれたことを願うばかりでした。
 捨てられて外で暮らす猫たちは寒い日、雨の日にはどこで寝ているのか、
家ネコはコタツや人のぬくもりを求めて生活していますのに、その運命の違いに非情を感じてなりません。
 どうか猫、犬殺処分ゼロの世の中になりますように、、どうか虐待がなくなりますように!!

  
  
2017年2月17日(金)

 今晩8時からのラジオ大阪『奧田真祐美シャンソンと共に』にどうぞチャンネルを合わせて下さいませ。
 
 2月11日(土)に大阪新阪急ホテルで「奧田真祐美 早春にうたう ディナーショウを開催いたしました。とても寒い日でしたが、あたたかいお部屋で美味しいフランス料理、ショウはピアノとヴァイオリンの伴奏で花に因んだ歌を10曲。皆さま和やかに楽しんでひとときをお過ごし下さいました。

 ラジオを聴いて下さっている方から毎週お葉書やメールをラジオ局へ頂きます。これは局宛てではないのでここにお載せいたします。
 「毎週ラジオ聴いています。奧田さんの歌と原曲を聴ける企画、とてもいいです。どちらの良さも伝わって、シャンソンをより深く知り、感じることができます!」 

 最近、私の頭の中は、“今度はどんなお話しをしようかしら、どの歌をかけようかしら"で渦巻いております。
 
 
 2017年2月4日(土)

立春
いよいよ新しい年が始まる、という気持ちがしております。
昨日はラジオ大阪『奧田真祐美のシャンソンと共に』の放送5回目でした。
節分について、鬼というものについてもっと突っ込んで話したかった…。時間が短ければそれなりに話をしなくてはいけないのですね。

 ラジオで流した歌をご紹介いたします。
 1月6日=『クスノキのうた』(奧田真祐美作詞・さとう宗幸作曲)
 『いつの間にか時は過ぎ』 ジャン・フェラの『いつの間にか時は過ぎ』
 1月13日=『もう一度愛を』(奧田真祐美作詞・さとう宗幸作曲)
 『ただそれだけの人生でも』 ジャン・フェラの『ただそれだけの人生でも』
 1月20日=『愛のバラード』(奧田真祐美作詞・さとう宗幸作曲)
 『枯木の上に』 ジュリエット・グレコの『枯木の上に』
 1月27日=『理由もなく』(奧田真祐美作詞・さとう宗幸作曲)
 『聴こえるきこえる』 ジャン・フェラの『聴こえるきこえる』
 2月3日=『街角のアヴェマリア』 『1日のはじまり』 ジャン・フェラの『1日のはじまり』

 今度は2月10日(金)夜8時〜です。
 1月はオリジナル曲とジャン・フェラを主に聴いていただきました。
 関西エリア以外でもパソコンやスマートホンから聴いていただくことが出来ます。どうぞよろしく!
 
 
 2017年1月23日(月)
 
 昨年の元日には映画『杉原千畝』を見に行き、感銘を受けた1年の出だしでした。今年は見たい映画がなかったので残念な気持ちでおりました。
  
 ところで、今まで読んだ本の中でこころに残ったものを5冊選ぶとしたら…という問いがあれば私は12歳の時に出会った羽仁もと子著の『子供読本』と学生時代の読書の時間に読んだポーランドの作家ヘンリク・シェンキェヴィチの『クォ・ヴァディス』、25歳くらいの時に読んだベティ・フリーダンの『新しい女性の創造』、28歳の頃に読んだ遠藤周作の『沈黙』とずっと後に読んだ芝木好子の『群青の湖』を挙げます。もちろん、もっともっと素晴らしい本に出会っておりますが、挙げ出すときりがありません。
 つい先週、新聞広告で米国映画『沈黙 サイレント』のロードショーがあると知り驚きました。あの小説が映画化されるとは!
 
 丁度今年はじめに出した『真祐美通信』新年号の〜真祐美からひとこと〜で江戸時代にキリスト教の弾圧があったことにふれましたので不思議な思いが致しました。
 こころに残った本と言っても、中身はほとんど忘れていて、ただその時感銘を受けた、それだけが残っているだけのこと、なさけない話です。

 私の今年初の映画が関心の深い作品であったことはうれしいことでした。
 江戸時代初期の話でありますのに、日本のおけるキリスト教という問題では今日でも変わっていないと感じました。
 
 当時の様子が見事に映像化されていて、数々の拷問場面には思わず目を背けたくなりましたが、事実はもっとむごかったと思います。
マーティン・スコセッシ監督が28年がかりで映画化したとのこと。それだけの時間がなければ重み、深みのある映画は作れないだろうな、考えに考え、練りに練って作りあげる、そのような姿勢で何事もことに当たりたいと思った次第です。

 司祭は足をあげた。足に鈍い重い痛みを感じた。(中略) 踏むがいいと銅版のあの人は司祭にむかって言った。踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。

 小説の最後に書かれているこのイエスの声こそ、遠藤が言いたかったことだと私は解釈しています。神は見えない、声もない。しかし神に選ばれた者には聴こえるのですね。
 
 信仰というのは個人のこころの問題ですから、人から薦められたから信じるといったものではないし、御利益を願って信じるものではない。理屈ではないのですね。
 
      
 2017年1月15日(日)

 15日は成人の日、と頭に染み込んでおりまして、いまこのひとことを更新するために開きましたら下記の9日に成人の日と書いてありましたので、「ああそうだった」と思い出した次第です。(自分で書いた)
 二十歳の時、私は成人式に出席しませんでしたので、二十歳になった!という特別な感慨を味わう機会がありませんでした。

 昨日、今日と厳しい冷え込みです。今朝6時に目覚まし時計が鳴りました時、起きようかもう少し寝ていようかと迷いました。昨年の1月は今年よりも寒い日がありましたのに1日も休まずにラジオ体操に行きました。ところが今年はもう2回も休んでしまいました。“今日行かなかったらこれからもずるずるとさぼりそうだ。今日は15日松の内だ、起きよう!”と決心。ラジオ体操に行った日と行かなかった日とでは精神的に大きな違いがあります。けれど、どこか具合が悪ければ行くことはできませんので、年なりに健康でいられるのはありがたいことですね。

帰りましてからしめ縄と門松を取り外して燃やし、お正月は終わりました。

   
     
2017年1月9日(月) 成人の日

 6日の第1回のラジオ放送終了後、思いもかけずメールをたくさん頂戴しました。 「自然な感じだった、楽しかった、奧田真祐美らしかった、25分はあっという間だった、来週も楽しみ」と言って下さる方が多く、大きな励みとなりました。これからも自然体で、かつ当たり障りのない表面的な話しより、内容のある、楽しい番組にしていきたいと思っております。今度は1月13日です。

 どうぞご感想など下記のラジオ大阪までお送り下さいませ。
    
2017年1月6日(金) 

 今日からラジオ大阪『奧田真祐美のシャンソンと共に』の番組が始まります。毎週金曜日の夜8時〜8時25分、ぜひお聴き下さいませ。
 チャンネル=AM1314 & FM91.9です。
 〒552−8501 ラジオ大阪 『奧田真祐美のシャンソンと共に』係り
 メール:mayumi@obc 1314.co.jp

  昨日私が発行している『真祐美通信』を印刷に出し、少しホッとしております。原稿書きに疲れたときはインターネットで猫の動画を見て気分転換いたします。(目を休めることにはならないのが問題)捨てられ死にかけていた猫が心ある人に拾われて幸せに暮らしているのを見ますと嬉しくなります。その一方で不幸な猫たちが世の中にはたくさんいて、それは本当につらいことです。どんなものでも幸不幸は運命としかいいようがないのでしょうか…。
 
 『真祐美通信』にも書きましたが、何が幸せかと言いますと、こころが平安(おだやか)でいられることだと思われてなりません。病気であっても、家族がなくても、物質的に恵まれていなくても、精神の安定は可能なのかどうか。
もし可能ならばどんなに幸せなことでしょう。

 この1年何がおこるか予測はつきませんが、何がおころうと動揺せず冷静に、かつ情熱を忘れずに生きていきたいと願っております。
   
 2017年〈平成29年〉1月1日(日)

 明けましておめでとうございます。
 新年をこうして無事に迎えられましたことをありがたく思うと同時に、皆さまのご多幸を心からお祈り申し上げます。
 今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 
   
 2016年12月28日(水)
 
 膝の痛みは自然と治りました。今年はとうとうあと3日。やり残していることがいろいろあります。考えることがいっぱいあります。何を一番先にすべきか、何が一番大切かを考えながらひとつひとつ片づけてゆく他ありません。
いらないものは捨てたい。いるものは指定場所にしまいたい。それをしてしまわないと落ち着きません。
 
 以前、歌詞を作ろうといろいろ考えておりましたら、出てくる言葉は「なぜ?」でした。つまりそれだけ日々の中で「なぜ?」と感じることが多いのですね。
しかし、それを口にしてはいけないと押しとどめる自分がいて歌詞は出来ませんでした。「どうして?」「なんで?」 という言葉は人を非難する言葉になると思ったからです。心を開いてコミュニケーション出来ればよいのですが、難しいものですね。

 さて、あと3日、大雨が降らなければラジオ体操に行こうと思います。
   
 2016年12月18日(日)

 前回のこの欄でラジオ体操のことを厚かましく自慢げに書いた途端、数日後、膝に痛みが生じ3日間休んでしまいました。足が痛くなくても15日は朝早くに家を出て奈良・五條へ行く日でしたので、どちらにせよラジオ体操は無理でした。こうしていろいろなことは継続が困難になるのですね。
 
 リサイタルが終わり、12月15日の姉と私の『シャンソンと語り』のライブも無事に終わり、来年早々に発送する『真祐美通信』作りと、来年1月6日(金)から始まるラジオ大阪の番組『奧田真祐美のシャンソンと共に』、2月11日に行う『早春に歌うディナーショー』の準備にかかっております。
 腕と肩も凝ってきました。身体のためと思って何かをしますとどこかがヘンになるのですね。
   
 2016年12月11日(日)

 今朝長居公園にラジオ体操をしに行きましたら、知らない女の方が「おはようございます!」と声をかけてこられました。 「いつも姿勢がいいですね。ラジオ体操も正しくされていて目立ってます」とのこと。びっくり致しました。
冬などまだ薄暗く、誰も見ていないと思って体操をしておりますのに、見ている人がいると分かり、恥ずかしいやら嬉しいやら。
 今年の元日から歩いて15分の長居公園へラジオ体操に行くことを決めました。1月は1日も休まず、2月は東京へ行った時の3日間だけ休み、3月からは雨の日や朝早い仕事の日など時々は休みました。特に8月は暑さのためとリサイタルの準備に追われ、半分は休み、11月はリサイタルを大阪と東京で致しましたので11日しか出来ませんでした。
 6時に鳴る目覚まし時計の音でパッと起き上がらないと、ついつい寒さに負けて「もうちょっと寝よう」「無理せず今日はやめておこう」とささやく自分がいます。それをはねのけ、寝ぼけ眼で着替え、暗くて寒い道を歩いているうちに目が覚めてきます。いつまで出来るかしら…と思いながら12月になりました。
 
   
 2016年12月8日(木)

 11月27日の東京公演も無事に終わりました。このような場合、無事という言葉が適切なのかどうか分かりません。私の貧しいボキャブラリーでは他に見当たりません。自画自賛にならないようにしたいと思えば無難な言葉です。6月頃から具体的に始まったリサイタルの準備、11月19日のために歌の練習は当然のこと、チラシとお手紙をお送りし、あちこちへポスター頼み、『真祐美通信』作り、ラジオ出演、チケットたのみ、自分の出来る限りのことをいたしました。けれど自分の力などしれていますので、思うようにいかないことだらけです。かと言って愚痴をこぼしたり、落ち込んでいてはいけない。楽天的でいても解決しない。傷つくことがあっても猫のように自分で傷口を舐めて治す以外にない。とにかく今年のリサイタルは有り難い言葉に包まれて終わりました。ホッとする間もなく、15日には祖母の生家、奈良・五條にある「うちのの館」で姉の語る昔話と私のシャンソンのライブがあります。初めての企画です。
 旧い家の日本間で語るグリム童話や日本語で歌うシャンソン、楽しんで頂ける会にしたいと思っております。
   
 2016年11月23日(水)

 19日、無事に大阪公演=第33回目サンケイホールブリーゼでのリサイタルが終わりました。
 有り難いご感想をたくさん頂いており、感激と感謝の思いでいっぱいです。 27日は東京公演=南青山マンダラが控えておりますし、気を引き締めつつ、大阪の時のように自然体でのぞみたいと思います。
 このひとことに何度も書いております『真祐美通信』の新年号でリサイタルのことを詳しくご報告申し上げます。
 
 今日はナナ(猫)の命日、2年前に19歳で亡くなりました。クスノキのそばに埋葬しましたので、今朝はリサイタルの時にいただいたバラの花を添えてやりました。最後まで付き添ってやることが出来、ペットロスにはなりませんでしたが、2年経った今も思い出します。
 
   
 2016年11月18日(金)

 今朝、MBS(毎日放送ラジオ)「ありがとう浜村淳です」に出演いたしました。
 ぶっつけ本番の生放送、どのような話しの展開になるか、楽しみと緊張感を持ってマイクの前に座りました。
 20年くらい前のこと、関西テレビの「浜村淳の人・街・夢」という番組で私の家にお越し下さったことがありました。クスノキに会ってやって頂くためです。その時は我が家のクスノキでなく、隣りの父の生家にあるクスノキのところへご案内しました。当時拙宅のクスノキはまだ大阪市の保存樹に認定されていませんでした。(その後、平成20年に第108号に認定)
そのことをちゃんと覚えていて下さり、クスノキのことが話題に出ました。トーク中、BGMに『クスノキのうた』を流して下さり嬉しいことでした。
 明日のリサイタルのこともしっかり話して下さいましたので、ラジオを聴かれてサンケイホールブリーゼにお越し下さる方がおられましたら幸甚です。
 そして、初披露の新曲『愛はめぐりて』が皆さまのお心に届きますように、1曲でも「よかった!」と感じて頂ける歌がありますように…。
   
 2016年11月15日(火)

 13日(日)の産経新聞朝刊に19日のリサイタル記事が大きなスペースに写真入りで掲載。記事は心ある内容と文章でまとめて下さり、嬉しいことでした。写真は持ち込みでなく、取材の時にカメラマンが撮って下さり、掲載されるまでどのような写真が出るか分かりませんので、新聞を広げる時の不安はいかばかりか…。

 リサイタルまであと4日、当日には心身ともに最良の状態で臨みたいと願うのみです。今は面白いニュースやエピソードを紹介することが出来ませんので、そのうちお話いたしましょう。
 
   
 2016年11月3日(木)

 10月30日(日)に奈良県大宇陀にある慶恩寺(浄土宗)で行われた第12回
「菩薩と歩む夢行道」〜奧田真祐美シャンソンのひととき〜で午前11時半から1時間歌ってまいりました。本堂の中、ご本尊を背に歌ったのは初めてです。以前に、法華寺で歌った時は本堂の前に作られた野外の舞台でした。
 檀家の皆さまや近隣の方々などが大勢お集まり下さいました。シャンソンははじめてという方がほとんど、年齢はお子様からご年配の方まで幅広い層でしたので、それらを考慮して、バラ色の人生・パリの空の下〜巴里の屋根の下・誰もいない海・ふるさとの山・百万本のバラ・愛の讃歌・時計・哀しみのソレアード・クスノキのうたなどを選曲。また、本堂にふさわしい衣装をと考え、ベージュのドレスにゴールドのアクセサリーにしましたところ、歌とともに好評を頂き嬉しいことでした。
 後日、お寺で聞いて下さった方から「はじめてシャンソンを聞いたがよかったのでサンケイホールブリーゼにも行きたい」と11月19日のチケットの申し込みを頂きました。感激! 
 
   
 2016年10月27日(木)

 11月8日(火)FM大阪 午前10時過ぎから「GOOD MORNING OSAKA」
 11月18日(金)毎日放送ラジオ〈MBS〉「ありがとう浜村淳です」
  奧田真祐美が出演いたします。どうぞお聴き下さいませ。

 先日バンドとの音合わせがありました。トップクラスの素晴らしいミュージシャン9人の演奏は本当に素敵です。『愛の讃歌』や『枯葉』のスタンダードナンバーからドラマティックもの、小粋なシャンソン、楽しい歌、しっとりした歌など初めての方でも決して退屈などされないものと思っております。

 
  
 2016年10月21日(金)

 哲学者の中島義道さんの著書には人が思っていても口に出せないような痛烈なことがずばっと書かれていて、共鳴するところがかなりある。
 中島さんのファンが多いから哲学とは無関係の人間にも読める本を次々と出されるのだろう。読むたびに、この方は本当に真面目なんだなあと思わせられる。
 「思いやり」という暴力(PHP文庫)の中から一部書きだしてみたい。

 〈対話〉のある社会とはどのような社会か…。中略 相手に勝とうとして言葉を駆使するのではなく、真実を知ろうとして言葉を駆使する社会である。それは「思いやり」とか「優しさ」という美名のもとに相手を傷つけないように配慮して言葉をぐいと呑み込む社会ではなく、言葉を尽くして相手と対立し最終的には潔く責任を引き受ける社会である。それは対立を避けるのではなく、何よりも対立を大切にしそこから新しい発展を求めてゆく社会である。

 
 学生時代、新年の抱負に思っていることを正直に書いたところ、クラスを代表して全校生徒の前で読むのに選ばれたことがある。ところが先生に呼び出され、「あなたは去年も代表して読んだから今年は他の人に譲りなさい」とやんわりたしなめられたことがある。真面目に学校を思って少しばかり反骨的なことを書いたからだ。
 もっと小さい頃の話。父に「こんなことをしたらもうアカンで!」と言われた時、私は「する!」とこたえたもので、父が「こんな子しらんわ」と呆れていた。
なぜ「ごめんなさい。もうしません」と言わなかったのかと言うと、人間に絶対はないし、本当に悪いと思っていないのに口先だけであやまるのはいかがなものか、それにまたするかも知れないのに、ごまかしは言えない、と思ったのだ。三つ子の魂百までである。
 
  
 2016年10月10日(月)

 今朝は寒くて急に晩秋を感じました。
 
 最近読んでよかったと思った本は、「ピアニストは語る」ヴァレリー・アファナシエフ(講談社現代新書)です。彼の話は哲学的で分からないことだらけ。ただ何となく雰囲気を感じたというだけのお粗末なことですが…。

 話は変わります。
 人と人が親しくなるにはまず会話が大切ですね。一つの出会いがあったら、その人といろいろ話をしたい、ききたい、きいて欲しいと思うもの。親戚でも友だちでも努力しなければ長いつきあいは出来ないような気がいたします。
けれど、相手の方にその気がなければ発展性はなく、単なる知り合い止まり。陳腐な言い方ですが、心の扉を開いて精神的な話をしたいなあと思ってもそう出来る人は本当にわずかです。
 フェイスブックで「いいね」をクリックして友だちをどんどん増やしていく人やブログでアクセス数が増えている人を見て、なぜ私にはそれが出来ないのかを考えました。つまり、私の心のどこかに引っかかるものがあるからなんですね。

 リサイタルではお客さまに楽しく喜んで頂ける歌、感動して頂ける歌を歌いたいと思います。それはウケ狙いとは違い、ウケることばかり考えておりましたら自分がなくなってしまいますものね。
 今年(11月19日)のプログラムは33回のリサイタルで唯一のプログラムですから、マンネリにはならないと思っております。20曲ほどの中にはお好きな歌があるものと…。
 どうぞお越し下さいませ!

    
   
 2016年10月4日(火)

 先月、京都のロータリクラブでスピーチ(卓話)をしました。京都の名士約160名の前で、テーマは「愛と人生の歌 シャンソン」。短い時間にシャンソンについて受け売り的な話をしても仕方ありませんので、私がなぜシャンソン歌手になったのか、今の日本におけるシャンソンの世界について話をする予定で原稿を作りました。時間が余ってしまったらどうしよう、と心配しながら、まず京都と私との繋がりから話しはじめました。さて、これから本題に入ろうと思っていましたらメモを渡され、「時間です。歌に入って下さい」とのこと。肝心の話が出来ず、さわりだけで尻切れトンボの話で終わり、何とも言えない気持ちになってしまいました。話したいことがいっぱいありすぎました。時間配分が間違っていました。
 最後に1曲だけ歌うことになっており、皆さんがよくご存知の『愛の讃歌』か私のライフワークであるジャン・フェラの『ふるさとの山』にするつもりでしたが、考え直し急きょ『クスノキのうた』に変更。後から何人もの方々からお声をおかけいただきこの歌にして良かったと、少しだけホッとして帰ることが出来ました。
    
 2016年9月23日(金)

 ラジオ・FM大阪で、昼と夕に「奧田真祐美シャンソンリサイタル」のCMスポットが流れます。お聴きいただけると嬉しいです。
 
 FM放送出演のお知らせです。
● FM尼崎     10月19日(水)18時〜 「昭和通二丁目ラジオ」
● 西宮さくらFM 10月24日(月)15時〜 Cafe @さくら通り

 この間発行しました 「真祐美通信」第74号の1ページに書いたものをここに載せることに致します。

  TVの『とと姉ちゃん』を見ておりますといろいろなことが思い出されます。
 平塚らいてう著の『元始、女性は太陽であった』や、ベティ・フリーダンの『新しい女性の創造』やボーヴォワールの『第二の性』などを読みかじっていた時期がありました。学生時代を含め11年の東京生活を引き揚げて両親の待つふるさと大阪へ戻ってからのことです。
 先の見えない世界でも自分で決めた歌の道を進むべきか、いやそれは親を悲しませる選択になる。12歳から両親の元を離れて暮らしていた者としては大いに悩み、真の女性の生き方とは何かなどと模索していた20代の頃でした。
 最近になって平塚らいてうの長女が私の母校・自由学園に入学していたことを知り驚きました。
 学園の創立者の羽仁吉一、羽仁もと子(日本で初の女性新聞記者)夫妻は明治時代に雑誌『婦人之友』を創刊。その出版事業に次いで自由学園(フランク・ロイド・ライト設計)を創立しました。
 卒業後、婦人之友社の編集部に入れて頂いた私、入社の面接時のことです。緊張しながら「勉強させて頂きます」と言ったところ、ベテラン女性記者が「あなたねえ、ここはプロの世界なのよ。勉強させて頂きますなんて甘いことを言っては駄目よ」という言葉が返ってきたのでした。
 先日、東京へ行った折に目白の婦人之友社を訪ね、編集部の先輩だった千葉公子さん(現社長)に何十年ぶりかでお会いしました。
 玄関の大谷石も編集室も応接室も昔のまま。懐かしさと共に、歌のために2年余で辞めた自分の姿がよみがえり、忸(じく)怩(じ)たる思いになりました。しかしどんな失敗も恥も悔いも、人生という畑の肥やしのような気がしております。
   
 2016年9月21日(水)

 雨の日の長居公園はさすがにラジオ体操、ウオーキング、ジョギングをする人がうんと減ります。昨日は途中から雨が降り出しましたのでコンビニで傘を買っている間に第1体操は終わってしまい、第2体操から。そういう時は物足りない気持ちになるものですね。かなりの雨の中でもびしょびしょに濡れながら何人かの方は走っていました。 
 いつもなら大勢でにぎやかな朝の公園、しとしと雨なら人影なく静かな緑の中を歩くのはなかなかいいものです。
 
 リサイタルではお客さまはどのような歌を好まれるのか、楽しんで頂ける歌を歌いたいと思います。しかし、十人十色、好みはそれぞれですから全員の方に満足して頂ける歌を歌うのは至難の業です。ご希望やご意見を参考にしながら最後は自分で決断しなければなりません。公園を歩きながらああでもない、こうでもないといろいろな思いが駆け巡ります。
 いろいろな情報や意見をきき過ぎますと自分を見失うことになりかねません。よほど自分というものをしっかり持っていなくてはならない。かといって意思を貫こうとすると、我が強いとか頑固だと言われる。頑固は言い換えれば意志が強いということですが、自己中という言葉はどうも好きになれない。正義を振りかざすこととどこか共通するものを感じます。私はまず使わない言葉の一つです。
 
 窓の外は雨、小雨時の雨の音はいつ聞いても「いいなあ」と感じます。庭木はしっとり濡れて「なんて綺麗なんだろう」と思います。
 
  
 2016年9月19日(月)

 秋のリサイタル・大阪公演まであと2ヶ月になりました。
リサイタル活動を始めまして今年で33回目、33年目。リサイタルの実情(準備の仕方、経済的なこと、動員についてなどの困難や苦労)を詳しくだれかれとなくお話するものではありませんので、ほとんどどなたにも申し上げておりませんでした。そのせいか、さほどの苦労もなく毎年リサイタルを継続していると思われている方がいるのを知って驚きました。もっとも私が話さなければリサイタルとはどういうものか分かっていただけないのは当然ですが、そのようなことをお話するより、リサイタルは感動していただけるステージにすることが一番。当日まで、気力体力を維持し、よりアップして頑張りたいと思います。

 今年のリサイタルの一番のお知らせは、私が書いた詩に田中星児さんが曲をつけて下さった『愛はめぐりて』というオリジナル曲を初披露することです。そして大阪は11月19日サンケイホールブリーゼ、東京は11月27日南青山マンダラで、田中さんとのトークやデュエットも予定しております。

 田中星児さんはNHKの初代歌のおにいさんとして活躍され、ビューティフルサンデーの大ヒットで紅白歌合戦に出場されました。皆さまよくご存知のことと思います。
 田中さんはビクターからレコードデビューする前、歌のおにいさんにもなられる前の大学生、私は婦人之友社の編集部にいた頃の歌の友だちでした。 月日は40年以上経って昨年の夏、突然再会の機会がおとづれました。思いもしないことでしたから本当にびっくり。10年20年ぶりならめずらしくないと思いますが、まさに邂逅。これを期にぜひ奧田真祐美作詞、田中星児作曲の作品を作りたいと思いました。そして誕生したのが『愛はめぐりて』です
とても素敵な曲を作って下さいました。どうか大阪か東京のリサイタルにお越し下さいませ。初めての作品、初めてのデュエットです。お待ちしております。
  
 2016年9月1日(木)朝
 
 8月30日にベラ・チャスラフスカさんが亡くなった。東京オリンピックの時私はまだ子どもだったが、体操のチャスラフスカさんの美しさ素晴らしさはしかと心に刻まれている。完璧で優雅な演技。多くの人の憧れだった。世界の人々を魅了した存在の人が反体制の立場であったため一時は生活のために掃除婦をしていた。強い信念がなければ出来ないことだ。今朝の朝日新聞天声人語に「自由化運動を支持する政治姿勢を貫いたため、体操界から追放された。…」と書いてあった。
 チャスラフスカさんの知り合いでもなければもちろん会ったこともない。それなのに訃報を知って涙がにじんだ。信念を貫く姿勢を尊敬するからだ。弱い私などは本当は堂々と抗議したいことがあっても出来ずにいることが多い。それは世の中、人のためでなく、自分自身のことだから主張することにためらいが起こるのだろう。
 チャスラフスカさんはオリンピックのスター選手として一生華やかに生活する道を選ばず、人間の自由のために闘った。その精神を少しでも学びたいと思った。
 
 
 2016年9月1日(木) 真夜中に
 
 とうとう9月に入ってしまいました。8月は1度も「ひとこと」を書くことができませんでした。その理由は、ライヴの仕事とリサイタルの準備と『真祐美通信』作りにかかりきっていたことからです。
 猛暑の中、心身ともにしんどい毎日でしたが、ここで具体的にどんなに大変だったかを書くことはひかえます。
 『真祐美通信』という発行物は不特定多数の方が見るホームページと違いごく限られた方にお送りしているもの。けれど印刷物というのはすみずみまで神経を使い、文章を推敲し、短文でもこれでよし、と思うまで手を入れますのでとにかく時間がかかります。一段落しましたので、ひとことを書く気持ちになりました。 一ヵ月もあいてしまいましたので、とにかく元気でおりますという報告だけで今日は失礼いたします。続きまた。
 
 2016年7月26日(火)

 久しぶりの雨、気持ちが落ち着きます。庭の樹木の喜びが伝わってきます。炎天下より小雨は大好き。
さるすべりの木がどんどん伸びて、2階の窓からでなくては花を見ることが出来なくなりました。今、白い花が満開です。赤い花が咲くブラシの木もどんどん伸びて2階の屋根を越すくらいになりましたので、春に植木屋さんに剪定してもらいました。私は自分で剪定が出来ませんもので、あっという間に木が伸びて、いよいよ素人では手がつけられなくなりました。本当は木が茂って鬱蒼としている森のようなのが好きなんですが、自然にまかせるままでなく、ちゃんと手を加えなければ木は健康に育たないのですね。

 朝は小雨でしたので傘をさしてラジオ体操に行きました。いつもより長居公園は少ない人でしたが、雨でも来られている方は何人もおられます。雨のかからない場所でぶつかりそうになりながら第1と第2体操を。
 帰り道で人懐っこい三毛猫に会いました。雨に濡れているネコを見ますと胸が痛くなります。好きこのんで野良猫になっているわけじゃない,
最初は人間に捨てられたのでしょう。さびしいとも言えず、悲しいとも言えず、周りの人間からは「餌をやるな」などと言われ、病気になっても医者にも行けず…。
 冷ややかな人の目も何のその、毎日飼い主のいない猫にごはんをやっている方には頭が下がります。ありがとうございます。
 
 
 2016年7月23日(土)

 20日、21日と2日間にわたり大阪・サンケイホールブリーゼで行われたパリ祭・ジョイントコンサートが終わりました。 今年で18年になります。
 私の歌ったのは、20日『メア・キュルパ』『クスノキのうた』、21日『聴こえるきこえる』と『貴方と旅立とう』でした。『メア・キュルパ』はエディット・ピアフのシャンソン、『クスノキのうた』は6月に大阪市の都市景観資源に登録された年として記念に歌いたいと思いました。
 『聴こえるきこえる』はルイ・アラゴンの詩にジャン・フェラが曲をつけ、私が 日本語の歌詞をつけた歌です。心耳ということを表現したく言葉にしました。『貴方と旅立とう』も日本語の歌詞を自身で書きました。 
 他の皆さまも個性豊か、アレンジも工夫を凝らし、華やかな舞台でした。

 今日から『奧田真祐美シャンソンリサイタル 〜愛はめぐりて〜』のチケットが発売されます。11月19日のリサイタルに向かっての日々が始まりました。
どうぞよろしくお願い申し上げます。詳しいことは後日また。
 2016年7月14日(木)

 今日はフランス革命記念日。シャンソンはフランスのポピュラー音楽ですので、日本のシャンソン歌手にとっては特に思い入れ多い日です。この時期になりますと、あちこちで「パリ祭」と銘打ったコンサートが開催されます。
 「パリ祭」と呼ぶのは日本だけで、フランスでは「革命記念日」です。
 「パリ祭」の名の由来は、昭和8年に原題「7月14日」というフランス映画が日本に輸入された時、東和映画が「巴里祭」と邦題をつけたのです。
 もし、「巴里祭」でなく、「7月14日」という題のままでしたらこれほどまでに日本に浸透しなかったと思われます。本当にうまい題のつけ方だと感心いたします。
 
 私が出演するパリ祭のジョイントコンサートは、7月20日(水)、21日(木)大阪・サンケイホールブリーゼ。一人2曲。私は2日間出演いたしますので、計4曲歌います。個性あふれる方々の歌をどうぞお楽しみ下さいませ。

 
  『猫とシャンソン』というのは私の書いたエッセイ集の題名です。完売ですので、もうお申し込みいただけないのです。 猫とシャンソンには何か共通のものがあると感じていて、そのような題をつけました。今ももう少し突っ込んで分析したい気持ちでおります。
 ところで、おととしの11月23日に19歳になる猫のナナが亡くなり、庭のクスノキのそばに埋めてやりました。最後まで出来るだけの看取りはしてやれましたし、年齢にも不足はないのでペットロスにはならなかったつもりです。
けれど考えてみますと、ナナを抱っこしている写真は飾っていますし、小さな入れ物にナナの黒白の遺髪は入れてますし、携帯で撮った写真をたまに見ますし、日ごとに懐かしさを覚えます。これはやはりペットロスの一種なのでしょうか。

 
 2016年7月8(金)

 わずかな期間ですが、はたちの頃出版社の編集部におりましたので、朝ドラの『とと姉ちゃん』には関心があります。
 先日、本屋でたまたま目にとまった「暮しの手帖」とわたし 大橋鎮子 (暮しの手帖社)を購入しました。その中に、ユネスコで、日本の文化紹介のため、雑誌を世界の国へ送ることになって、数多い婦人雑誌のなかから、『婦人之友』と『暮しの手帖』が選ばれた、という箇所がありました。
 『婦人之友』は私が働いていたところ、とてもうれしく思いました。

 つい先だって、『インフォルモ』の取材で、画家の高田雄太さんにお会いしました。雄太さんは作家(故)高田宏氏のご子息。
 原稿を書く前にここで詳しく書いてしまいますと書けなくなってしまいますので、ここではひとことお会いしたことだけに致します。
 インタビューの間、18歳になる猫のムーちゃんはそばで丸くなって話を聴いてくれていました。
 
 2016年7月2日(土)

 大阪市に『大阪市都市景観条例第18条』というのがあります。これは何かと簡単に言いますと…
 市民に親しまれ、かつ良好な都市景観の価値を有すると認められる建築物や樹木などを都市景観資源として市長が登録を行う条例です。

 大阪市阿倍野区では6月10日に33箇所が登録、拙宅のクスノキも含まれました。
 阪神淡路大震災の年に作った『クスノキのうた』のクスノキは震災から13年後の平成20年7月に大阪市の保存樹第108号に指定され、それから8年後の今年、都市景観資源に登録されました。

 寛文3年(1663年)に猿山新田を奧田市郎兵衛が開拓した際、防風と美観のために森林を造成した。猿山の森と呼ばれていた。クスノキはその森の名残であり、歴史性のある貴重な景観資源と言える。
 というのが大阪市都市景観委員会の請評です。

 クスノキは、多くの方々と鳥たちの憩いの樹として愛され、生き続けて欲しいと願っております。そして、 『クスノキのうた』を心新たに歌いたいと思っております。

 
 
 2016年6月30日(木)

 6月29日の朝日新聞に、「婦選」の礎 ひっそり幕 という見出しの記事が載っていました。戦後に初めて設立された女性団体「日本婦人有権者同盟」がこの春、70年を超す歴史にひっそりと幕を下ろした。とのこと。
 故市川房枝さんが設立されました。代々木にあった「婦選会館」に事務所があったが、会費収入が減って家賃が払えなくなったためと。
 
 21歳くらいの頃、婦人之友編集部のおつかいで、婦選会館まで市川房枝さんの原稿をいただきに行ったことがありました。ご本人には会わなかったと思いますが、なぜか婦選会館に行ったことだけが記憶にあります。
 それから長い年月が経ち、大叔母が市川房枝さんと懇意にしていたことを知りました。大叔母は奈良五條、私の祖母の弟藤岡長和(俳号・玉玉骨)の妻うたよさんで、進歩的な人でした。
 もっといろいろ話を訊いておけばよかったと思うばかりです。
 ちょっと名前を知っているというだけで、さも親しい人のように言うのは恥ずかしいこと、とは言え、名前を知っているだけでもまったく知らないよりマシ、ということもありますね。
  
 2016年6月21日(火)

 古い話です。
 20歳で東京の自由学園を卒業してすぐ婦人之友社に入れていただき、わずかでしたが編集部におりました。建物は、フランク・ロイド・ライトさんが設計した明日館(現:国の重要文化財)のすぐ横にあります。「婦人之友」を作った羽仁吉一と羽仁もと子夫妻が後に自由学園を創立しました。
 真面目で堅実な雑誌で、編集部の方々から厳しく仕事を教えられました。私が入った時の先輩、千葉公子さんが現在社長になっておられるので、1度お会いしたいと思い、何十年ぶりかで目白まで出かけました。編集部は女性ばかり、コワい先輩が多かった中で、千葉さんはやさしく接して下さいました。若い頃というのは、いま思いますと穴があったら入りたいほど礼儀もわきまえず…素晴らしい仕事場にいながら能力のない人間だったと思うことしきりです。
 久しぶりに訪れた友社の建物は昔のまま。応接間では月刊誌のメインである座談会が開かれ、若手の者たちはお客さまにお出しするフルコースの食事の給仕をしました。お料理は店屋物をとったり、料理屋へ行ったりせず、料理担当の記者の手作りでした。座談会が終わってからはオープンリールに録音したテープの書き起こし。言葉は聞き取れないし、難しい言葉は意味が分からないし、大変な作業です。ベテラン編集者はそれを見事にまとめるのでその能力に驚くことばかりでした。
 校了日は真夜中になり、これでよしとなると市ヶ谷にある大日本印刷まで届けて帰宅しました。本が出来上がりますと、営業部の机の上に山と積み上げられ、営業部、編集部皆で直接読者宛に発送する作業をしました。
 その日は慰労の意味で目白にあった“ボストン”のケーキが振る舞われました。けれど、いまは机にパソコンがあり、そのような業務はしないそうです。
ボストンのケーキ屋もなくなったとか。
 パソコンなどない時代、原稿書きはすべて手書き、割付もすべて手仕事。大日本印刷へ行きますと、鉛の活字をひとつひとつ拾って組み立てる職工さんの部屋がありました。
 
 NHK朝ドラの『とと姉ちゃん』を見ておりましたら、婦人之友社でやっていたことと同じ発送のシーンが出てきて、胸がジーンとなりました。
 
 2016年6月20日(月)
 
 16日に9年ぶりに来日したシャルル・アズナヴール(92歳)を聴きに行きました。これが最後の日本公演だとか。私はこれまで1970年、1975年、2007年と行っておりますので4回目のアズナヴール。昔は司会や通訳がついていたものでした。今回は通訳なしですから、フランス語が分からない者は蚊帳の外。フランス語の堪能な1部の人はアズナヴールが話をすると笑い声を上げるのです。 
 92歳とは思えない身のこなし、リズムを強調したアレンジ。オーソドックスなアレンジの歌は少なかったように思いました。聴衆の立場にたちますと、やはり知っている歌が出てくると嬉しいものですね。『8月のパリ』『帰り来ぬ青春』『悲しみのヴェニス』『ラ・マンマ』『ラ・ボエーム』などなど。ラストは『世界の果てに』、大好きな歌です。あれも歌って欲しかった、これも聴きたかった、と思うことしきり。『想い出の瞳』『コメディアン』を聴きたかったね、と友だちと言い合いましたが、それは感激の言葉のあや。
 
 シャンソンを習いはじめた当時から数年前までは、モンタン、トレネ、アズナヴール、ベコー、アダモ、マシアス、アラン・バリエール、ムスタキ、レオ・フェレ、グレコ、バルバラ、コラボケールなどが次々に来日、各地でコンサートが開かれ、聴きに行っておりました。
 
 
 2016年5月30日(月)

 5月25日の朝日新聞の朝刊に作家・塩野七生さんのインタビュー記事が大きく出ていました。見出しは「オバマ大統領の迎え方」。関心ある内容でしたので、塩野さんの著書はほとんど読んでいるという義兄と姉にコピーして送りました。(郵便が着いたのはオバマ氏が広島に着き演説を終えた後でした)
 塩野さんの言葉で特に感銘を受けたのは、「謝罪を求めず、無言で静かに迎える方が、謝罪を声高に求めるよりも、断じて品位の高さを強く印象づける」というところ。いろいろな場においても、そういう姿勢を大切にしたいと感じたものですから。
 
 
 2016年5月29日(日)

 いま思っていること…
 人間は自分の真の姿を見ることも知ることもできないものですね。自分のことは自分が一番よく知っている、などと言うのは不遜な気がしてなりません。本当の自分とは何か、簡単に答えられるものではないと思います。誰でも自分の中には善もあれば悪もある。いい人だと思われている人でも、違う面から見るといいところばかりではないのが人間。強も弱も、美も醜もその両面が複雑に絡み合っているものだと思います。どれだけ理性と感情をコントロール出来るかは重要ですね。
 何か不幸なことがありますと、「何も悪いことをしていないのになぜこんな目に遭うのか」という方がいます。そのような時にいつも思うのです。真面目に生活をしていても理不尽な不幸に襲われることがある、行いとは関係がないのですね。
 それと、「悪いことをしたことがない」と言い切ることと正義を振りかざすことに対して抵抗を感じてしまいます。
 新約聖書の中に、イエスを試そうとした律法学者やパリサイ派の人が、姦淫をした女を連れて来て、旧約時代のモーセの教えを持ち出し、石打ちの刑にすべきだという。そこでイエスが言われる。「この中で罪のない者だけが石を投げよ」と。すると、みんなその場を立ち去ったという話があります。
つまり、絶対に罪を犯したことはない、などと顔を上げて宣言できる人間はこの世に存在しないということですね。けれど、「自分は悪いことはしたことがない」と思っている人は石を投げるでしょう。悪いこととは何か、罪とは何かの定義によりますが。

 横道にそれました。元にもどします。私たちは自分を深く見つめることさえなかなか出来ないのですから(自分の思いや考えや感じ方も変わるものですし)人を理解するのはとても難しいこと。ささいなことですぐ誤解を生ずるものですね。現実問題、忙しい生活の中で時間をとってじっくり話のできる機会はなかなかないものです。誰かれとなく個人的な話をするわけにいきませんし、信頼のおける人、心の通じる人と出会うのはまれなことですね。親しくなったとしても、本当に理解しあえるまでつき合うのは容易ではありません。けれど、心をゆるし、何でも話し合える人は人生には必要ですね。表面的な心の伴わない薄っぺらい会話は虚しいものですね。
 
  
 2016年5月28日(土)

  13日の朝、訳詩家で音楽評論家の永田文夫先生(89歳)が亡くなられました。十数年前のある日、私は「ジャン・フェラの作品をライフワークとして歌っていこう」と決心し、永田先生に訳詩を依頼いたしました。先生もジャン・フェラがお好きで喜んで引き受けて下さいました。
 何と言っても最高傑作は『夜と霧』。『詩人たち』『旅路の果てに』『ただそれだけの人生でも』『街の静けさの中で』『1日のはじまり』『愛することの不幸せ』。どらも素晴らしい訳詩です。他にも訳詩して頂きながらCDアルバムには収録しなかった歌に、『言いそびれたジュテーム』『とうとうあなたに』『愛の十字架』『友よ』があります。「また新しい歌を発掘しましょう」と言って頂き、私も「訳詩ぜひお願い致します」とおこたえしたものの、残念なことに永遠のお別れになりました。
 今では手に入らない先生の書かれた『世界の名曲とレコード シャンソン』
『シャンソン・カンツォーネ編』(誠文堂新光社)昭和42年発行 の2冊は私の大切な教科書です。

 ところで、18日〜20日に東京三越劇場で「春のポピュラー音楽祭2016」が開催され、いつものように主催の永田先生が楽屋に来られるはずでした。コンサートの5日前に亡くなられるとは驚きでした。大阪から参加する者として、先生の訳詩の『ただそれだけの人生でも』と私が訳した『貴方と旅立とう』を歌うことに致しました。
 永田夫人のタンゴ歌手前田はるみさんは気丈にも張りのある素晴らしい歌を歌われました。
 
  
 2016年5月12日(木)

 長く楽しませてくれたオオデマリの白い花はすっかり散り、いい香りを放つニオイバンマツリカが満開になりました。クスノキの枯葉の次は枯枝、そして細かい花が容赦なく落ちてきています。美しい花に喜びを味わった後には、必ず後始末(掃除)が待っているものですね。 
 
 今朝ポストに一枚のチラシが入っていました。NHKテレビに映らなかった「あさ」の実像に迫る 九転十起の人生 広岡浅子をとりまく人々 と題した聖書講演会とミニコンサートの知らせ。その中に山室軍平の訪問を受ける広岡浅子というカットが描かれていました。山室軍平という名前を見て、この講演会はまともな会だと分かり、関心を持ちました。
 私の母校・自由学園では国語という時間はなく、それにかわるのは読書という時間でした。その読書の先生が山室軍平の息女の山室光子先生。そして卒業後2年余在籍した雑誌「婦人之友」の編集長は山室光子先生の妹の渡善子さん、編集室にはさらに妹の山室徳子さんがおられました。3人とも自由学園卒。皆さま頭脳明晰で素晴らしいジャーナリストでした。私ときましたらまるでぼんくらで、大先輩の足元にもおよびませんが、同じ時期に過ごせただけでも貴重な思い出です。 
 (山室軍平は日本救世軍士官)
 
 2016年4月27日(水)

 前回の「ひとこと」からはや20日も経ってしまいました。

 ハナミズキは散り、今はオオデマリとヒメウツギとカナメモチの白い花が満開です。

 あと数日で『真祐美通信』73号を発送する予定です。1ページ目の「真祐美からひとこと」にブームについてふれました。わずかなスペースですので書きたいことをすべて書くわけにいかず、削りに削ってまとめました。

 人には二通りのタイプがあり、流行に敏感ですぐ取り入れるタイプと流行に関心がなく影響されない人タイプがありますね。私は影響を受けない方ですので、衣食住いろんな面において自分のペースで生きている気がいたします。また、ブームにのる人とのらない人と言うのでものらない方。そんな人間がインターネットのホームページなど作っているのはブームにのっているようですが、これは一過性のブームではないと判断しています。 

 流行やブームは自然に生まれるのではなく、それを作る人や組織があり、
テレビ、新聞、週刊誌などあらゆるメディアでさも今多くの人が注目しているようにバンバン取り上げる。するとそれを見た人が「今年の流行りの色は赤なのね、じゃ赤の服を買わなくては」「今は猫ブームだって。犬より猫を飼う人が多くなったらしいわ」という日常会話が増える。流行やブームを作った人の思惑が当たれば経済効果は上がります。人間の心理や性質を巧みに操るのですね。これは世の中の仕組みですから流行やブームはなくならない。ところが面白いことに私の周囲にはなぜか流行やブームを好まず、冷静に受け止めている人が多いのです。
 
 私が19歳の時にシャンソンを習いはじめたのも、ブームだったからではなく、ブームではないところに選択肢にありました。猫が大好きなのは子どもの頃から。急に今頃やいやい猫を取り上げないで、静かにそっと大事に、ずっと思っていたい、そんな心境です。

 
 
 2016年4月7日(木)
 
 大阪市立長池小学校は私の母校です。ここ数年、卒業式、入学式のご招待を受け、地域の役員の方々に混じって今日も式に参加致しました。
 小学1年生はまだ小さくて可愛い子ども。それが6年間で大きく成長するのですね。大人になりましたら6年や8年などあっという間で、老けはしても成長するのはどうか…。
 長池小学校の校歌は歌詞も曲も美しく好きな校歌。今日2年生の生徒が歌いましたとき、懐かしくて涙がジワッと出てきました。

 今日、言葉に厳しい学識ある方からとても大切なことを教えていただきました。〜最近の風潮で、専門用語を一般の人間がつかうことが多くなった。
例えば、進化。これはいわゆる進歩、成長とは違う。(進化の意味をここに書くのは省きます)進化という言葉のつかい方は何だかヘンだなあと思ってはいました。
 今日お話していてイヤな言葉で一致したのは、めっちゃ、やばい、○○してあげる。特に○○してあげるという言い方は気持ちが悪い。それと、身内のことを人に話す時に丁寧語をつかうのも気持ちが悪い。例=義弟が来られます、ではなく、義弟が来ます。そして間違ったつかい方として、とんでもございません、ではなく、とんでもない が一つの言葉なので、とんでもないことでございます、が正しい。今確認のため辞書を見ましたら、とんでもございません、は新しい言い方、と出ていました。驚きです。進化も新しいつかい方のようです。多くの人がつかっていても「私はつかいたくない」と思ってつかわなければよいのですね。

 2016年3月25日(金)

 20日、石川県加賀市大聖寺にある「深田久弥 山の文化館」で昨年83歳で亡くなられた高田宏先生を偲ぶ会が行われました。奥さまからご連絡を頂き、ぜひとも出席したいと思いました。今思えば、高田先生からもっといろいろな話を伺っておけばよかったと残念でなりません。
 大聖寺がふるさとの高田先生は石川県久谷焼美術館館長と深田久弥山の文化館館長をされていましたので、この地で偲ぶ会が行われたのでした。
 会には遠くからも先生を慕う方々が集まって来られました。受付で、先生の思い出話をひとことするように、と言われ、全員が言うものだと思いましたら5人だけ。私ひとり文学関係でなく、東京の高田先生と大阪のシャンソン歌手といったいどんな縁で…と皆さま不思議に思っておられるだろうと察し、
23年前に大阪で開催された小松左京さんの還暦パーティでお会いしたのが最初、2次会の時に、高田先生は猫がお好きだと知り、“猫の好きな人はいい方だ”と思っているので、高田先生はいい方だと思った。と言いましたら笑われました。そして「木に会う」というご著書を読んで感動した話や我が家のクスノキに会っていただいたことなどお話しました。

 今年は3月に2回もサンダーバードに乗る機会がありました。これはたまたまのこと。日頃あまり旅に出ない私ですが、映画を見たら癖になるのと同様、旅もまた癖になるものの一つかもしれませんね。
 
 
 2016年3月22日(火)
 
 京都国立近代美術館で開催されていた染織の「志村ふくみ」展覧会に数日前行きました。私のクラスメイト豊田恵さんは志村ふくみ(人間国宝)先生の弟子で、何度かグループ展を見に行きました。ある時、会場におられた志村先生にお声をかけさせて頂いたことがあります。ですからこの度の〜文化勲章受章記念 母衣への回帰〜 とタイトルがついた個展にはぜひ行きたいと思いました。それともう一つ、20年ほど前に芝木好子の小説「群青の湖」に、深く感動し、その本のモデルが志村ふくみ先生だと知って一層関心を持ちました。その本によって湖北に興味がわき、数年前、滋賀県に詳しい方に連れて行って頂きました。
 因みに豊田恵さんのご主人豊田晴彦さんは石の彫刻家。昨年「インフォルモ」の工芸のページに登場して頂き、インタビュウ記事を書きました。

 話があちこち飛びますが…
 志村ふくみ先生のエッセイ「一色一生」(講談社文芸文庫)の中に、陶芸家・富本憲吉がふくみ先生に話されたことが載っていました。かいつまんで書きますと、〜工芸の仕事をするものはその事だけに一心になればいいものではない、必ずゆきづまりが来る。何でもいい、何か別のことを勉強しなさい〜
 それは歌にも通じることだと思いました。
 
 2016年3月19日(土)
 
 この間久しぶりに奈良・五條の「うちのの館」へ行きました。館長で学芸員で児童文学作家の川村優理さんは実に有能な方、しかも心やさしく、勉強家、家の説明を聞かせて頂くたびにいろいろ新しい発見があります。
よろしければどうぞ下記へお出かけ下さいませ。
 奈良県五條市近内町526 「藤岡家住宅」NPO法人うちのの館(やかた) 
 http://www.uchinono-yakata.com

 これは余談と申しますか、ちょっとミーハーな話で失礼いたします。
大叔父藤岡長和(俳号藤岡玉骨)は内務省に入り、官選知事を経て退官後、岸和田紡績〜大日本紡績(後のユニチカ)の常務理事の任につきました。朝ドラの「あさが来た」のあさの夫のモデル広岡信五郎は尼崎紡績(後のユニチカ)の初代社長。時代に大きな開きがあって広岡信五郎と藤岡長和とが出会ったわけではありませんが、ほんの少しご縁があるような気がいたしまして、ほんの少し嬉しく思った次第です。

 うちのの館、今はお雛さまが飾られております。中庭の樹齢250年とも400年とも言われる古木の梅に濃い紅色の花が満開でした。 
 
 2016年3月16日(水)

 先日、取材の仕事で金沢へ行きました。サンダーバードに乗ったらゆっくりコーヒーを飲もうと楽しみにしていましたところ、サンダーバードは車内販売していないとのこと、降りて買いに行く時間もなく金沢へ着くまで我慢。これからは乗る前にお弁当と飲み物は買っておかなくてはならないと思わされました。食べるものを持っていないと、突然のアクシデントで長時間列車が止まった時に困るからです。と言ってもなかなか用意周到には出来ないものですね。
 金沢は霙が降っていました。日帰りの仕事の場合、ついでに観光したり美味しいものを食べに行ったりという時間的余裕がなく、いつもトンボ帰りです。以前、石川県小松市の九谷焼・三代目徳田八十吉さま(人間国宝)にお会いした時は雪の季節でしたので泊まりがけで行きました。雪景色と丸い宇宙のような焼きものが印象的でした。

 
 2016年3月8日(火)

 今度、冊子「インフォルモ」の取材で、銅鑼作家の魚住為楽氏(人間国宝)にお会いします。どのようなお話が伺えるか楽しみです。

 以前、この仕事で仏師の方に取材させて頂いたことがあります。それ以来、仏教と仏像、お経との関係について考えさせられてきました。その時の私の書いた文章を要約しますと、〜 私たちは仏教にはお寺とお経と仏像はなくてはならないものと思っている。しかし、仏教を興した釈尊がお寺を造られたわけでなく、経典を書かれたわけでなく、偶像礼拝を教えられたわけでもない。釈尊の入滅後、約500年を経て仏像がつくられるようになった。釈尊の教えは弟子たちが記憶暗唱、口移しで伝承、約300年もの間は文字にすることも禁じられた。仏像が造られる約500年の間に仏教は諸派に分裂していった。原始仏教には存在しなかった仏像は、救いの信仰である大乗仏教の興りとともに誕生した。〜

 人間は目に見えないものを信じるのは難しいのでしょうか。形あるものを拝み、よりどころとすることが必要なのだろうかと考えさせられています。
 仏教やキリスト教という宗教(信仰を持つこと)は人間の個々の心の問題であるはずだと思いますが、政治の問題、経済問題に大きな繋がりがある。
 日本では江戸時代に檀家制度が作られたために、仏教について何も知らなくても、自分の家は○○宗だと決められている。ですから自分の家の宗派と信仰とは関係がないのですね。
  
 
 2016年3月7日(月)

 朝のドラマ「あさが来た」を見ていますと、身につまされることがいくつかあります。「なまじおまえを女学校などへやるんじゃなかった」と言ったような台詞がありましたが、私も若い頃親から言われたものでした。
 母はなかなか進歩的な考えを持っていた人で、姉に「これからの女性は依頼心のない生き方をしなくてはいけない」と言って、高校から東京の学校へ行くことを薦めました。それをみて私も目がひらけ、中学から姉と同じ東京の学校へ行くことを希望しました。そのお蔭で姉も私も「一生打ち込める仕事」を求めるようになってしまったわけです。両親にしてみれば、卒業したら大阪へ帰り、適当な時期に縁談をさがし、よき妻、よき母になるのが女の倖せと思ったようです。ところが東京で8年間も教育を受けさせた娘が、「シャンソン歌手になる」と言ったものですから「東京の学校へやるんじゃなかった」と言う親の気持ちが分からないではない。今思えば、です。いちじは、歌などするのだったら親子の縁を切るとまで言った両親ですが、少しずつ活動を始めるうちに認めてくれるようになり、支えてくれるようになりました。それも今頃気づいた次第です。
 
 
 2016年3月5日(土)

 今日は啓蟄、最高気温20度という暖かさ、植木屋さんが植木の肥料撒きに来てくれました。昨年3月13日に植えた枝垂れ桜は今年花をつけてくれるか楽しみです。
 先日、大阪へ仕事で来た姪・藤井さやかとゆっくりいろいろな話をしました。二人だけで会ったのは初めてのこと。筑波大学で都市計画の研究をしていて、学生の講義や海外出張も多いのですが、妻であり、二人の子どもの母親でありもあり…。姪は頼れる姉みたい。私を「叔母さん」でなく「まゆみちゃん」と呼んでくれるので内心よろこんでいます。
 私は人さまから「奧田さん」と言われるより、「真祐美さん」と呼んで頂く方が嬉しいのです。
 
 2016年2月24日(水)

 前回のひとことから10日も経ってしまいました。
 20日土曜日、大阪・新阪急ホテル(紫の間)でディナーショー開催。その準備、本番、後片付けなどをしておりましたので今日になりました。
 年に1度のこのディナーショー、第1回は平成元年4月15日レストランアラスカで行ないました。今年で28年目。当時世の中はバブルの時代、お客さまの顔ぶれもすっかり変わりました。
 今回は土壇場の欠席者がなく、雨の中、全員お越し下さいました。遠くは山口県、愛媛、愛知、岐阜からも。最高齢は93歳、私が通っていた田辺幼稚園の園長先生で、乾杯の音頭をとって頂きました。
 仏フルコースはシェフの腕によりをかけたお料理で、とても美味しかったと好評。また、ショーではにしかわまことさんのピアノと西川葉子さんのバイオリンとで馴染み深い曲を選びましたので喜んで頂けました。


 ところで、また映画を見に行きました。(映画は癖になるのですね)『ロパートキナ 孤高の白鳥』というドキュメント映画。ロシアのマリインスキー・バレエが誇るプリンシパルのキナ。以前ロシアへ行った折、マリインスキー劇場でバレエやゲルギエフの指揮を最前列で見ましたので、マリインスキーというだけで関心を持ち、見に行きたくなった次第です。前回見た『サウルの息子』と同じ日からロードショーがはじまり、バレエの方が後回しになりましたので気になって仕方がありませんでした。 
 バレエが素晴らしかったのは言うまでもありませんが、キナの語る言葉は深い精神性を感じました。
 
 
 2016年2月14日(日)

 今月のあたま、茨城県つくばに住む姉のところに行きました。姉は春と秋の年に2回、自宅で大人のためのお話し会を23年間行なっています。あと2年で50回になるとか。1回に5日間行い、遠くは九州や北海道や長野あたりからも来られるそうです。今年はお菓子を作ってくれていた人の都合が悪くなり、姉が150人分のケーキを焼いたそうです。お話をするのがメインですが、1日が終わってから毎日ケーキを何本も焼いたというので驚きました。
 そのケーキを先日私も食べたところ、作り方は実に簡単ながら手作り感があり、私も作ってみたくなりました。そこでさっそく材料を注文。今日なんと、家を建て替えてから27年間、一度も使ったことがないオーブンを使いました。使い方の説明書もないので、おそるおそるあちこちスイッチを押して点火し、無事ケーキが出来ました。たったこれだけのことながら面白さを思い出し、また作りたくなりました。オーブンはガスレンジの下の備え付けられたもので邪魔ではなかったためずっとそのままにしてありました。身の回りで目障りになるものはおいておきたくない性分ですが、長い間使わなくてもいつか日の目を見る時がくるものですね。一生使わないようなものでも、私にとって心の宝ものは決して捨てないで大事にとってあります。
 
 2016年2月13日(土)
 
 今年の元日に映画を見てから昨日までに4本見に行きました。そんなことは今までなかったことで、我ながら不思議です。どなたかをさそって、となりますと日が合わなかったり、時間が合わなかったり。映画好きの方は一人で行かれるようです。美術館も一人がいいのですね。元々思い立ったらすぐ行動にうつしたくなり、それがいい場合と、時にハヤマルこともあります。けれどハヤマルことがあるのは仕方ない、その気になっている時を大事にしたいものですから。 
 さて、2月13日ロードショーの『サウルの息子』という映画を見に行きました。第68回カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作品です。賞を取った映画だから興味を持ったのではなく、アウシュヴィッツが舞台だから関心を持ちました。実に重く、暗いテーマであり、映像であり、アウシュヴィッツに入り込んでしまったような凄さでした。『夜と霧』を歌っている私には見に行くべき映画でした。事実は映画より実際の方がもっと悲惨だろうと思いますが、胸に重いものをのせられたままラストシーンとなり、考えさせられる映画でした。

 
 
 2016年2月8日(月)

 今日梅の木に蕾みがたくさんついているのを見て嬉しくなりました。どんなに寒くてもちゃんと開花の準備をしているのですね。
 2月は一年中で一番寒い季節ですが、立春をむかえますと春の気配を感じます。
 20日には大阪新阪急ホテルでディナーショーを開催いたします。初めて歌う歌がありますと緊張感と新鮮な気持ちが生まれるものですね。
 今年も遠くからお越し下さり、本当に有り難く、感謝!今年は身体の具合がお悪くてお越し頂けない方がたくさんおられ、まことにさびしいことですが、それは仕方のないこと、どのような状況でも精一杯頑張りたいと思います。
 
 2016年2月2日(火)
 
 明日は節分、一年の区切りを感じます。そしていつも2月4日の立春から新しい年が始まるという気持ちがいたします。
 
 この頃のテレビはびっくりするほど猫を登場させますね。私、思いました。ブームであれなんであれ、猫の素晴らしさを多くの人に分かってもらえ、好きになる人、愛する人が増えればどんなにいいか。毛嫌いする人やいじめる人や虐待する人がいなくなる世の中になる一つの手がかりになれば嬉しい。   
 以前はテレビBS岩合光昭の「世界ネコ歩き」は何ヶ月に1回でしたから予告をしっかりチェックしておいてDVD予約をしました。ところが最近は突然ネコが画面に表れ、聞き慣れたテーマ音楽が流れ、もう番組が始まっていることが多い。途中から録画はしたくないのでただ見るだけになります。私が録画するのはよさそうなネコの番組か、これは!というドキュメントか、貴重な音楽番組くらい。
 昨日もネコの番組を見ました。ネコと暮らしている人の行動や考えには私と共通点がたくさんあり、それ以上に教えられることが多くありました。
 数年前に季刊誌『インフォルモ』のインタビュウでお会いした方もおられました。その時は私のあまりにも下手な質問に型どおりのお答えしか頂けませんでしたが、その時自由にネコの話題でも出ればもっと心を開いていただけただろうに、と思いました。本当に残念なことでした。
 
 2016年1月28日(木)

 前回、ブームに関してちょっと書きましたので、ふと思い出し、今から24年前に始めて出したエッセイ集『愛ひとり旅 〜シャンソンとともに〜』を久しぶりに開いてみました。その中で「ブームって何だろう」という題でブームについて書いております。書いたものを全部覚えているわけではありませんので、「私はこんなことを書いていたのか!」と思うことがいっぱいありました。
 ブームについて私の持論を語っている中で、余談として恋愛に関して書いている箇所がありますので、1部書き出します。

 軽薄なブームでも、それが去ったあとに残るものがあるとしたら、それこそが本ものなんだと思う。それは必ず何らかの形で発展してゆく。そういうふうに思うと、ブームの重要さを認めないわけにゆかない。
 ブームは何か恋愛に似ている。最初は熱く胸ときめかせ、心を高揚させているが、次第に落ちつきをとり戻す。そして、その恋が真実なら深い情愛と信頼で結ばれるようになるけれど、遊びならすぐ終わりがくるだろう。

 などとエラそうなことを書いており、昔の文章を読み返しますと恥ずかしくなります。

 猫についてひとこと。
 世の中、今は猫ブームのよう。ブームでなくても昔から猫大好き人間、いつかブームが終わっても私の気持ちになんら影響はありません。でも毎日のようにテレビでたくさん猫が見られるのは嬉しいことです。ただ可愛い猫だけでなく、可哀相な捨て猫や寒さにふるえる野良猫もたくさんおりますから、それを思うと本当に心が痛みます。
 
 2016年1月15日(金)

 今日までが松の内、朝からしめ縄と松飾りを外し燃やしました。7日や8日に外すところもあるそうですね。我が家では昔から必ず15日の朝までは飾っておりました。他の風習やしきたりはほとんど致しませんのに、これだけはなぜか続けております。町を歩いておりますと、しめ縄や松飾りをしている家はほんのわずかです。何かの拍子でこれがブームのようになるとどこかしこでも飾り付けをするかもしれません。
 最近はテレビで猫の番組が増え、一種の猫ブームのようですね。昔から猫好きだった人間(私を含む)はブームとは関係なく好きですから、流行やブームに踊らされたりしません。
 話がそれました。
 しめ縄のこと、7日に外すのはちょっと早すぎる気がする。かといって15日を越えると長すぎる気がします。なんでも適切な時期というのがあるのですね。 
  
 2016年1月12日(火)
 
 YOU TUBE を開きますとあふれるほどいろいろな方の歌が流れてきてびっくり致します。以前私に無断でライブの時の歌をUPされたことがあり、それはやっとこさ外してもらいました。
 昨年、私の歌をYOU TUBEで聴きたいと言う方がおられましたので、この度、6曲UPいたしました。出来ることならCDをお求め頂きたいのですが、まずは聴いて頂くことが第1だと思いまして…。
 YOU TUBE を開き、奥田真祐美 で検索して下さい。 

 『理由(わけ)もなく』『雨』『クスノキのうた』『芭蕉布』『聴こえるきこえる』
『私はイエスがわからない』 です。
    
 
 2016年1月8日(金)

 つくばに住む姉・藤井いづみはストリーテラー(語り部)です。
インターネットで『小澤俊夫 昔話へのご招待』と検索しますと藤井いづみという名前が出てまいりますので、それをクリックしますと姉が話しをしているのが流れてまいります。
 姉から連絡があり、すぐ聴いてみました。身内のことを褒めるのは気がひけますが…お許し下さい。司会の方の質問に、実に的確に筋道立てて、分かりやすく、スムーズに話しをしていて、「私と違って姉は何と話しをするのがうまいんだろう」と驚きました。ちゃんと台本を作ったのかしら、と思いましたら、ぶっつけ本番だったとか。私がここで紹介するより、ぜひ1度聴いてみて下さい。
 小さい頃から姉にはいつも一目おいておりましたが、姉は自分の能力を活かすいい道を選んだなあ、と改めて思いました。

ネットに登場する小澤俊夫先生は指揮者の小澤征爾さんのお兄さまです。
 
 2016年1月3日(日) ・・・平成28年

 あけましておめでとうございます

 今年も元気でこうしてご挨拶できますことを倖せに存じます。
 そしてこの一年の皆さまのおしあわせを心からお祈り申し上げます。

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
 2015年12月28日(月)

 この間、テレビBSをつけておりましたら、競馬の馬のことを放送していました。競馬に行ったこともテレビ中継をまともに見たこともない私、なぜかその番組に惹かれ見てしまいました。
 馬の顔も姿も美しく、見とれます。ある日の競馬場、一斉にスタート、どの馬も素晴らしい走りです。当然のことながら、競馬は必ず先頭と後尾ができる。その時の騎手は武豊、馬はディープインパクトでした。
 本命のその馬は最初は一番ビリを走っているのです。騎手にはちゃんとした考えがあってのことなのですね。何周目かでどんどん追い抜き、とうとうトップになりました。そのような光景を見るのは初めてでしたので、驚き感激し、涙が出てきました。その番組はディープインパクトの強さを科学的に分析していました。 ビリになった馬もどの馬も本当に素晴らしく一生懸命走っている。優勝した馬はやはり晴れがましく嬉しいのか、負けた馬は気持ちが落ち込むものか、いろいろ考えてしまいました。 
 
 2015年12月26日(土)
 
 あっという間に前回のひとことから10日経ってしまいました。私は年賀状を兼ねて『真祐美通信』というのを松の内(1月15日まで)に発送いたしますので、その原稿書きや編集に時間を費やしておりました。と言いましてもパソコンに向かうのは夜中が多く、疲れましたらネットの猫の動画など見ておりますから、また疲れ、早寝早起きが出来ません。今も真夜中、とりあえずこのへんでやめておきます。
 
 
 2015年12月15日(火)
 
 1年前の11月23日に19歳で亡くなった猫のナナの話です。
晩年は甘えたになり、抱っこしてやると下ろすまでじっと喜んで抱かれていました。猫好きの方は我が家に来て、ナナを抱っこするのを一つの楽しみにされていました。猫が喜ぶからではなく、人が喜ぶために抱っこするのですね。“抱っこしてやる”のではないのです。“抱っこさせてもらってありがとうございます。可愛いね、いい猫(こ)だね。”といった調子。他の方からみたらアホみたいだろうなと思いながら、自分ではアホだと思っていない、よろこんでいるのです。
 近所で猫を飼っている方が何軒かあるのですが、どの猫も抱っこの嫌いな猫で、抱っこさせてくれる猫をさがすのは一苦労です。
 ナナをクスノキの根元に埋め前、黒と白の毛をほんの少し刈り、綺麗な小さな入れ物に入れておきました。久しぶりに入れ物を開けましたら、ナナがまだそこにいるのです。
 いつぞや、知恩院のお坊様が「お骨はいつまでも家に置いておかず納骨した方がいい。お骨に執着しない方がいい。」と言われた言葉が頭に残っております。何事も執着するから人間は苦しむのですね。けれど、ナナの遺毛は私の執着とは違うので何のとらわれもなく、とっておいてよかった!と思っています。ナナを最後までそばで看取ってやれましたし、生命あるものはいつか終わりの時が来ることを覚悟していますので、ペットロスにはならないと思っておりましたら、やはりなりませんでした。

 世の中、最近は猫ブームのようですね。私の場合、ものごころついた時にはもう家に猫がおりました。一家全員猫好き。ブームとは無関係です。
 シャンソンも一種のブーム。ブームでなくなった時に静かにひそやかに本物が残るのですね。
   
 2015年12月14日(月)

 私のホームページには感想やご意見を書いて頂く欄を作っておりませんので、お読み頂いてどのように思われたかは私にはまったく分かりません。反対意見やら理解できないことやらいろいろおありだと思います。知人でこのページを読んで下さっている方から、「何日のブログに書いてあったこと、私も同感です」と言って頂きますと、やはりうれしいものですが、私と感じ方、考え方の違う方ともお話してみたい気持ちです。
 どなたが見て下さるか分からないインターネットに、このような推敲していない文章を載せたりしていいのだろうか、とふと思いました。
  
 2015年12月9日(水)

 本屋へ行きますと、ワクワクするような、夢中になるような、心に染み込むような本がないかと期待しながら見て回ります。1時間かかってもこれという本が見つからない時はついつまらない本を買ってしまいます。家の本棚に買っただけで1度も読んでいない本がかなりありますのに…。
 もう手に入らない貴重な本を処分してしまい、後になって悔いる場合も多々。読みたい本があって本屋に注文しても絶版になっていたり、そうなると余計読みたくなるものですね、人間の心理というものは。
 先だって、本屋で『私の記録映画人生』羽田澄子著(岩波現代文庫)を購入しました。羽田さんは私の母校の大先輩。記録映画の監督として有名な方で、前々から、この方はどういう人生を歩んでこられたのかと関心を思っておりました。
 こんな大変なお仕事をよくされてこられたなあ、と感心するばかりです。
 卒業生の中から社会で大活躍している方は多く、一般に名は知られていなくても素晴らしい仕事をされている方は数知れません。
 羽田監督の映画が評判になっていた頃、見たいと思いながら機会がありませんでしたので、これからでもどこかで見ることが出来ないものかと思っております。
 世や人におもねることなく、売れる売れないで価値をはからず、自分の思いを通したものが世に認められたら、それは最高の喜びですね。
 
 
2015年12月8日(火)
 
 数日前、久しぶりに五條へ行きました。8月16日の「ゆかたでナイト」のイベント以来です。右に二上山、葛城山、金剛山を見ながらの山麓線は何度走っても厭きない道です。いつまでも景色が変わらないことを望んでしまいますが、田んぼだったところに家が建っていたり、派手な店舗が出来ていたり…。
 故郷というのは自分が生まれ育ったところのことなので、私の故郷は今住んでいるところ。五條は私の故郷ではなく、祖母の故郷ですのになぜか懐かしい気持ちになります。母がいつも五條を懐かしがっていたからかもしれません。
 藤岡の家=「うちのの館」には奈良新聞のツアーの方が来られていて、館長で学芸員の川村優理さんは案内で忙しくされていました。
 大叔父が使っていたという小さな部屋から見える金剛山、やっと私の身近な山になりました。今度は千早赤坂からでなく、奈良の方から登ってみたい気がしています。
 
 五條の帰りに御所にある葛木御歳神社へ行きました。夕方でしたので自然に囲まれた静かな神社はいっそう静けさを増し、心和むひとときでした。
 女性の宮司さんは神社の脇でサロン&カフェを開いておられるのです。そのには2匹の猫がいて1匹とは会うことが出来ました。宮司さんは8月16日の「ゆかたでナイト」で私の歌を聴いて下さっていたとのこと。うれしく思いました。
    
 
 2015年12月2日(水)

 先日、東京の三越劇場で開催されたポピュラー音楽祭に出演後、何年ぶりかで銀座に出ました。銀巴里7丁目にあった銀巴里に出ていた頃のこと、銀座みゆき通りにあったライブハウスのこと、博品館劇場で数年間リサイタルを行った頃のことなど思い出しました。
 
 1日の朝日新聞に、第2次大戦中のフランスで、6歳の時、強制収容所へ移送される途中で脱走したボリス・シリュルニクさん(精神科医、作家)の記事が載っていました。
 私はジャン・フェラの『夜と霧』をレパートリーにしていますもので、アウシュヴィッツに関連した文章や言葉があるすぐ目にとまってしまいます。
 戦後、彼には二つの選択肢があった。ひとつは、ドイツやナチスに強力したフランス人を憎み、過去にとらわれ続けて生きること、もうひとつは、恐怖や悲劇、何が起きたかを理解し、職業を身につけてよりよく生きること。ボリスさんは後者を選びました。
 
 人はみな、二つの道を同時に歩くことは出来ませんので、どちらの道であれ、選んだ方を悔いなくベストを尽くして生きることが大事なのですね。
 この記事を読み、ボリス・シリュルニクさんの選択に感銘をうけました。
 
 以前、私の後援会の会長を数年間引き受けて下さった作家の高田宏さんが11月24日に肺がんで亡くなられました。83歳
 高田宏さんにはじめてお会いしたのは小松左京さんの還暦の祝賀パーティでした。大阪のプラザホテルの大広間で、知り合いもなく一人心細い思いで立っておりましたら、たまたま毎日新聞学芸部記者の故村井英雄さんが通られ、「この方は、いま日本で一番エッセイの上手い作家、高田宏さん。奧田さんもエッセイを書いているんだから教えてもらうといい」と言って紹介して下さいました。高田さん、村井さんは故高橋和巳氏、故小松左京さんらがはじめた同人誌『対話』の仲間でした。パーティのあと、『対話』の方々の2次会に誘って頂き私もついて行きました。本当に厚かましいことです。2次会の片隅で座っているだけでしたが、その席で高田さんは猫好きだと知りました。その後、家にある古い婦人之友をパラパラめくっていましたら、高田さんが婦人之友の座談会に出席されていることが分かりました。婦人之友は私の若かりし頃、在籍したことのある雑誌社です。
 高田さんは『木に会う』と言う本で読売文学賞を受賞されており、木への思いは深く、作家の池澤夏樹さんは高田さんを指して“歩く思想家”と解説に書かれています。
 2002年には、石川県にある深田久弥山の文化館(高田宏館長)でコンサートを企画して下さり、文化館の庭にあるクスノキの下の仮設ステージで、コオロギの声が聞こえる中、シャンソンや『クスノキのうた』を歌ったのは懐かしい思い出です。

 東京にお住まいの高田さんは東京・南青山マンダラでのリサイタルには奥さまとご一緒にお越し下さっていましたが、ここ2年はお越し頂けず、気になっていたところでした。
 今日の新聞で訃報を知りました。静かに眠るように息をひきとられたそうです。
 『夜と霧』はずっと歌い続けて欲しい、と言って下さった高田さんのメッセージがよみがえって来ました。
 2015年11月26日(木)
 
 「金剛山へ登りたい」と思っておりました。
 昔、姉がいとこ2人に連れられて冬の金剛山へ登ったことがありました。私はまだ小さくて無理だったのでしょう、連れて行ってもらえませんでした。私も行きたかった。けれど、もしだだをこねてついて行ったら大変な足手まといになったはずです。いつか登りたいという気持ちが強くなったのは、五條・近内にある祖母の生家は金剛山が近く、大叔父・藤岡長和が使っていた北向きの部屋からは金剛山がよく見えました。どんな山なのか、毎日登る人もいるという山。眺めているだけではなく歩きたい。回りの人に「金剛山へ登りたい」とそれとなくことある毎に口にしました。
 反応は、「そういえば、昔登ったことがある」「膝や腰が痛いからもう登れない」「たくさんの人が登っているから迷子になることはない」というのが大部分でした。
 方向音痴の私、一人で山を歩くなんてとても無理ですので、どなたか一緒に登ってくれる人がいないかしら、と思っておりました。すると、金剛山へ何度も行ったことのある人が何人か助っ人を誘って連れて行ってくれることになりました。
 私の体力と足の力はどの程度なのか見当がつかず、とにかく行ってみることにしました。らくらくと歩くことが出来れば自信がつきますので、不安と楽しみとが入り交じった心境で当日を迎えました。
 千早赤阪の登山口から歩きはじめ、普段はあまり汗をかかない私でもしばらくすると汗ばんできました。杉の香り、土の香りに包まれながら、紅葉の無数の色彩に目をうばわれながら、一歩一歩土を踏みしめながら、ようやく頂上に到達。登山は、登ってから無事に降りて来るまでが登山だと思いますので、千早赤阪の登山口まで帰えれた時、念願かなった喜びが沸いてまいりました。
 
 11月27日(金)は東京日本橋、三越劇場で開催の「秋のポピュラー音楽祭」に出演いたします。訳詞家、音楽評論家の永田文夫先生企画のコンサート。一人2曲、私はジャン・フェラの『夜と霧』と、サラ・ブライトマンのヒット曲『貴方と旅立とう』(タイム・トウ・セイ・グッバイ)を私の訳詞で歌います。
 
 2015年11月18日(水)

 昨日の続きです。
 幼い頃、“自分っていったい何なんだろう”と不思議で仕方がなかった。有馬ョ底著の『臨済録』を読む を読んでいて、そうか!と思ったことは、第1のここに今いる自分、第2の他人が見ている自分、第3の自分、生身の肉体を出たり入ったりしている自分、それは一切の枠にとらわれない自由人=無位の真人。

 人間は誰でも、自分を見ているもう一人の自分がいるのですね。それを考えますと、私の疑問というのは、ここにいる自分ともう一人の自分とが対話をしていたのだと思いました。
 考えても分からないこと、考えても仕方のないことを考えていたんだなあと気づかされました。
 ョ底さんの言葉、「生まれてしもうたんやから、生きなしやあない。毎日毎日を丁寧に生きたらええんとちやう?」 なるほど、そういうことですね。
 2015年11月17日(火)
 
 ちょくちょく買いに行く近所の花屋さんには数匹の猫がいます。夜は猫だけが店でお留守番。朝10時頃、店主が来てシャッターを上げると眠そうな顔をした猫が店先にあらわれます。捨て猫、迷い猫など寄ってきた猫は追い出さず飼ってやっているのです。それは大変なことです。私は、猫を愛し大事にする人に悪い人はいないと思っているので、その花屋のご夫婦は「いい人だなあ」と思っています。ですから花を買う時はその花屋に行くことにしています。数日前、奧さんが毛布に猫をくるんで抱っこしているので思わず駆け寄りました。それまで猫を抱っこしている姿を見たことがありませんでしたので不思議に思いましたら、「餌を食べなくなったんです。16年になるので…。何もしてやれないので、せめて抱っこだけでもと思って」とのこと。昨年の今頃、我が家の猫も食べなくなって1週間で亡くなりましたので、それを思い出しました。亡くなる前の猫というのはみな同じような顔つきになります。ガリガリになり、顔は細くなり、目も細く少しつり上がり、口元も変わります。
 今日、ミーちゃんというその猫のことが気になってまた花屋に行きました。先週の金曜日に亡くなったとのこと。「店に泊まってやろうかなと思ったけど、まだ大丈夫かと帰って、朝来たら死んでたんです」とつらそうでした。お悔やみの気持ちに、シクラメンの鉢を買いました。
 
 数年前、仕事で京都の臨済宗相国寺派官長の有馬ョ底様にお目にかかったことがあります。その時、どのようなご挨拶したのか、何をお話したのか全く覚えておりません。情けないことです。“今なら少しはマシなご挨拶もしたであろうに”と恥ずかしくなります。
 本屋で『臨済録』を読む 有馬ョ底 (講談社現代新書) という本を見つけ購入しました。幼い頃から「私とは何か?」という疑問を持ったまま現在に至っている私、興味をひかれました。
 以前、あるお坊さんと話をしていた時でした。「私は死んでもCDがあるから…」と言いましたら、「そんなものはなくなるよ」といとも簡単に言われた言葉が今も脳裏に焼き付いています。

  
 2015年11月11日(水)
 
 先週の土曜日、東京公演が終わりました。
 リサイタル31周年の今年、大阪も東京も、私の出せる力はすべて出して歌いました。その日のための準備も、出来る限りのことは致しました。力不足であったり、努力が足りないことも多々あったことと思いますが、「今の私にはこれ以上は出来ない」という限界でした。いろいろと助けて下さった皆々さま、会場まで足を運んで聴いて下さったお客さまに、この場をお借りして心からお礼申し上げます。 
 
 世の中の多くの方々から熱望、懇願されて始めたリサイタルではなく、私の思いで始め、続けているリサイタルですのに、こうして聴きに来ていただけるとはなんと有り難いこと、ひたすら感謝の思いでいっぱいです。
 
 唐突ですが、12歳の時に学校で学んだ新約聖書の「人は神と富とに兼ね事ふること能はず」(マタイ伝)という言葉が好きでした。
 それとこれとは関係ないのですが、富ということで思い出しました。リサイタルで富を得ることは出来ないものですから、富と自分が目指すものとは同列にはならないと思った次第です。 
 
 身に余る感想を寄せていただいておりますので、次号の『真祐美通信』に掲載させて頂きます。
  
 
  
 2015年11月2日(月)
 
 大阪公演が終わって約1週間、後片付けと平行して東京公演の準備をしております。聴きに来て下さったお客さまが下さる感想を読み、感謝の思いを深くしております。文章を書くと言うのは時間と頭と心を遣うしんどいことですのに、真心のこもった感想を書いて下さる。何とお礼を言ってよいか分からない気持ちです。
 
 もっとお話したいことがあるのですが、まだ落ち着かない状態ですので、またゆっくり書くことにいたします。
 
 2015年10月28日(水)
 
 24日の土曜日、大阪サンケイホールブリーゼでの「奧田真祐美シャンソンリサイタル」無事終えることが出来ました。31周年のリサイタル、終わったことがまだ信じられないような気持ちでおります。1年に1度の2時間の舞台のため、多くの方のお力を頂きました。本当にありがとうございました。
 
 11月7日(土)に東京公演がございます。南青山マンダラ、開場12時半、開演13時半。お待ちしております。 
 新曲は「貴方と旅立とう」(タイム・トウ・セイ・グッバイ)私が訳詩をしました。
「夢みるシャンソン人形」「マイ・ウエイ」の他、ジャン・フェラの「聴こえるきこえる」「愛ただそれだけ」「夜と霧」。そして、「アメイジング・グレイス」は今までよりキィを上げて歌いました。「二度とない人生だから 」など全18曲、ベストを尽くして歌います。
      
 2015年10月12日(月)

 何でもすぐ、好きだ、嫌いだ、ということを簡単に口にしてはいけないと、昔誰かに言われたことがありました。きっと子供の頃からよく「好きだ」「嫌いだ」と言っていたからでしょうね。
 世の中人それぞれですが、「私は好きではない」ということがあります。それは、写真を撮るときに指でVサインをすること。なぜVサインをするのか分からない。意味もなく、皆がするから何となくする、というのは性に合わないのです。深い意味があっても致しません。私と同じように、絶対にしないという方は価値観も似ているかもしれませんね。

 今日ははじめてシャンソンを習いに行った日。19歳でした。どこにも記録がありませんのに、10月12日という日が頭に染み込んでいるのです。
 リサイタルの大阪公演まであと2週間となりました。
                                                                                     
 2015年10月8日(木)
 
 好きなものの一つにブランコがあります。
 近くの長居公園を歩いていて、ブランコが空いていると知らず知らず引き寄せられてしまいます。乗るのはほんの1〜2分。足が地面に着いて長く乗るとしんどいのです。広い庭があればブランコを置きたい気持ちですが、とても無理ですので、公園に行った時だけの楽しみ。 
 ふわーっと揺れるあの感覚が何とも言えません。ブランコと飛行機はまるで違うものですが、飛行機が速度を増して滑走路を飛び立つ瞬間、地上を離れるあの感覚、何とも言えない快感。母も同じことを言っておりました。
 空を飛ぶ夢を見るのは楽しいもの。残念なことに最近はそんな夢は見なくなりました。

 ブランコと言えば、トラ猫と白猫がブランコに乗っている姿を描いたイングランド製のポストカードをもらいました。見るなり思わず笑ってしまいました。ふわふわした丸顔の白猫が私に似ていたからです。色白だからではありません。丸顔なのとその目。「私はおそらくこんな目の表情をしている時があるんだろうな」と想像がつきました。世の中に猫の絵やイラストや写真は山ほどありますが、これほど自分に似ている猫を見たことがありません。
 一つのブランコにトラ猫も一緒に乗っていて、トラが藁で編んだブランコの紐を両手でつかみ、シロはトラの首に手を回して甘えている姿を描いています。トラの目の表情の素晴しさがこの絵を品のよいものにしている。何ともやさしくほほえましい絵。作者は猫好きに違いありません。
 ただ猫を可愛く描いたのではなく、深い精神性を感じます。
 
  
2015年10月2日(金)
 
 狭いところでも木に囲まれ、小鳥のさえずりの中で生活するのが好きです。庭仕事は出来ないくせに…です。ですから、やれ毛虫だ、やれ隣までが伸び出した、やれ肥料をやる時期だ、と言っては植木屋さんに頼まなくてはなりません。木が茂りますと太陽が当たらなくなり、風通しも悪くなり、木にはよくない環境になるので、剪定が大事なのですね。剪定をしますと庭がスカスカになり、少し悲しくなるもので植木屋さんはそんな私に気を遣って、「また春になると元気に葉っぱが出てきますよ」と言ってくれます。

 さて、9月24日はFM尼崎(aiaiモーニングアベニュー 紀平真理・生放送)、29日はラジオ大阪(ほんまもん原田年晴です生放送)、10月1日はさくらFM(Cafe@さくら通り 近藤栄・生放送)、10月3日はラジオ大阪(木村勉と元気いっぱいナイストーク(収録済)に出演しました。エリアの限られたFM放送でもパソコンから全国で聞くことが出来ます。
どの番組もリサイタルのことが主な話題で、私の歌をCDから1曲かけて下さいました。電波で流して頂くのは『クスノキのうた』(作詞:奧田真祐美・作曲:さとう宗幸)と決めました。 
 『クスノキのうた』が多くの方のお耳になじんで頂き、歌って頂ければ幸いです。
 
 2015年9月18日(金)
  
 今年になって、私の母校・自由学園が毎月発行している『学園新聞』の編集部から、〜卒業生からの手紙〜というコラムの原稿執筆の依頼がありました。母校からの原稿の依頼はとてもうれしく、光栄で、胸がいっぱいになりました。
 限られた字数ですので、話したいことを削りに削り、思いをこめて書きました。このひとことにも載せさせて頂きます。

 学園新聞 第676号  2015年8・9月号 
 『卒業生からの手紙』  奧田真祐美
  人生における一人旅

 私はシャンソン歌手です。12歳で大阪の両親の元を離れ、卒業までの8年間を清風寮で生活しました。完全出席のメダルは7つ星。
 幼い頃から大勢で騒いだり、はしゃいだりすることが好きではなく、「私とはなにか」などと考える質でしたから、24時間の団体生活は修行の場と覚悟を決めました。
 中等科1年の時です。自立心は芽生えたものの、寂しくても甘える人もいない環境の中で、人生の指針となる言葉に出会いました。
 羽仁もと子著「子供読本」 可愛い子には旅をさせ の中の一節。
われわれの旅には、なかなか苦しいこともあるが、強いものにはそれだけおもしろいもの。お供をつれないで、力づよく忍耐づよく、一人で旅をして下さい。
 それは12歳の私を励まし、勇気づけ、孤独や苦しみを恐れずに強く生きる大切さを、しっかりと教えてくれたのでした。
 最高学部2年の夏のある日、「将来の道としてシャンソン歌手になろう」という決意に近い思いが沸き起こりました。子供の頃から的確に意見を口にすることが苦手。だからこそ建前やうわべの言葉でなく、ありのままの思いや人間の悪、醜さ、弱さもすべて、心の内を何らかの形で表現したいと渇望していました。
 シャンソンは、声の良し悪し云々より歌い手の個性や独創性に価値をみます。明るさの中に影があり、暗さの中に光がある。シャンソンには自由と孤独と愛の薫りがする。習う前からそのようなイメージを勝手に描いていました。
 先生をさがし、初めてレッスンに行ったとき「やはり私の求めていた道だ」と確信したのでした。
 フランスのポピュラーソング、シャンソンの歴史は古く、また種類は、芸術性の高い文学的シャンソン、宗教的、感傷的、幻想的、政治的、現実的シャンソンなどなど。それを日本人歌手は日本語に訳詩して歌っています。
 ところで、歌手を希望したところでプロの歌手になれる保証などまったくありません。努力すれば必ず道が開かれるものでもない。
両親の強硬な反対を乗り越えながら、人生は甘いものではないことを経験しながら、長い道のり、無から一歩一歩歩いてきました。
 昨年はリサイタル30周年。サンケイホールの舞台で、約10人のミュージシャンをバックに、一人で20曲歌うステージ。多くの方々の力を得つつ、フリーの私は歌うだけでなく、企画、交渉、事務、原稿書き、何から何まで自分でいたします。それは学園で培われた賜物。プロフィールには「自由学園卒」と必ず入れます。学園なしには今の私は存在しないからです。
 私は常々どの音楽も根底に流れているものは愛だと信じています。暗闇に一筋の光が差し込むような魂の歌を、生きる意味を問い続けたところから見えてくる本当の愛を歌いたいと思っています。一人旅はまだ続きます。
  
 2015年9月11日(金)
 
 この間、出版されたばかりの『生きる勇気 アウシュヴィッツ70年目のメッセージ』 という本を購入しました。
 本屋でアウシュヴィッツという文字を目にしますと立ち止まり、買ってしまいます。私が歌うジャン・フェラの『夜と霧』はアウシュヴィッツのことを想定して
書かれた歌だからです。ジャン・フェラの父親はアウシュヴィッツで亡くなりました。原詩は激しい言葉で綴られているのですが、訳詩をお願いした永田文夫先生は、我々に理解出来るような日本語の歌詞を書いて下さいました。
 ほぼ毎年ステージで『夜と霧』を歌っておりますが、今年は特にこれを外すわけにいかないと思いました。
 1963年(昭和38年)にジャン・フェラは『夜と霧』を作詩・作曲、世に発表しました。たちまちフランスで反響をよび、その年のACCディスク大賞を受賞。
 翌年1964年には彼の最大のヒット曲『ふるさとの山』が作られました。
 日本のシャンソンファンの間でも、この『ふるさとの山』は人気がありますが、ルイ・アラゴンの詩にフェラが曲をつけた『もしも貴方に逢えずいたら』という作品は多くの方に好まれています。日本語の歌詞が普遍的だからでしょうか。それにフェラの作る曲は美しいメロディが多いのです。
 『夜と霧』がヒット曲になるようであれば嬉しいのですが…。

 本は読み始めたばかりですので感想はまだ書けません。いずれまた。
  
  
 2015年9月9日(水)
 
 今日は重陽の節句ですね。
 私は雨が好きなので、いま雨戸を通して聞こえる雨音を嬉しく聞きながら、「雨の名前」(著者:高橋順子・佐藤秀明/小学館)という本を開きました。
 秋の雨の名前にもいろいろありますが、秋霖(秋の長雨、秋の霖雨のことで初秋のしとしと降りをいう)という言葉が気に入りました。

 最近、思ったことです。   
 リサイタルは、何もかも自分ひとりでするのは不可能で、多くの方の力をお借りしているわけですが、人に指示されてすることではありませんので、自分で考え、動かなくてはなりません。
 マネージャーがいたり、プロダクションに属していたらいろいろな雑用に煩わされず、歌に専念できるかもしれない。けれど、苦労なく毎日歌のレッスンだけし、本番をむかえてもそれは私の生き方ではないような気がします。
 リサイタルに関して、もっと効率のよいやり方があるかもしれません。どうすればよいか、いろんなジャンルの人にも相談し、考えに考えましたが答えは出ません。いえ、答えはひとつ、30年間の今までのやり方以外にない、ということです。つらいことだらけでも、難問を避けず、自分のやり方で乗り越えていく「時間」がとても大切なのだと気づきました。
  
 2015年9月4日(金)
 
 季刊誌「インフォルモ」と言ってもご存知ないと思います。東海地区の信用金庫に置いてある冊子です。20年前に歌の関係を通してふとしたことから書く仕事を与えられ、創刊号から20年、人間国宝の工芸作家や画家にインタビューし、原稿を書いてきました。約80人の方にお会いしています。普通でしたらお目にかかる機会などない一流の方々ばかり。どなたも門外漢の私の質問に分かりやすくお話して下さいます。
 原稿を書くときに心がけていることは、その方がお話されたことをそのまま文章にするのではなく、要点を私の中で咀嚼し言葉にするということです。
 私がインタビューを受けたとき、(私のしゃべり方が下手くそだからですが)私の話し言葉をそのまま文章にされる場合や、私はこのような言葉遣いはしない、と思うことがあり、あとから校正で手を入れさせてもらう経験があります。思考がそのまま正確に話し言葉になるわけにいきませんので、この方は何を大切にされ、何をおっしゃりたいのか、私の乏しい頭でそれなりに考えて書くようにしております。
 
 ところで、自分の身内の話をするのは気が引けるのですが、お許し下さい。 姉の夫(藤井毅)は木版画家。このページで一度紹介したいと思いました。客観的に書くため文体を変えました。
 木版画家 藤井毅(ふじいつよし)
 
 木版画に使う色は常にオリーブグリーン一色、緻密な彫りは藤井の独壇場だ。研究者だった藤井は何事もとことん考え、コツコツと根気よく仕事をする。わずか葉書大のサイズから昔話の世界が語りかけてくる。妻(藤井いづみ)はストーリーテラー。子どもにグリム童話をはじめ世界の昔話を中心にした童話や民話を、朗読ではなく、全部覚えて語る語り部。日本各地で講演したり、ストーリーテラーを志す人の指導もしている。夫の毅は、いづみの語る物語を版画にし、お話の会のときにそれらの作品を披露する。
 研究者時代、木造建築を見るため、イギリス、ドイツ、ノルウェー、スイスなどヨーロッパ各地へ出かけた。それが後に童話を元にした版画作りに役立っている。数年前は物語の時代背景やその頃の衣装を調べる目的でイギリスやドイツに足を運んだ。
 物語のどの部分が絵になるか構図を考え、下絵を描き、掘り始める。制作中は無心、時間を忘れ、細かい作業に集中する。これほど繊細な版画はあるだろうかと思わせる作風。自分で生み出した技法。最も苦労するのは、グラデーション。普通、版画には彫り師と刷り師がいて、刷り師が色のつけ具合を加減するが、細かい版画の場合、彫りの技術でそれを出すか、絵の具の段階で表現するか、何度も失敗を重ねながら、偶然思い通りのグラデーションを表現できることがある。芸術は模倣はしない。創作に意義がある。
 藤井が木版画に打ち込むようになったのは木に関心があり、ずっと木の研究をしてきたことと無関係ではない。大阪から北大の農学部に入学、木質材料と木造建築の研究で大学院の博士課程を終え、農林省森林総合研究所で研究ひと筋の生活をおくった。特許は日本国内、海外含めて約50近くとったがすべて国に渡している。
 定年後は仕事から完全に離れ、版画の第2の人生を歩んでいる。子どもの頃は、画家か研究者になりたかったという藤井。どちらも相当な努力を要したはずだが、2つの夢を叶えたと言えるだろう。年賀状の版画も含めて約300種を彫った。今までの作品で最も気にいっているのはグリム童話の「赤ずきん」。
 版画以外では、庭の木は実生の時から植え、剪定もすべて自分の手で行い、植木屋さんをたのんだことがない。バラ作りも熱心。汗をかく仕事を終えると読書。読んだ本はあらゆるジャンルにわたり約5000冊。特に心に残っているのはプルーストの『失われた時をもとめて』。塩野七生の著書はほぼ読破した。大学時代は馬術部に所属していたが、馬に乗るのはそれほど上手くなかった。ただ、馬の世話は得意だったという。
 版画教室や個展を開くことはぜず、自由に自分の世界を楽しむ72歳。
 

 義兄 藤井毅は、「今の趣味は孫の相手」と付け加えたので、それは省きますと返事しましたものの、欄外に付け加えておきます。 
  
 2015年8月27日(木)
 
 父の書いた文章のことです。
 家の物入れに、暁会発行 「ボクたちの想い出」というわら半紙のような紙に小さな活字の冊子がありました。(昭和49年2月発行) 
 戦争の仲間の会で、暁会と名付け、昭和38年から毎年集まっていたようです。その20回総会記念誌に父が短い文章を寄稿していました。
 
 ボクの想い出 
 平素はご無沙汰し誠に申し訳なく思っています。暁会のS会長様をはじめ、幹事の方々の献身的ご配慮に全く頭がさがる思いです。ここに衷心より感謝申し上げます。
 さて暁部隊での思いでを一、二、思い出すがままに書きしるします。
 ◇ 運命の分れ目
  昭和19年6月応召、ただちに中支派遣と定まり、外部との連絡を全く断たれ、新婚間もない妻を残してこっそり出発した時は、何とも言えぬ寂しい思いにかられた。船で朝鮮に渡り、釜山より貨車にすし詰めにされて何日もかかり南京に到着。
 南京では身体検査の結果、暁部隊に派遣され I隊の所属となり、物資を前線へ船舶輸送する仕事に携わることとなった。
 もしあの時、暁部隊に派遣されないで歩兵部隊に留まり、前線へ追及しておれば、健康に自信のない私は、恐らく途中で落伍し、内地への生還もむつかしかったのではなかろうか。人間の運命の分かれ目を考え、まことに感慨無量です。
 ◇戦地での食事
 前線へ物資を補給するため、ジャンクの警乗兵として輸送船団に参加し、中国人船頭の家族と船内にて起居を共にした際、船内で、豚肉、レンコン、野菜いため、豆類、魚など比較的人間らしいものを食べる事ができた。調味料は塩と油、香辛類のみにて、現在ならとても口に入らないであろう。しかし当時は大変ご馳走のように感じ、美味しく食べたものである。
 我々の駐屯地は、主として岳州の近くの城陵磯という処であったが、駐屯地にいる時の食事の悪いのには全く閉口した。副食物がカボチャばかり1週間も続いたり、雑炊ばかり永く続いたり、質量ともに全くひどいものであった。本部から貰う僅かな食事材料では充分な献立も出来なかったであろうと、当時の炊事の方々のご苦労は、今になってわかるような気がする。
 (中略)
 前記の通り、戦地での食事は全くお寒いものであったが、 最前線や南方では、草、木、蛇、鼠、虫などなんでも食べられるものはすべて口にし、飢えをしのいだと聞いているが、それに比べるとボクたちは未だ未だ恵まれた環境にあったと思う。
 無事復員し、現在まで生きながらえて居られるのは、隊長、班長をはじめ戦友の皆様のお蔭と、常に感謝していますが、今後こういう戦争の二度とおこらないように切に希望するものです。
 
 と書き記しています。
 これを読み、父は人に気を遣う人だったことを改めて感じ、また、母を思いやる言葉に父の一面を見た思いがしました。 父に「戦争の時、どこへ行ったの?」と訊ねましたら「中国の山の奥の岳州というところだ」と教えてもらっただけでした。それと、靴を誰かに盗られ、仕方なく足に合わない靴を履いて歩いため、父の足の裏は鉄のように固く、分厚く、タコがあちこちにあり、一生治りませんでした。足に合わない靴で長時間歩くつらさを想像しますと胸が痛みます。
 父にもっともっと具体的に戦争体験を訊いておくべきでした。残念でなりませんが、短い文章でも私の知らなかった父の片鱗を知ることができ、これをひとことに載せたくなりました。
  
 2015年8月26日(水)
  今日は昭和49年に父が書いた戦争体験の短い文章のお話をさせて下さい。なぜか昔の話が続きます。それは年のせいと言われそうですね。人は揶揄した言い方で「それはもう年だ」とよく言いますが、そう言う方も同じように年をとっているのですし、何よりも若いことに価値がある、とは思っておりませんので平気です。
 これは何度も書いたり話をしていることですが、世間ではよく女性に年を訊ねるのは失礼だ、と言います。私はいつも、失礼だとかタブーだと言う考えこそ失礼だと思われてなりません。つまり、年をとることがマイナスだという考えが根底にあるからだと感じるのです。女性は年齢を訊かれて「もうそんな年齢なのか、そんなオバサンなのか」と言われますと傷つきます。けれど、年齢で人を判断しなければ、かえって「やはりそれだけ人生経験を積んでおられるから人間的に深みがあるんだなあ」と思うものではないでしょうか。
ある方が、正直に年齢を言うと仕事がなくなるため、年齢をあきらかにしないと言われ、現実はそういう世の中なんだなあ…と少し複雑な気持ちになりました。
 女性に年を訊ねるのは失礼だという理由の一つは、男性の心理として女性は若い方がいい、という思いがあるからだと思うのです。生きているものはすべて年々老けるのは自然現象。1年1年貴重な時の積み重ねで人間は成長し、魅力的になるのが本当だと思います。これは理想論でしょうか。
 女性作家の本でちゃんと略歴に年齢を書いている方もいれば書いてない方もいますね。年齢不詳ですと、その方の書いていることがつかみにくい。背景がはっきりしない。読んでいて落ち着かないのです。作家がなぜ年齢を隠すのか分かりません。
 私も堂々と言おうと思い、ある会のステージで「私の年齢を訊きたくない方はどうぞお手をお挙げ下さい」と言いましたらどなたもお挙げにならない。それを真に受けて言いましたところ、後から「聞きたくなかった」「人に夢を与える歌手なんだから現実の年齢など言わないで欲しい」と何人もの方に言われ、それ以後、複雑な気持ちのまま、言わないようになりました。
 仮に年齢を若く偽ったら、偽った1年なり2年の大事な時間をないがしろにするようで、それはしたくない。
 友人から「ステージ上でもう年齢の話がやめた方がいい」と言われました。そうですね…あんまり同じことを言いますと、またか、と厭きられますね。
私がたびたびこんな話を持ち出しますのは、心の中でまだ整理が出来ていないからです。
 話が大きく逸れてしまいました。父の話は明日にいたします。
  
  
 2015年8月25日(火)
 部屋の棚に43年前に友人からもらったカセットテープが入っていて、長い間聴く機会がなかったのですが、先日久しぶりに聴いてみました。43年前の私の声が流れてきました。東京を引き揚げ、大阪へ帰る3日前、仕事で歌っているのではなく、たまたまちょっと歌うことになったようです。
歌はアズナブールの『愛は燃えている』と『時計』。レパートリーが少なく、これしか歌えなかったんだと思います。昨年発売したCDアルバム『愛をみつめて』に『時計』を収録しましたので、歌を自分のものにするのに私は40年もかかっているんだ、と思いました。
『愛は燃えている』は自分とは思えない声にびっくり。最近シャンソンのレッスンをされる方は勘がいいと言いますか、覚えが早く、すぐものにされます。私など20年30年かかってもまだまだで、本当に進歩が遅いのですが、それは私の中に「器用にしたくない」という思いがあるためだと…。なぜぱっと器用にしようとしないのか、厄介な性分です。たいがい原稿でも絵でも1度書いて(描いて)からまた全部書き直す(描き直す)。考えましたら、無駄な時間をいっぱい使っているわけです。
 43年間、脇目もふらず歌の勉強に打ち込んでいたらもっとうまくなっていただろうかと思ったり、人生には無駄が必要だと思ったり…。
  
 2015年8月23日(日)

 シトシトと雨音が聞こえると嬉しくなります。先日も真夜中の雨の音に誘われ、窓を開けてしばらく暗闇の中の木の声を聞いておりました。
 雨の日で気がかりなのは、野良猫や捨てられた猫たちはこんな時、濡れないで寝るところがあるのだろうか、食べるものはあるのだろうかということです。

 リサイタルまであと約2ヶ月になりました。リサイタル31年目の今年、頑張って準備をしております。けれど、どんなに音楽に関して努力いたしましてもお客さまが来て下さらなくては意味がありませんので、リサイタルというのはお客さま動員に何よりエネルギーを要します。チケットを売る苦労をしないでいられる方は仕合わせだと思いますが、私にはそのようなことは夢の話。準備が始まりますと不眠症も始まります。そんな中で、一人でも協力して下さる方に出会いますと喜びで仕合わせを感じますし、反対に悲しく思うことも多々あり、つらい時にどう気持ちを立て直すか、大事な問題ですね。
 
  
 2015年8月20日(木)
 
 16日に五條へまいりましたら、ツクツクボウシが鳴いていました。大阪の我が家ではまだ耳に致しません。学生の頃、ツクツクボウシの声が聞こえ出しますと、そろそろ東京の学校へ帰る日が近づいたんだなあと思い、もの悲しい気持ちになったものでした。

 『異端の人間学』(幻冬舎新書)五木寛之と佐藤優の対談の本を読んでおりましたら、本筋のロシアの話から離れたことですが、心にとまった箇所がありました。五木さんが佐藤さんの『サバイバル宗教論』を読んで、大きく共感するところが2つあった、と言われ、一つは、宗教は、布教によって広がるのではなくて、その宗教を信仰している人の姿を見てそれが感染していくのが本来のあり方なんだと。 もう一つは、その人間が人生で最初に出会った宗教的な世界観は、その後、どこへ放浪しようと、結局その鋳型から離れることはできない、ということ。 その2つは、私も僭越ながらそう思いました。
  
 
2015年8月15日(土)

 この間、母の従妹(96歳)がセピア色した1枚の写真を見せてくれました。私の祖母一家の集合写真です。祖母は11人きょうだいで上から2番目。その写真には祖母の両親(私の曾祖父・曾祖母)も写っておりますので計13人。男性は紋付き袴、女性は訪問着。どこで撮影したのか、背景は雑木林のようです。写真の下には、「大正三年八月三十一日 長和兄上帝大卒業記念」というメモが貼ってあります。約百年前の写真です。祖母は30歳くらいのよう。日本髪を結っています。長和というのは長男で、祖母の弟。
家には母の親きょうだいの写真はありますが、祖母の一家が揃っている写真などはじめて見ましたので感激し、さっそくコピーしてもらいました。
13人中、祖母以外で会ったことのあるのは、2人の大叔母しかおりません。ですから親戚とは言いましても名前しか知らない人々です。
昔は、11人も子供がいれば幼いうちに病気で亡くなるとか、大きくなっても誰かが欠けることが多いでしょうに、100年前の一家総出の写真があるなんて本当に驚きました。
 それは母方の親戚ですから、父方の親戚もあるわけで、つくづく人間は突然生まれ出るわけではなく、父方、母方の脈々とした先祖からのつながりがあってこそ今の自分があることを感じております。
 
 祖母の生家は奈良・五條の登録有形文化財になっている藤岡という家で、NPO法人うちのの館(理事長・田中修司/館長・学芸員川村優理)が運営・管理して下さっています。一般公開しており、いろいろなイヴェントが企画され、8月16日は、ゆかたデ・ナイト と言って ライトアップした中庭でコンサートが開催されます。 私も歌いに行きます。18時半〜19時まで。
 ふるさとや自然や時の流れにまつわるシャンソンを歌います。どうぞお越し下さいませ。詳しくは、『うちのの館』で検索して下さいませ。